さんぶん

□松村先生の問題[5]ステージ選択
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季節というものは嫌に呆気なくて、時間というものはたまにおどろくほど非情だ。


「あーーーーこんなに来て欲しくないと思った春は初めてだよ……」



部活が長引いたせいでいつもより少し遅い時間、家に帰ると、先に着いていた北斗先生が、おかえり、と俺を迎え入れた。
軽く挨拶をしながらカバンを片付けると、北斗先生も何やらレジュメを広げていた机の上を片付けて、椅子から立ち上がる。勝手に使ってた、ごめん。って謝られたから、俺も遅れてごめんなさい、って挨拶した。

「何してたの?」
「大学で資料印刷してきたやつ、とりあえずでファイルに入れちゃってたから整理しなきゃと思って」
「えっ、それ終わらせてからでもいいのに」

「…お前、勉強したくねぇだけだろ」

バレたか、俺が笑いながら言うと、北斗先生も釣られたように少し笑顔になる。


「…あぁ、慎太郎、それ」

俺がカバンから出してまとめて机の上にあげたプリントの山に目をやり、その中の一つに北斗先生が声を上げてそれを拾い上げた。
「あっ、やめて、それ見たくないやつ」

「…お前なぁ……」

ひょい、っと目の前に掲げられたプリントには、下の方に3段ほどの空欄の表が作られていた。

―横には、第1志望、第2志望、第3志望、の文字。

ここまで来れば俺がいくら現実から逃げていようとて誰にでもわかってしまうだろう。
そのてっぺんには、でかでかと憎たらしい明朝体で

『進路希望調査書』

はぁ、っと北斗先生がため息をついて、そこで冒頭の俺のセリフ!
「あーーーーこんなに来て欲しくないと思った春は初めてだよ……」
はいっ!カット!



…って、パタンとカット割り出来ればよかったんだけど。現実はそうもいかない。

季節というものは嫌に呆気なくて、時間というものはたまにおどろくほど非情だ。

北斗先生がここで家庭教師をし始めてから、実に半年とちょっと。
いつの間にか、過ぎていた時間が俺をなりたくも無い「受験生」という存在に仕立てあげようとしていた。


「…まぁ、もうすぐで年度変わるしな。お前知ってる?もう今年のセンターつい先週末に終わってんだよ?お分かり?明確にいえば今お前もう受験生よ?」

畳み掛ける北斗先生のセリフにヴッ!ぅっ!といちいちグサグサ精神干渉を受けながら、最終的には俺も大きなため息をつく。

勉強自体は、北斗先生のお陰で概ね順調と言っていい速度で進んでいる…と、思う。そもそもスタート地点がスタート地点だったせいで、ほぼ人生で初めて勉強というものにまともに取り組んだ俺は、やつぱりビギナーズラックというものなのか、大幅に点数をあげることに成功したし、勉強そのものに対する嫌悪感も北斗先生の存在も手伝いだいぶ薄れては来ていた。いまなら、時間に遅れそうでもどうせ遅れるからとタガを括ったりしないで慌てて帰ってくる程度には、この時間を楽しみにしている自分だっている。

だけど、それと受験では話は別だ。

とかく、受験そのものと言うよりは、進路調査とかこういう…受験に伴うプレッシャー、独特の空気のようなものが、得意ではなかった。

「…まぁ、程々に頑張れよ。それはとりあえず期日までにちゃんと出せよ。俺は今ん所まだはっきり決めるほどの時期でもないと思うから口は出さないわ。」

そう言って授業をする体制に入った北斗先生に従い、俺もプリントと参考書を手近の備え付けになっているラックから取り出して開いた。



「…ホントどうしよ…」
「あー、調査書?」

休憩中、今日も今日とて嬉しそうにチョコレートをもぐもぐと食べている北斗先生は、甘党なことを本人は否定しているけど流石にもうバレている。
うちのお父さんの仕事は不動産系で、何かと頂いたり買ってきたりとしたお菓子を北斗先生に出しているだけなんだけど、ひょっとしたら親父、北斗先生の為に不動産してんのか?…絶対違うな。

「うーん…やりたいこととかないの?文系だし学部からもう迷っちゃうよな。」

…やりたいこと…

「分かんない。サッカーは続けようと思ってるけど。」

なるほどねぇ…そう言って北斗先生は俯いた。

「サッカー強いとこっても色々あるし…学部まで書くようだしな、ソレ。」



くいっ、とまた綺麗な動作でプリントを指し示し、そのままその首を捻る北斗先生。

ぱちん、とまばたきをひとつして、


「…―あ」

そして、
唐突に思いついた。


それはバカバカしくて、無謀かもしれないし、ひょっとしたら北斗先生が許しても担任から文句食らうくらいの夢物語かもしれない。

けど、最初に言うべきなのは、やっぱりこの人だと思った。

この人になら、言う価値がある。
そして同時に、
この人になら、聞く義務がある、とも思うのだ。


「北斗先生。」
「?」

またひとつ、チョコレートを口に含んで、北斗先生が俺の声に反応してこちらを見た。



「ここにさ、北斗先生とおなじとこ書くのは、ダメかな。」



先に言っておくと、俺だって馬鹿だけど阿呆ではない(と思っている)。度胸があると言ってもらうことも少なくなかったけれど、そんな俺だって流石にコレを言うのには、ちょっと所ではない勇気を要した。それだけは、認めて欲しい。


北斗先生は、最初こそ驚いて息を詰まらせるように飲み込んだけれど、俺が本気で言っているとわかると1度、ため息をついて、まじめに考えるように視線を逸らした。


「…正直、厳しいと思う。

でも、今からもう諦めるには……ちょっと…

……―ちょっと、希望が拭い去れなすぎる。」

言い回しは遠回しだったけれど、驚いた顔をキープしたまま、それでもどことなく、笑顔になった北斗先生がまた、調査書に視線を戻したから「そういう」ことで間違いないんだろう。


「…北斗先生がいいって言うなら、俺ほんとに書くよ。」

最終確認でペンを持って、なるべく努力して、北斗先生と目を合わせた。まっすぐ。

そしたらあろうことがまた、彼は笑って、静かに言った。

「いやおまえ、書くだけじゃダメ。
…頑張れよ。別にわざわざ俺と同じ学部じゃなくてもいいと思うから、出すまでにちゃんと調べろ。パンフも持ってくるから。」
「分かった。ありがとう。」


「…あと。」
「?あと?」

北斗先生は、思い出したようにもう1つ、綺麗に爪の整えられた指で、チョコレートを掴んで口まで運んだ。

「…浪人はナシ。」「うーん!頑張る!!」
「そうじゃなくて」

「…え?」


「―だから、俺ももう次は3年になる、から。」


俺は阿呆では無いけど、馬鹿だ。
だから、そう言われた意味を真に理解するまでに、少し時間がかかった。ちょっと沈黙が流れて、ようやくその言葉の指し示すところを得る。

「…言っとくけどさっきのだって、卒研ゼミの、選考資料…だし。俺、お前のために浪人は、しねぇし…」


「…それって!」
「だー!!っるせぇ!静かに!」
「いやまだ何も言ってない!」
「じゃあ顔がうるせぇ!!!



だってお前だって、そうじゃなきゃ来たって仕方ないでしょ。」


―なんなんだこの人は!!??
俺の事を弄んでいるのか!?どうなんだ?!

いい加減疑わしいくらいあざとい台詞を吐いて、終わり終わり!!って立ち上がった北斗先生は食べ終わってしまったチョコレートの皿を持って部屋を出ていった。
…返すつもりだろうけど、どうせまた、別なチョコを入れられて帰ってくるのが母親の顔と一緒に予想出来た。



「ねー北斗先生〜〜キスさせてよー」
「だから言ってんじゃん、ダメ。」
「ねぇー俺の分もチョコあげるから」
「…食べ物で釣る男はモテねぇぞ。分かんないけど。」

俺が好きって言うのも否定したり突っぱねたりしない。
ましてや、自分からゲイだってことを明かしてきたくらいだから、その辺については割と開放的だし、性格ほどの硬い部分も見受けられない。
彼氏はいない。すくなくても彼の言葉を信じるなら。

一緒の大学に行きたいと駄々をこねた俺に向かって、自分がいなければ俺だって来る意味が無いだろうとまで言ってのけた。しかも恥ずかしそうに顔を俯かせながら。いや、微塵も間違っては無いんですがね、

…それなのに、相変わらず、
どことなくつれない。

本気で言ってるわけがないと相手にされてないのだろうか。
それとも逆に、人の意を汲み取るのは上手な人だし、俺が本気で言ってると知って敢えて、受け流しているのか。

どっちにしろ悔しい。年下だからって如何なものか。


「…―俺に一緒の大学来て欲しかったくせに」
悔し紛れに行ってみたら、面白そうな顔をして、それにアンマッチなため息を重ねた。

「はぁーーー…確かに、自分の学校に入れる為にお前に勉強教えんの、フクザツな気持ちだな」
「ハイトクカン?ってやつ?」
「断じて違うな、かけ離れてるな」

そう、俺と北斗先生、やっぱり相性は悪くないと思うんだけどなぁ。

…いつの間にか普通に北斗先生の事が好きだし、
最近は正直性的な興奮を覚えることもある。

(―大丈夫まだこの人で抜いてないから。セーフ)

けれどなんかそういうこと以上に、この人との会話は感触が、なんというか『悪くない』のだ。体に良さそうな、芯に近い部分が綺麗になっていくような子気味よさと心地良さがある。

だから、俺は1度でいいから、北斗先生が俺をどう思っているのか、知りたいと思う段階に、突入してしまっているのだ。とっくに。

…まだ鍵が、見つからないけれど。

焦らずに行けばいい。長期戦になることは察していたし、とりあえずあと数年の免罪符は手に入れられた。



「なんか1種のプレイみたいじゃない?興奮はあんまりしないけど」
「…うーん…否定できないのが辛い。」

俺の軽いセリフに今度こそ複雑な顔をした北斗先生は、プレイねぇ…と呟きながら参考書を再度開いたけれど、まぁ勿論2限目に集中できなかったのは…言うまでもない。



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