Short
□Love is Nature’s second sun
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自販機の前で、時間をもてあましている。
コーヒーが苦手だった。
いや、断じて飲めない訳では無い。苦いものも辛いものも、なんなら酸っぱいものだって嫌いではない。
ただ、もし例えばドリンクバー。あるいは喫茶店。
様々な種類の飲み物が用意されていれば、俺がその中からコーヒーを選ぶ可能性は、限りなくゼロに近いと言っていいだろう。だって煙草を吸った後でもなければ、あんな苦いもの好んで飲む理由が、見当たらないのである。
それと、これは本当におまけ程度の理由だけれど。
大昔の苦い恋心が、思い出されるから嫌いだった。
中学生の頃、ハッキリ言って謙遜もバカバカしいくらいに俺はモテた。
小学生の頃から友達は多くて運動もそこそこに出来たけれど、中学になって手に入れたバスケ部という称号とは想像以上に強いカードだったらしく、あとから思っても人生最大のモテ期が、人生でいちばん楽しい時期に訪れた俺は、もう本当に心の底から中学校生活を楽しんだし、まぁそこそこに女性関係を充実させた。
そんななか、唯一俺とハれるくらいモテていた、美丈夫な小学からの同級生で、なおかつ何故か3年間ずっと同クラスだった秀才、それが、松村北斗だ。
最初に彼の名前を知ったのは、最初にクラスメイトになった小2か3の自己紹介だったのだと思う。ただ、俺たちはお互いの家に行ったこともなければ、一緒に放課後に鬼ごっこやサッカーをして遊ぶ仲間でもなかった。そもそも松村は空手の習い事で忙しい印象しか無かったし、テストの点数はいいけど付き合いは悪いやつ、程度の認識だった。
きちんと彼の存在を明確に意識するようになったのは、中一の頃、女の子から彼の名前を聞くようになってからだと思う。
あのこね、マツムラくんのこと、好きなんだって。
世間話をするようなテンションで話しかけてきたその子は、ほかの女子の名前を挙げながらそう言った。
しばらく考えてそれが、小学からの同級生で現クラスメイトのイケメンを指しているのだと気づく。
以来、俺は何かと松村を意識下に置き、そしてそれと比例するように、松村の名を女子から聞くことが増えていった。
距離を詰めるのには、俺でもやっぱり少し緊張した。
いつも教室の隅で、勉強しているか本を読んでいるかの松村。身長は多分俺より高いのに、なんかちまっとしてるし、足は早いけれど、球技はからっきしで。水面下であんなにモテているけど、本人はまるでそんなことを思う素振りすらない。異様に人間味が薄い。あまりに俺と正反対のこの男に、果たして俺は相手にされるのだろうか。同年代の人を怖いと思ったのは、思えばこれが最初で最後だったかもしれない。
意外なことに、話してみればなんてことも無い。寧ろ面白くてノリの良い奴だった。普段あまり喋らないからなのか、話すスイッチが入れば1から10が返ってくるタイプで、かといってこちらから特に用もなくたらたらと話しかけても、はぁうんおおはいはいと、温度のあまり感じられない返事をそれでもきちんと返し続けれくれる距離感は心地よかった。
別に大親友になったりはしなかったし、
結局家には行かなかったし呼ばなかったし、
最後まで苗字呼びの距離が縮まることもなかったけれど、俺も松村も、どこかで同じような感覚を、多分、お互いに対して抱いていた。
そして俺は、ふと気づくことになる。
それは、先生に田中樹の家庭教師のご指名を受けた松村が、渋々ながら俺のテスト勉強に付き合わされていた時の事だった。
と言っても多分、ただのきっかけでしかなくて、スイッチはなんだって良かったのだとも思う。
教室の西側から差し込んでくる日差しと、綺麗になった黒板をバックに、俺の教科書とノートを向かい側から覗き込む、伏し目がちな美しい顔、そして、机のブラックコーヒー。
『ねぇ、それくれない?ひとくち。』
それが、ふとこちらを向いた瞬間、せっかく覚えた面積の公式が吹っ飛んで、俺は気づいてしまった。
俺は今、とんでもない優越感を感じている。
このクラスメイトを、たった今この角度で、独り占めしていることに、
誰にともなく、優越感を感じているのだと。
目が合って、もうそこからは早かった。
元来思い悩む性格ではない、いや、いっそ難しいことを考えるのが苦手だ。俺の脳は、結論を急いだ。
あぁ、好きなのだ。
そのために俺たちは、友達にならなかったのだ、
テストの出来は思っていたよりは良く、両親は俺を褒め教師は松村に例を言った。
俺は、うわのそらで、
松村が1口くれたコーヒーの味を、ずっと思い出していた。
大学で再開したことを、おそらく松村は偶然だかなんだかだと思っているだろうけれど、悲しいかな俺は、必死で勉強をして何とかしてこの大学への合格切符を手に入れた。松村の進学した高校は県内でも指折りの公立進学校だったから彼以外に同じ学校からの進学者はいなかったけれど、地元の私立に進学した俺にはツテがあったから、情報は得ようとしなくても風の噂で俺に届いた。
『いい加減、連絡先交換しようぜ。』
入学式の日、ずっと探してようやく松村を見つけた俺は、3年間熟成した台詞をようやく口に出した、と、言うわけである。
松村は大学生になっても変わらなかった。多少垢抜けてみため明るくは見えるが、黒髪は相変わらずだし、真面目な性格も変わらない。笑顔を滅多に見せないところも、その笑顔の破壊力も健在だった。
かと言って、学部も違えば生活圏も被らない俺たちは、連絡先交換という1歩を遂げたとはいえめぼしい距離の縮まりは見られず、相変わらずの絶妙な関係を飽きずに続けていた。
そう、今日まで、である、
学食に向かう途中、ふと気が向いて階段を使い降りていってみたら、途中のゼミ室の明かりがつきっぱなしで、少し扉も空いていることに気づく。こんな時間にゼミ室に明かりがついているのも、扉を開けっぱなしな不用心さも気になって静かに近づいて、
息を、のんだ。
―机のひとつに突っ伏して、
松村が寝息を立てていたのだ。
時間はもう夕飯時だった。机の上を見るに勉強中のようだったので、俺は扉だけ閉めて、なにかまずいものでも見てしまったようにその場をあとにする。
直後、学食であった友人に、このまま飲み会に来ないかと誘われた俺は、
「…いや、パスで。」
「珍しいね」
「ちょっと、用事が。」
タバコに火をつけながら、脳裏には寝こけた松村の顔を思い浮かべ、無意識のうちにそう答えていたのだった。
終電の時間まで、行きつけの小さな居酒屋で、酒は頼まずにぼんやり過ごした。
色んなことを、思い出して。
ふと、コーヒーが飲みたいと思った。
「おじちゃーん、コーヒーない?」
ふざけて聞いて見たけれど、居酒屋で出すかそんなもんって一蹴されて苦笑する。
居酒屋を出て、ふらふらと時間をもてあまし、
酒を飲まなかったから喉が渇いて、駅近くの自販機の前で立ち止まった。
そういえば、俺は松村がコーヒーを好きなのかさえ、知らなかった。
もし、何もかも上手くいって、
本当に何もかもが上手くいって、太陽が登ったら、朝にでも聞いてみようと心に決める。別に飲めない訳では無いのだから、いかにも好きなのにきらせていただけのような素振りで、一緒にコンビニまで買いに行けばいいのだ。なんてことは無い。
それに多分、その頃にはあの苦味と一緒に思い出される感覚も、少しは違ってくるだろう。
夜明けまでは、まだ数時間の猶予があった。
終電の5分前になったことを確認した俺は、スニーカーのつまさきを少し鳴らして、改札へと走り出した。
何かが始まりそうな気がするし、始まって欲しい気もする。
けどほんとうは、どっちでも良かった。この夜がなくたって、どうせ俺の中ではとっくの昔に始まってしまっていた。
だからせめて、終わるなら今が良くて、明けるならこの夜がいい。
『…たなか?』
あぁ、早く、出来るだけ早く、この夜が明けますようにと、
予定調和並に理想的に、まるで夢の中みたいに振り返る彼に、真っ暗な深夜なのに眩しさすら感じながら、ただひたすらにそう願っていた。