夢恋人 石神秀樹

□長い夜
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「はっ、やっと静かになったな・・・」

とんだ飛び入りだった。
お祭り課の連中ときたら、どこまで邪魔するつもりなんだか。
まぁ、色々騒動はあったものの、ようやく落ち着くことができた。
この独立した離れがある和風旅館にして正解だったな。

仲居が一通り部屋の説明をして出て行くと、鳥のさえずりと木々を渡る風が、
木の葉を揺らす音だけが聞こえる。

座卓の向こう側に座る彼女は、いつもの穏やかな笑みを浮かべながら
ゆっくりと茶を淹れてくれる。
急須と湯呑みを温めてから、茶葉が開くまで蒸らし、最後の一滴まで注ぎきる。
彼女の歳に似合わず、慣れた手つき。
俺は、座椅子の背にもたれながら、華奢で品の良い彼女の指先や手元を目で追う。

「はい、お待たせしました。どうぞ。」

彼女が俺の前に湯呑みをそっと置く。俺は体を起こし、湯呑みに口をつける。

「ん・・・うまい・・・。」

鮮やかな水色と、香ばしい香り。
味はしっかりしているのに苦味はほとんど感じられない。そして後味は甘い。
仕事で飲む茶とは全く違う。
茶葉が上等だけじゃなく、淹れ方が違うのだろう。

「素敵なお部屋ですね。こんなとこ初めてです。」

「静かに過ごしたいからな。
それに、他の客とはなるべく顔を合わせたくないと思って、ここにした。」

「ちょっとお部屋見て回っていいですか?」

「さっき仲居に説明されただろう?」

「もうちょっとじっくり見たいんですー。」

茶もそこそこに、彼女は立ち上がってしまう。
やれやれ、さっきまでの大和撫子はどこへ行ってしまったのか。

まずは浴室。
各離れには、部屋に続く屋根付きの半露天の家族風呂があり、この部屋には総檜造りの湯槽がある。
お湯はもちろん源泉かけ流しだ。

彼女の感嘆の声が響いてきて、俺も彼女の後に続いて浴室に入る。

木の香りが清々しい。
庭先と空を眺めながら入れるようになっていて、夜はランプが灯り
幻想的な雰囲気も楽しめる。

「ね、石神さん、お湯がなんかとろとろですよー?」

「弱アルカリ性なのかもな。いわゆる美人の湯というやつだ。」

美人の湯と聞いて目を輝かせた彼女に、 
「じゃ、一緒に入るか。」
というお約束の冗談を一つかまして、部屋に戻る。

「こっちは寝室だな。」

奥の座敷には、低いベッドが二つ。
マットレスではない、珍しい畳のベッドだ。藺草の良い香りがする。

彼女が、おばあちゃんちの匂いがすると言うのだが。
香りと記憶はセットになっているらしいが、そういうものなのか。

夕食までにはまだ時間があるから、と、彼女を先に風呂に入らせる。
俺はちょっと横になりたいと言うと、遠慮していた彼女も素直に浴室へ消えた。

俺は眼鏡を外し、座布団を二つ折りにしてまくら代わりにすると
大きく伸びをしながら横になった。


・・・・しかし、不思議なものだな。
彼女と出会ってからこうなるまでが、あっという間のような気がする。

初めこそ、彼女は、フワフワして頼りない印象で、
マルタイであるという自覚もなく、危機感の無さに内心苛立つ事もあった。

しかし、お祭り課の連中と打ち解けている様子を何度も目にするうちに
何故か彼女に注意を払ってしまう自分に気付いた。

図らずも、彼女を警護する任務を任された折々、
明るい笑顔、真っ直ぐな瞳、素直さ、朗らかさ、優しさ、しなやかさ、
彼女のそういった部分に触れるたび、何故か苦しくなることにも気付いてしまった。

この感情を何と呼ぶのか解らないまま、ただの気のせいだと思い込もうとしたが。

彼女が近くにいると、胸がざわついて落ち着かない。
一人でいても、無性に苛立ったり、意味もなく落ち込んだり。
他人の目があるところでは、努めて冷静に振る舞ってはいたけれど。

自分の感情をもて余していた。

太陽のような彼女と接すると、自分の中の闇が、色濃く影を落とすからだということに
後々で気付く。

けれど、遠ざけようとすればするほど、気になり、姿を目で追い、
耳はその声を探し当てようとしてしまう。
誰かを気にかける、そんな感情がまだ自分の中にあったとは。

初めての感情に、戸惑いを隠せなかった。

だが、何がきっかけだったか、彼女に惹かれていることを自覚してしまったら、
途端に楽になってしまった。

それで、仕事上ではあるものの、彼女の内面に触れるたび、
彼女と過ごす時間は、一瞬仕事を忘れそうになるほど新鮮で、楽しくて
終わりが来なければいいとさえ思うようになり。

仕事以外でも彼女の傍にいたいと思うようになり。

しかし、彼女は現総理大臣の娘で、マルタイで。
この気持ちは、知られてはならない。封印しなくてはならない。
仲間に素振りさえも気取られてはならない。

仕事なら、自分の感情をコントロールすることなど造作もないことなのに。

楽になったと思ったのは一瞬で、また別の苦悩に襲われる。

つづく
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