Short

□Today is the first day of the rest of your life
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ゼミ室は、静かだった。

図書館は閉館が早いし、わざわざ1人ぐらしの部屋に早く帰ってすることもない。かと言って集中出来ないし。だから、俺はよく試験勉強に、大学のゼミ室を利用していた。

文系学部はそんなことは無いが、泊まり込みで研究に当たる学生も理系には少なくない大学は、不夜城とまでは行かずとも基本的に遅くまで開いている。鍵さえちゃんと管理すれば教授に咎められることもなかった。



「……っあー!んーっ…」
―ふと目が覚めて、頭で状況を整理してから
冷や汗をかく。

分厚い判例集のコピーと向き合っているうちに、静かな部屋で、俺はうっかり寝入ってしまったらしい。もちろん1人なので、こんな部屋で誰にも気づかれっこない。
―腕時計が示した時間は、実に午後10時半。
机に突っ伏したせいで絶妙に痛む背中を老体みたいに労りながら、まだぼんやりする頭で漠然と「どうしよう……」と思った。

大都会では無いので、終電は確か11時過ぎ。

俺は間に合わないだろうなと心の中でなかば諦めつつ、結局鞄に机の上のものをそのまま放り込み、全速力で最寄り駅へ駆け出した。


結論から言うと、間に合わなかったのだ。まぁ分かってはいたのだけど。
ちなみに努力は称えて欲しい。
「っはぁー……」
息を上がらせて肩を上下させながら、目の前で発車した電車を見送る。待ってくれたっていいじゃないか!!!

「どうしよ…」
『うゎおい!!!あっちゃ〜!!!』

思わず呟いた俺に、重なった声に、
振り向く。

「…たなか?」
「え!!松村じゃん!!!!」

派手な髪色と、耳に光るピアスと、不健康そうな細身と、煙草の匂いと、ブランドもののゴールドのアクセサリーと、

それから、あぁ、そう
美しく整った顔と、何故か人の良さが出る笑顔。


終電を逃した俺に声を重ねたのは、腐れ縁と言った方が正確な、あまりにも自分とかけはなれた、幼なじみだった。



―そう言っても口ほどにもない。
ただ、小学と中学が一緒だっただけだ。何の因果か俺たちは中学の3年間、クラスが離れることがなかった。
田中樹は昔から変わらなくて、ひどく暗かった(言っておくが今だって別に明るくないことは自分でわかっている)俺にも、さしたるめぼしい反応が返ってこなかったのが逆に楽だったのか無遠慮に話しかけて来る奴だった。
仲がいいと勘違いした教員が、田中のテスト勉強を見てやるように、と俺を指名した時は、部活がテスト期間で無いことに永遠に文句を言ったり、俺に陽キャ特有のだる絡みをしたりしながら、存外おとなしく勉強に取り組んで居たのは印象的だ。

なんとなく縁のようなものを感じていたから、高校で離れたのは、納得なはずなのにしっくりは来なかった。同じ高校に行きたかった感情は無かったが、示し合わせるようなことをする程の仲でも無かったことを気付かされたのは、高校生になってからだった。
田中は地元の私立高に進学して、俺は電車通学が必要な進学校に合格を果たした。高校の3年間、彼が何をしていたのかを俺は知らないし、知る権利もこちらの様子を伝える義務も持っていなかった。
多分俺たちは、友達ではない。


そういう意味で初めて彼に驚かされたのは、だから大学で再会した時が最初だったんだろう。

入学式、スーツ姿で俺の肩を後ろから叩いた田中は、中学の卒業式ぶりに、俺の苗字を雑に呼んだ。

―「いいかげん、連絡先交換しようぜ。」



「お前も今の終電?」
ボディータッチが多いのは相変わらずで、質問がてら無遠慮に肩を叩かれる。
大学生になって再開した田中は、まぁ予想通りと言うか、お見事な成長を遂げていて、洗練された陽キャの中の陽キャと化していた。ぶっちゃけいくら馴染みとはいえ、俺なんかに未だに話しかけてくるのが不思議なくらいだ。

「あ…勉強してて……なんか、ごめ…」

悲しいかな別に返答をするのは悪いことではないのに無意味に謝ってしまう陰キャの性。
やっとやっとで声を返すと、聞いてるんだか聞いてないんだかでぽんぽんと会話に巻き込まれる。

「マジかー!俺もそこで昔の…高校の友達と飲んでてさ!!はぁ〜やらかしたわー」

金色の時計(正直、俺のセンスで見させてもらえば趣味が悪いと思う。別にいいけど)を眺めながら、セリフとは裏腹にちょっと楽しそう。全くもって共感できないし訳が分からない。

久しぶりに話したけれど、やっぱり生きる世界が違うな、と思う。
どちらがいいとか悪いとかではなく、色々と「交わら」なさすぎる。
そして多分田中はそんなこと、考えていやしないのだろう。

「まじどうしよー…流石に歩けないしなぁー」

くるくると忙しい田中のせいで、俺も終電を逃しているのだがどことなく焦って対処法を探し始めるタイミングを失ってしまった。肩透かし。
ぼーっと見つめていると、思いついたように俺の方を見なおった田中と、ぱっちり目が合ってしまった。

「分かった!!!!松村いっしょにタクろう!!」

「……はぁ!?」

―何を、急に。

「どうせなら安く済んだ方がいいじゃん!」
「いや、俺の部屋…逆…」

「泊めるから!」
「はあぁぁぁ!!?、?」

いよいよ本格的に怖い。怖すぎる。

あまりの急展開に頭がついていけない俺を後目に、田中はもう駅の入口へ歩き出していた。

「ちょ…っと待って!ほんとに待って!!」
「えっ、だって松村お前この辺に泊まるとこあるの?それか誰かに迎えとか…?」
「…っいや…ない…けど……」
「じゃいいじゃん。明日休みだし、泊まってけば。」

本当に
田中にとっては本当に、どうでもないことなんだろう。大学の同級生を泊めることくらい。

筋金入りの陽キャは、あまりにもあっさり、俺をこの夜に引き込もうとする。

「…行かない」
「なんなんだよ、置いてくのも後味悪ぃって」
「逆方向だっつってんじゃん。しつこい。」

「1晩くらいさ、友達じゃん?」
「っ!お前と友達になった覚えはねぇよ!!彼女でも呼べばいいだろ!」
「………え?」

おかしな癇癪を起こしていることは承知で、けど止まらなかった。

「松村、お前マジで言ってんのか」
「…っしらねぇよ!……っ!」


「……そんな拗ね方されたらさ、俺ちょっと引き下がれないんだけど。」


人のせいにしながら自分が1番わかっていた。
ほんとうは、俺にだって、今から電話をかければ大学のすぐ近くに泊めてくれる友達くらい、いないことは無いのだ。1人でタクシーに乗って帰る選択肢だってないでは無い。

あぁ、でも。


「悪い。久しぶりに会えたから…突っ走っちゃって。
信じないかもだけど、…初めてだわ。人泊めるの。
北斗まだ料理得意?夜食作ってよ。」

「!!飲んできたんじゃねぇのかよ…
…ってか…!名前……」

「ん?あぁ…なんとなく、呼んじゃダメな気がしてただけで…俺ずっと北斗って……うっわ何これ恥ずい!!!!」


―でも。



多分俺たちは、友達ではない。
あまりにも、住む世界が違いすぎる。数多の動物がそうであるように、人間だってまた、カテゴライズというものが存在するのであろう。

俺は目立つのが嫌いだし。
出来ればひっそりと、静かに生きていきたい。
その気持ちに嘘はないし、どうしようもなく性分にあっている。そんなことはわかっていた。

それでも、

いつでも楽しくて、きらきらしてて、華やかで忙しくて。そんな世界に住んでる

羨望や憧れではなく、
嫉妬や敗北感でもなく、

ただ単純に俺はそんな田中のことが好きだったのだ。


一生、交わることはないと思っていたけれど物事はいつでも急で暴力的で。


「あーもう!行こうぜ北斗!!!」

今日くらいは、この夜くらいは、
差し伸べられている手を掴むことくらいは、許されるだろうか。

「じ…じゅり、」

震える声で初めて呼んだ下の名に、樹、は満足気に微笑んだ。
やっぱりどうしようもなく眩しくて、夜なのに目を細めてたくなる。

じゅり、って、口の中で転がすみたいに呟いたら、今度はいよいよ照れくさそうに笑う。

小学生の頃の自分に、見せてやりたいような、秘密にしておきたいような不思議な気持ち。


何かが始まるんだと思う。始まって欲しいとさえ思う自分がいることにも、さすがにもう気づいていて。
無難だと思い込んでいた俺の人生にも、それなりにサプライズってもんがお誂え向きに、用意されていたらしかった。



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