NARUTO1
□僕のミッフィーちゃん
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チョークが黒板を叩く音が響く頃、開けた窓から入る風でさらさらと揺れる彼の黒髪をあたしは後ろからじっと見つめていた。右手の人差し指と親指で輪っかを作り、彼の髪の毛にジリジリと詰め寄れば隣の席に居るサクラがやめなよって囁いてくる。あたしは彼女の顔を見ることなくいいのとだけ返す。
あともう直ぐで届く、そう思った瞬間、異変に気付いたのか彼は後ろをぐるりと振り向いてしまった。
「…なんだよ」
訝し気な顔をしたサスケに、あたかも何もしてませんと言いたげに吹けない口笛をヒューっと鳴らしてみせる。
「授業中だよ、なんだい?」
「あぁ?こっちのセリフだ」
不思議そうな目でこちらを見たサスケと視線を合わせることなくあたしは口笛を吹き続けた。
「…お前のオーラみたいなのが背中に刺さる」
「ふぅん、なんだろう」
両手を組んで悩む仕草をして、口を尖らせたままのあたしをサスケは嫌そうな目で見た。
「…その顔うぜぇぞ。口笛鳴ってねぇしやめろよ」
「サスケこそ、イルカ先生に怒られるし前向いてよ」
「………」
しっしっと手を振ったあたしの言葉に彼は渋々前を向いたが、やはりまだ気になるのか後頭部を2回ほどガシガシと掻いた。
彼がこちらを見ていないのを確認し、ヘラッと微笑んだあたしをサクラが呆れた様子で眺めてる。あたしは椅子の上で姿勢を正し、気合いを入れ直してからまた彼の後頭部に手を伸ばした。
「……」
「………」
「……」
集中力を最大限まで研ぎ澄ませ、艶やかな黒髪の一本を掴んだあたしはニヤッと笑った瞬間にそれを思いっきり引き抜く。
「おりゃ!」
引っ張った髪が抜けた時、ブツッと我ながら痛そうな音が聞こえた気がした。軽く声を上げたサスケは直ぐ様あたしの方を振り返る。
「…いてぇな、おい」
牙を剥く犬のような顔をして後頭部を押さえたサスケは、引き抜かれた自分の髪を持ってニヤニヤするあたしになんなんだと目を細くした。怒りの混じったサスケの声に教室中がざわめき出す。彼の毛を片手にあたしはフフンと鼻息を鳴らした。
「ごめんね。なるべく痛くならないように素早く抜いたんだけど」
「…何がしてぇんだ」
「これをクッキーに入れておまじないを、」
します。そう言いかけたあたしの頭に振り下ろされるのは鈍器のような重さのある何か。舌を噛みそうな程思い切りシバかれたあたしは、驚きのあまりサスケ以上に口を開いて停止する。
「い…ったぁ!」
ズキズキと痛む後頭部。悲しい事に、先程自分が人にやったことをまんまやり返された気分だった。
「××、さっきからうるさいよ」
後ろを振り返れば目が笑ってるけど多分怒ってるサイがそこに居る。
君は馬鹿だからちっとも授業が分からないんでしょう?きっとそんな事を言いたげなサイに思わず涙目になりつつも、彼の手にあった凶器に驚く。それは紛れも無くただの紙をまとめたもので、丸めた教科書があんなにも痛いとは思わなんだと最早感心する。
「授業中は静かにって教わらなかった?」
「な…、だからって、それで叩くのは…筋が通らないと言うか……」
「…そう、次は手加減しないよ」
手のひらでバンと音を立てた彼の恐ろしい微笑みにあたしは開いた口を無理矢理チャックさせた。その様子に彼は満足そうに笑う。
「偉いね。お口、ミッフィーちゃんだよ」
彼から出たとは思えない程可愛い言葉にあたしは絶句した。”おくち、みっふぃーちゃん”。その言葉にバツ印の唇を思い浮かべる。
「……ミッフィー…ちゃん」
こんな感じかな?なんて唇を尖らせ自分なりにXっぽくしてみるが、それが彼は至極お気に召さなかったらしい。
「もう一度叩かれたい?」
伝えられないぐらい怖い顔をしたサイに、あたしは素早く人差し指をクロスして自分の唇に当てがった。
何故かその姿には納得してくれたようで、彼は教科書を机に置いてあたしに前を向けと指示を出す。あたしはまるでロボットかのように彼の言葉に従うしかないと素直にはいとだけ頷いた。
「…本当こわーい」
おずおずと前を向けば、目の前にはなんとも言えない顔をしたサスケがいて、あたしはそれを避けるかのように静かに目を瞑った。
……
痛いぐらい頭がゴーンと揺れる。これはきっと夢だけど、まるで鐘を突いたような衝撃だ。多分サイに手加減なく頭を叩かれたから、とかじゃなくて。
「…ん」
霞む視界の中、あたしは瞼をパシパシと動かす。意識をハッキリと取り戻し目を覚ました途端、なんだか教室がとても静かに感じた。
「……あれ」
ゆっくりと頭を持ち上げれば、見渡す限りでは部屋の中には人は一人も居ない。
「……?」
中々正常に働いてくれない脳ミソをフル回転させ、あたしは思い出すようにまた机に寝転がった。外はもう綺麗なオレンジに染まっていて、言うまでもなく夕方の景色だった。
「…置き去りにされた」
そう気付くのに時間は掛からなかったが直ぐに起き上がる気にもなれず、酷いとボヤきながら窓の外をボーッと眺める。
「…なんか」
誰もいないのをいい事に、あたしは思うがままに独り言を呟き始めた。
「…サイに、頭叩かれる夢見た…気が」
まだ余韻に浸っているのか、夢の中なのか頭がクラクラする。そう思った時、バッと視界に入るのは見覚えのある顔。
「夢じゃないよ」
突然聞こえた声にビクリと身体が跳ね、一気に現実に引き戻された。後ろからあたしを覗き込み脅かしたサイのせいで、心臓がもう酷く鳴っている。
「ずっと寝てるから、もう置いていこうかと思った」
「………なによ、それなら起こしてくれればいいでしょ」
「置いていくのも面白いかなと思っていたんだ」
「やな奴…」
あたしは溜息混じりに立ち上がり伸びをしてから、未だに激しく鳴る心臓を押さえたまま部屋の段差をゆっくりと下りていく。その後を静かに追ってくる彼は囁きかけるようにあたしの名前を呼んだ。
「××」
「…なに」
教室の扉をガラッと開けながら興味無さげに返事を返したあたしは、立ち止まることなく部屋を出る。
「さっきサスケ君の髪を抜いたのにはどんな意味があったんだい?」
「…あー、恋のおまじない。サイのせいで失敗したけどね」
「へぇ、女の子の間では怖い呪いが流行ってるんだね」
少し後ろを歩く彼の顔色を読む事は出来ないが、きっといつもの胡散臭い笑顔のままなんだろうなとあたしはフンと鼻を鳴らす。
「それと」
付け足すように呟いた彼に、まだ何かあるのかとあたしは素っ気ない返事をした。
「君は僕のことをどう思ってる?」
なぜそのチョイス?そう尋ねる前に、咄嗟に出てきたのは無愛想でデリカシーの無い人、その2つだった。だがしかし、これを彼に伝えれば同じくあたしもデリカシーの無い人だと言葉に詰まり頭を悩ませ、その後思いついたままに3番目の感想を言う。
「…絵が上手な人」
我ながら意味が分からないなと思いつつも、彼の返事が少しだけ気になったあたしはサイの次の言葉を待つ。だが、サイはあたしの思考を上回る反応を返した。
「…それは、特別な感情がないということなんだね。そうか、少し切ない…」
「は…?」
「いや、悲しい?こんな時はどう表現すればいいのか、よく分からないけれど」
「……」
何が言いたいのだろうか、あたしは歩みを止めることなく警戒するように彼の方を微かに振り返った。だが、彼の表情からあたしが得れるものは何も無い。テンプレートされた笑顔のままで、サイは憂いを帯びるような声で言った。
「どうやら僕は君に好意があるようなんだ」
足だけは止めないでいよう、そう思っていたのも束の間、まんまとその場に立ち尽くすことを選ばされ誘導されるあたし。
「頭を叩いたことは悪いと思っているよ」
「……」
「きっと、サスケ君に悪戯をする君に嫉妬したのかもしれない」
「………」
はーい!ドッキリでした!を待つかのように2人の間に不思議な空気が流れたが、直ぐ様それを掻き消すようにあたしは笑った。
「何急に。あたしは感じのいいブスじゃないからね」
もう少し言い返答もあったのだろうが、混乱した頭でやっとのこと絞り出せたのはコレだけだ。
「ひねくれた返事だね。それを僕はどう取れば良い?」
表情は変わらないものの、彼は不満気に呟いた。頭の回転が速い故に返事の早いサイ、隙を見せたくないあたしはそれについていこうと口を開く。
「…あたしは、笑えない人は嫌い」
確信を突くような言葉だが、彼は一層口角を上げた。
「おかしいな。君の好きなサスケ君も、そっちの部類じゃないのかな」
「…違うよ、サスケだって心から笑う時がある」
「心から?」
ふと彼の顔から貼り付けの笑顔が消える。暫く考えるような仕草をしていたサイだったが、何かを思い出したかのようにまた偽物の微笑みを取り戻す。
「断言出来る程よく理解し得ているんだね。それなら僕にも詳しく教えてよ、君の言う心からの笑顔ってのを」
まるでたかが外れたかのように、ジリジリと詰め寄ってくる彼。今までと違うそんな雰囲気にあたしは恐怖を感じた。まるで蛇に睨まれた蛙のような、無力なあたし。
「それとも、授業中に居眠りする君には上手く説明できない?」
不安になりそうな空気感を纏った彼に壁際に追い詰められ、あたしは大声を出そうと口を大きく開いたが、それを阻むようにサイは言った。
「ダメだよ。”お口、ミッフィーちゃん”」
「へ……」
早く、急かすべくそう言われたあたしは彼の雰囲気に押され思わず、昼間の授業中のように唇を尖らせた。そうすればサイはあたしの両頬を間髪入れずにガッと掴んでくる。あまりにも力を入れるものだから、あたしはきっとタコみたいに不恰好な事になってるだろうとなんだか恥ずかしくなった。すると、それを読み取ったかのように彼はあははと笑って言った。
「タコだ」
「……なによ!」
まさか口に出されるとは思わない。恥ずかしさのあまり彼の手をパンと払いのける。すると彼は楽しそうにくっくっと笑ってから、あたしの手と自分の手を繋ぎ止め壁にきつく押し付けた。
「君が上手く言葉で説明出来ないのなら、手っ取り早く僕にも体験させてよ」
「どういう、意味…」
「簡単な事さ。君はミッフィーでいれば良いだけ」
意味深な彼の微笑み、あたしは決して真相が分かった訳ではない。だがその言葉にぞくっと背筋が凍った。そして壁に固定されたまま、否応無しに押し付けられるのは彼の柔らかい温度のある唇。生温く不思議な感触にあたしは眉をひそめた。
「サ……、っ」
微かに開いた口から吐息混じりの声が漏れ、途端にあたしの太ももの間に割り込んでくるのは彼の足。そして彼の右手はあたしの腰をなぞり落ち、太ももの内側を撫でる。
味わったことのない知らない感覚がとてつもなく怖かった。
叫ぶどころか、息をするタイミングさえも分からないキスと、途方にくれるような感情に涙が溢れた時、彼は呆気なく感じるほど唐突になんの前触れもなくその唇を離した。
そしてあたしは、涙で歪む視界の中で見た事無いようなサイの笑顔を目の当たりにする。嬉しそうに笑った彼は、やはり嬉しそうに口を開いた。
「見てよ、これが心からの笑顔」
「……」
「…なんてね」
悪戯な微笑みと共にその言葉を残し、彼はあたしから手を離した。力が抜け、ズルリと壁にそって床に倒れこんだあたしは、昼間のあの衝撃を思い出す。後頭部を打たれゴーンと鳴るようなあの痛み。まさに今、あれ以上の凄まじい衝撃があたしを襲っている。
彼はあたしの感情と一緒に記憶さえも連れて行ってしまったのか、今まで誰を追って誰が好きだったのかもまるで思い出せない。
なのに、きっともうあたしは彼の笑顔を忘れられはしない。
2015.02.03