空と海の間
□恋してしまった
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次の日、暗い気持ちで美術室の扉に手を掛けた。昨日のアレを見てからデイダラとは一回も会ってないし、あたしは一体どんな顔をして彼に声をかければいいのだろうか。
「……」
こんな時、サイみたいに作り笑いでもいいから笑顔になれればとふと思ったが、これじゃあダメだと頭を振るった。グズグズと悩む暇があるならもう行こうとドアをグッと引けば、その固さにあたしは驚く。
「え?」
何度も押して引いてを繰り返すが、ガタガタと音を立てるだけで開く様子を見せない扉。ぴたりと止まったあたしはハッとする。
「…今日はどの部活も休み」
朝礼でのカカシ先生の言葉を思い出してうな垂れた。あまりにも毎回毎回、どうしてカカシ先生の話を聞いていない自分にも呆れる。そして先程までの緊張感を返してくれと唸り声を上げつつも、何となくホッとした自分が居て、あたしはあまりのくだらなさに溜息交じりでさっさと帰ろうと鞄を背負い直した。
門までの静かな道を誰とすれ違うこともなくトボトボと歩いていると、テラスの方に人の影が見えた。青い空の下で一人、ベンチに座りスケッチブックに向かうその人物に驚く。
「あ…サイだ」
初めて彼の美術部員らしいところを見た。あたしはウキウキしながら彼の元に駆け寄り後ろからスケッチブックを覗く。
「なに描いてるの?」
「……なんだ、君か」
余程集中していたのか、少しばかり驚いたような表情をしたサイだったがまた直ぐにスケッチブックに向かった。らしいなと思いつつも、あたしは彼に頭を下げる。
「昨日、鞄ありがとうね」
結局あの後、部室に鞄を置いたまま帰ったあたし。サイはそれをわざわざ家まで届けてくれたのだ。頭を上げたあたしの目の前に微笑むサイが居た。
「軽かったよ、思った通り何も入ってないんだね」
「筆箱入ってるもん」
「持っていっても無意味な筆箱かい?」
「どういう意味よ」
あたしの質問に答えないサイに頬を膨らませながらも、その手元を覗き込む。
「あれ」
外に居るから、風景画を描いているのかと思ったが違った。スケッチブックには複数の連なる虎や、狐、主に動物が描かれていた。
「へー、なんかサイっぽい」
黒一色で描かれたそれに頷きながら、どうせ帰っても暇だしとあたしは彼の隣にゆっくり腰掛ける。
「サイは描かないの?」
「え?」
「動物のサイ」
「別に…どちらでもいいかな」
「じゃあタイトルは?」
「無いよ」
即答だった。その返事にあたしは目を丸くしてからスケッチブックに視線を戻す。
「え?無いっていうかさ、普通考えない?その時思った事とか、これの印象とか。あ、例えばさ…」
例を出そうとしてサイの方を見たあたしはふと動きを止める。作り笑いのまま、ゆっくりと口を開いた彼の唇の動きを目で追った。
「何も思い浮かばない、何も感じないんだ」
「ふぅん」
あたしは鼻から空気が抜けるような返事を返した後、やっぱりと付け足した。
「どうりで無神経な事ばっかり言うと思ってたの」
あははと笑ってから、あたしは良いこと思いついたと彼の顔を覗き込む。
「無題。でよくない?」
「え?」
「無題っていうタイトル。無理矢理変な名前つけるんじゃなくてさ、敢えて無題だから無題で」
「…あぁ、そうだね」
本当に何のこだわりもないらしく、彼は興味無さげに返事を返した。まぁなんでもいいかと髪をかきあげたあたしに彼は筆を走らせながら口を開く。
「昨日、どうして戻って来なかったの?」
「え?あ…うん、お腹痛くなっちゃって」
頭を掻いてヘラヘラと笑えば、不安になりそうな空気を連れた彼はあたしをチラリと見た。
「鞄を置いて行く程?」
「そうなの、面白いでしょ」
何事もなかったかのように微笑めば、サイはスケッチブックに視線を戻した。
「二人共怒ってたよ、どこ行ったんだって」
「ふぅん…」
「嘘」
「………何よ」
怒りたいのはあたしだよ、とは言わなかった。サラサラと冷たい風が髪を撫で、あたしはぶるっと身体を震わせる。
「あたし帰ろうかな。サイは?」
「もう少しここにいるよ」
「そっか、じゃあ」
手を振って立ち上がれば、ひらっと揺れたあたしの右手を彼は間髪入れずに掴んだ。その体温に少しばかり驚き、足を止めたあたしを彼はゆっくりと見上げる。
「君をそんな顔にさせたのは誰?」
「…あたし元からこんな顔だよ」
口角を上げて笑顔を作ると、サイはあたしの手をキツく握った。その強さがとても切なくて、あたしは目一杯笑って痛さを掻き消した。