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□本当にすべきこと
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 ―――私には、今年六十七歳になるおじいちゃんがいる。
 ちいさい頃からよく遊んでもらって、私はおじいちゃんから色々なことを学んだ。
 お手玉は勿論のこと、百人一首だったり、外遊びの仕方だったり、秘密基地の作り方だったり・・・。
だからともだちは、みんなして、私のことを『おじいちゃん子だ』と言う。
 その呼び方は正しいと思うし、私も了承している。むしろ嬉しい。
 だけど、最近になって、そのおじいちゃんに会う機会が、めっきり減ってしまった。
 理由は簡単だった。
 おじいちゃんが、末期のがんだと分かったからだ。
 がんは感染るものでは無いし、だいいち会うこと自体は禁じられているわけでは無いのいだが、
そのおじいちゃんの子供であるお母さんが、お見舞いに行かないのだ。
おじいちゃんには、お手伝いのヨトさんしかいないのに。それじゃあ、とても寂しいのに。
 ただ、私がおじいちゃんと会えないこと、そこに何人かの意思が存在しているのは確かだった。それは、私がよく分かる。
 その何人か、とは、きっと、お父さん、お母さん、おじいちゃん、ヨトさん、それにお医者さんの五人だと思う。
 五人は、おじいちゃんの命が長く無いことを、よく分かっている人達だった。だからこそ、私を遠ざけなければと思う人達だった。
 おじいちゃんはもう死んでしまう。
 まだその実感すら無い私。だから、だから・・・・・・
『―――深奈絵(みなえ)が、泣いてしまうわ・・・』
そんな切なげなお母さんの声が、頭の中に木霊した。
 大好きなおじいちゃんがいなくなってしまったら、私はきっと泣いてしまう。
私が泣いてしまわないように・・・。その人達は、そう思ったのだ。おじいちゃん当人も。
 私を思っての判断なために、私は何も言えなかった。その会話を聞いてしまった後では、何も言えなかった。
 辛くて仕方無かった。
 辛くて、仕方、無かった・・・。
 ―――その時ふと、『何でも切れる』カミサマ・包丁さんのうわさを耳にした。否、本で読んだ。
 土着神かも知れないと言う、包丁さん。何でも切れる。嫌な奴を殺してくれる。そう読み、そう聞いた。
 人殺しをさせるおまじないだけれど、何でも切れるというそのキャッチコピーに偽りが無いのなら―――無いのなら、おじいちゃんの、がんを、切ってもらいたかった。
 もしも人を殺さなければならないのなら、私の命を渡そう。
そうしたら、おじいちゃんは生きながらえて、まだちいさな弟や妹達と遊んでくれられるのだから。
 そう決心して、私は、図書室の郷土史の最終ページに挟まっていた、『包丁さんの行い方』という紙片に書かれた儀式を、実行したのだった。

 ・・・・・・
 逢魔が時。私の教室の机には紙と文化包丁。紙には『田中信彦の末期がん』と書いた。
もしもの時のために、おじいちゃん達にお別れは済ませてきた。
 準備は万端。後は―――後は、呼び出すだけ。
 すぅ、と息を吸い、そしてはあぁぁあ、と吐いた。
 誰だって、死ぬのは怖い。
これで自分は恐らく死んでしまう。だから少しくらい躊躇したって、いいじゃないか。
もしも、包丁さんがおじいちゃんを―――がんではなく、おじいちゃんを―――切ろうとするのなら、懇願しよう。
いくらでも、頼み込もう。
そうしたら、きっと、きっと、包丁さんは受け入れてくれる。おじいちゃんを生かしてくれる。
 だって、包丁さんは―――神様でないにしろ、カミサマなのだから。
 私は意を決して、目をつむり、呟いた。
「包丁さん、切って下さい」
お願いします。
 ―――部屋の空気が、すぅと冷えた。

「―――こんにちは、お姉さん」

 はっ、として扉のほうを向くと、そこには可愛らしい少女が。・・・少女が、包丁を持っていた。
「こんばんは、でしょ、包丁さん」
とてもじゃないが微笑めたものではないのに、私は引き攣った笑みを浮かべた。
 彼女はきょとん、として、次いでクスッと笑った。
「そうね。こんばんは。確かに、私は包丁さん」
「わ、私は―――瀬野(せの)深奈絵」
自己紹介して、またはっとする。そうだ。こんなことをしている場合じゃ、なかった。
「あ、あのっ!包丁さん、あなたは、本当に何でも切れるの!?」
「そうだね」
にっこりと無垢な笑顔を見せる包丁さん。かわいいな。いいな、かわいくって。
「じゃあ・・・じゃあ、じゃあっ!」
「うん、分かってるよ。その田中さんっていう人を殺せばいいんでしょう?」
「・・・えっ!」
慌てて私は紙を包丁さんの前に突き出す。
「よく見てっ!」
おじいちゃんを殺しちゃ、だめ!それじゃあ、本末転倒なんだよ!
「あなたは何でも切れるんでしょう!だったら―――お願いします、おじいちゃんの病気を切って下さい・・・!
おじいちゃん、がんで・・・治せなくって・・・もう、死んじゃうの・・・!」
紙を押しつけ、ぺたりと土下座した。お願いします、と。
「治して・・・切って、下さい・・・・・・!」
 頭を下げているから、包丁さんの顔は見えなかった。表情も勿論分からない。
だけど、鈴の音のような声で、吐き捨てるような言葉を言ったのは、よく聞こえた。
「―――勝手だね」
「っ・・・!」
 そう、だよね・・・。勝手か・・・。あなたを崇めたことも無いのに、それなのに苦しいときに限って謙るなんて。
 浅はかだったのだ、私は。
「ごめん、なさい・・・。ごめんなさい・・・!でも、でも、お願いします!おじいちゃんだけは―――」
怖かった。身がすくんだ。涙が溢れてきた。ああ、情けないことだ。他人事のように、そう思った。
「喚ばれた場合、絶対に誰かを殺さなければならないのなら、私を殺して下さい!
だから、おじいちゃんを助けて下さい!!お願いします!!」
 お願いします。
 お願いします。
 お願いします!
「・・・・・・・・・・・・」
 物凄く長く感じた沈黙を、包丁さんが破った。
「うん、分かったよ」
 とても、穏やかで、優しげな声音で。
「!」
顔を上げれば、そこには、母親のように慈悲深い表情をした、包丁さんがいた。
「本当に―――?」
「?」
「本当に、本当に・・・おじいちゃんを助けてくれるの!?」
「うん」
 わぁっ・・・
 私の心は、歓喜に包まれた。もう、自分が死ぬことなんて、どうでもよくなった。
「ありがとうございます・・・!お願いします!」
「ちょっと待ってて」
再度礼をした私の頭を、ぽんと叩くと、包丁さんはかき消えた。

 ―――ちょっと¢メった。
 本当にちょっと待って、私はまた、包丁さんが目の前に現れたことを目で認めた。
「切ってきたよ」
と。
「じゃっ、じゃあ・・・治ったの!?おじいちゃん!?」
「うん」
 ぽた、と、私は目からこぼれ落ちる雫を、そのままに頬を伝わせた。
「よかった」
ただ、それだけを言い、私は声も立てずに泣いた。
 その間、ずっと、包丁さんは私のそばにいてくれた。私の頭を撫でていてくれた。
 ―――痙攣もおさまった頃、私は「どうぞ」と、そう言った。
「?」
「切らなくちゃいけないんでしょう、私を。どうぞ」
 これから死ぬというのに、私はとても穏やかだった。
ああ、よかった。
それしか思っていなかった。
 ―――沈黙が流れる。
「・・・・・・クス」
「・・・?」
「クス、クスクスッ」
可愛らしく笑う包丁さんに、私は呆気にとられた。
「そんな必要は無いよ」
「え?」
「もともと『包丁さん』は、紙に書かれたものだけを切るの。八年前や三年前のは、ただの遊び」
「遊び?」
「ああ、ちょっと違うかなぁ。罰を与えただけ」
「罰?」
 すると包丁さんは、私に教えてくれた。
 八年前、三年前のこと。それに、自分たち『包丁さん』のこと。
 私はいつの間にか、それに聴き入っていた。


「―――っていうわけ」
「・・・・・・」
私はこれにも、何も言えなかった。
 まさか・・・まさか包丁さんが、そんな哀しい記憶を持っていたなんて。
 私は、さっき収まった涙が、またこぼれそうになった。
「だからね・・・、私達の使い方は、お姉さんが一番正しいんだよ。正しいの。病気を治すのに使ったんだから」
「そんなの。そんなのも、やっぱり・・・いままでしてきたこと思ったら―――!」
さっき包丁さんが、「勝手」と言った理由が、やっと分かった。本当に勝手だ。
「お姉さんのせいじゃないのは、分かってるわよ」
 やっとの思いで、私はぽつりと、呟いた。
「ごめんなさい・・・」
謝罪の言葉を。
「お姉さんは、謝らなくていいよ」
「ありがとう・・・・・・」
 色々なことについて、お礼を言った。
 もうホント、ありがとう。
 一言に込めた私の思いを察してくれたのか、包丁さんは微笑った。
「どういたしまして」

 それからしばらく、私と包丁さんは談笑していた。
 もう、私達は、昔からの親友みたいに仲良くなれたと思うし、包丁さんも私に心を許してくれたらしい。
他の包丁さんのこととか、後は、包丁さんに襲われたときの対処法を教えてくれた。
彼女曰く、『もしかしたら、恨みがまだ残ってるかも知れない』からだそうだ。
 還し方は、真名を呼ぶことだって。そして真名は、包丁の名前だって。文化包丁だとか、菜切り包丁だとかの。
 そして一夜が明けそうになる。もう、私達ってば、どれだけ喋ってたの。
「もう帰らなくちゃ。それで、みんなに深奈絵のこと、話してみるわ」
「うん。ありがと、包丁さん」
そこでふと、包丁さんが淋しげな笑みを浮かべて、言った。
「ねえ、深奈絵」
「何?」
「包丁さんは、総称だって、言ったわよね」
「うん」
「でも、その前に、人間だった頃の名前があるっていうのも、言ったわよね」
「うん、聞いたよ」
「その名前で、呼んでくれないかしら」
「・・・・・・え?」
「その名前で、呼んで。―――忘れないで。私は椿よ。椿。いい?」
 驚いたけれど、でも、それも私に心を許してくれた証拠だと思った。
「勿論。教えてくれてありがと、椿」
「ううん・・・」
照れたようにそう言って、椿はす、と包丁を自分に向けた。
「何を・・・?」
「還るの。―――ああ、そうだ。また時間があったら、話しましょう。
今度は、別の子達も呼んで。一度に何人も呼ぶことは、ルール違反じゃないから」
「うん!」
また話せる。それが何とも嬉しかった。
「出来れば、あなたの家に行ってみたいわ。別に学校じゃなくても、私達は行けるから」
「そうなの?―――なら、今度はうちで呼んでみるっ!」
 さいわい、うちは全部屋防音。イエイッ、バレねえぜ☆
「それで、これは間違えないように。今度呼び出す時は、切るものを、『包丁さん』にして」
「え・・・。椿を切るの!?」
「そう。死なないから、安心して。そうじゃなきゃ、何を切ればいいか分からないじゃない。
あなたの名前なんて書いたら、許さないからね」
「分かってるよぅ。死にたくないもん」
 そして、椿は、包丁を振り上げた。
「じゃあ、またね、深奈絵」
「バイバイ、またね、椿」
 ざくりと、椿は包丁を自分に刺した。・・・否、自分を切った。
 ・・・・・・
 ―――カタン、
 私は椅子を立ち、晴れやかな気分で言った。
「片付けるか!」
 このこと、おじいちゃんには、こっそり教えてあげちゃおうっと!

 おじいちゃんの病気が治った事と、新しい友達が出来た事に、私は最高の気分だった。

 ――― 一方、異界では、椿が皆に深奈絵のことを話していた。
「その子は・・・病気を治してほしいと言ったですか・・・?」
「うん、そう」
刺身包丁―――葵の言葉に、椿は満足そうに頷いた。
「珍しいですね」
「珍しいのかしら?でも、いままで思い出さないようにしていたけれど、これが―――

 これが私達の、本当にすべきこと、でしょう?


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