NARUTO1
□下弦の月
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もしも私が普通の子なら。
せめて、遊女でなければ。彼と。
「ぬし様、もう少し遊んでおくんなんし」
ツーっと赤い紅を引いた唇で男を呼び止める。振り向いた男は私の着物に触れて、そして肌に触れた。少しばかり乱れた髪で男を絡みとれば、もうそこから言葉など要らない。
夜明けが近付いた薄明かりの空を眺めて私は一つ溜息を吐いた。隣でイビキをかいて寝ている男とは、これで四度目の添い寝だ。体を許してはいない、ただ一緒に眠っただけ。私はまだ男を知らないのだ。それでもいつか、姐様達のように男と交わるようになる。そう思うと鬱っぽい気持ちになった。
朝は嫌いだ。眩しいほどの日光で自分の汚い姿を晒したくはない。早く夜が来て欲しい。今すぐにでも会いたい。
「花魁はどんな人が初めてだったの?」
昼八つの頃。女郎が自分達の時間を過ごしている時、私は花魁の部屋で彼女の背中に話し掛けていた。鏡台に向かう彼女の髪は高く綺麗に結ってある。
「ねぇ、花魁ってば聞いてる?」
「……廓言葉を使いなんし」
ジロリとこちらを睨んだ花魁。ツンとした横顔に、私は唇を尖らせて彼女を見上げた。
「…いいじゃん、別に。客の前ではちゃんとするし」
私は遊郭色に染まりたくないのだと花魁に言うが、言葉だけでここに染まったりしない程の意思を持てと彼女は言う。でもそれは、花魁がもう既に廓の頂点に鎮座していて、廓色に染まろうが元の言葉を忘れようがいつだって男が外へ連れ出してくれるからであって。
「………」
私がムスッとしていれば、彼女はまた鏡に向き直った。
「そのような事よりも、またお客をとったと番頭から聞いたぞ」
鋭い口調の彼女。私は最近入ったばかりの若い番頭の顔を思い浮かべる。
「…内緒にしててって言ったのに」
「わっちの世話をしているまではまだ客を取るなと言ったであろう」
「何もしてない。一緒に眠っただけ」
嘘は言ってない、本当の事だ。
下を向いて畳のほつれに爪を刺せば、花魁は通った声で言った。
「欲しい物があるならわっちに申せ。廓に居るうちは廓の決まりを守りな」
これ以上怒らせると後が怖いなと思い「はぁい」と消えるような声で返事を返した。だが別に欲しい物がある訳では無く、私はただ自分にも女の魅力があるという事を確かめたいだけ。花魁のように自由に男を操れる力があるのかどうか、試したくて仕方がないのだ。
「…うちは様はいつ来るのかな」
窓の向こう側に見える青空には、疎らな雲と空を駆ける鳥が見える。最後にうちは様とお話をしたのはふた月ほど前。そんなあたしを見て、花魁はしげしげと言うのだ。
「一人の男にそう入れ込むな」
「……」
「男など、結局は口先だけの生き物。本当に信用出来るのは自分だけだ」
「…わかってる」
返事をしたものの、きっとうちは様はそんなお人ではないと思えて仕方がなかった。きっと自由の翼をくださる。いつかここを出てあの方の元に、と何度夢見たことか。
「…そういえば、身請けの話はどうなった」
彼女の首筋は至極綺麗で、あたしは途端に嫌な顔をした。だがこちらを見ようともしない花魁。
「確か将軍様のご子息で名前は…」
言いかけたその言葉にかぶせ気味で、あたしは大きな声を出す。
「断るから」
すると彼女は少しばかり黙り込んだ後、小馬鹿にするべくフンと鼻を鳴らした。
「何をふざけた事を。打ち首にされたいのか」
「打ち首上等ね。それに、会ったことも無い男なんて嫌よ」
「覚えていないのか?会っておるだろう。お前が八つになったばかりの頃」
「なにそれ。そんなの覚えてないし」
頑なに拒否を示せば、再び静かになる部屋。花魁もとうとう呆れたのか「難しい娘」とだけ言った。
難しくなんてあるか。あたしはただ、ただ彼が好きなだけなのに。