松村せんせいの問題

□[2]分岐ルート
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「おい、そこ違う」
「あ……え…っと…?」

「その公式だと、ここの部分の式しか求められてないでしょ。もう1箇所、こっちの部分は別に計算しないと。」
さらさら、すーっ、って音がしそうななめらかさで、俺のルーズリーフの上を滑る北斗先生のダークブルーのボールペン。

「ふぉ……北斗センセひょっとして天才?」
「うざ、早くもう1回解いて。」


あの後、結局(北斗先生の素を見ることも無いまま!)この大学生をやたら気に入った母さんは、当初予定していた数学だけでなく、英語まで俺の勉強をこの人に丸投げすることをあっけからんと決定し、
俺は、なんと週三回も北斗先生と顔を合わせることになった。


「…出来たじゃん」

俺の手元を見て、顔はルーズリーフに固定したまま、満足げに呟く北斗先生、
なんだかなぁ、と思う。


なんだかなぁ。
なんだって俺、顔がニヤけるのを止められてないんだろうな。
これじゃ、俺が喜んでるみたいじゃない。

裏表が激しい、偽装いい子ちゃんなツンデレ家庭教師。
突如、俺の前に現れたこの人に、心を許してるみたいじゃない。

心を許してる訳じゃない、と、思う。
少なくても俺は積極的に会いたいと願ったことは無いし(そう思うほどのスパンなく会ってはいるけれどね)、かつてはいた彼女に抱いていたような、胸の高鳴りや、それとなぜか共存する、安心感を感じたことも無い。家族のように思ったこともなければ、教師として、全幅の信頼と尊敬を置いている、と言うような立ち位置とも言えない、いや、確かに頭も良ければ授業や教え方もすごく分かりやすくて、早速今日の単元テストで早くも北斗先生の教育の成果をお見せ出来ることになりそうな手応えではあったんだけど…


そういうのとは、もう少し違う、気がする。

あえて例えるならば、連載漫画や連ドラを楽しみにする感覚に近いような、気がする。

続きを待っている。
1週間を長く感じる。

この人のことが、もっと知りたい。

笑顔は可愛いけど、普段はすまし顔で、冷たくて。
優秀だけれど、素では口下手で。
乱暴な口をきくのに、食べ方が綺麗で。
不器用だけど優しくて、
口数は多くないけれど、たまに触れる手がすごく暖かい。

北斗先生のことが、もっと、知りたい。
そう、例えば…


「ねぇー北斗せんせ」
「何」

今日のおやつは、バームクーヘン。
お母さんに頼んでおいたら、2回目の授業から北斗先生のぶんの飲み物もコーヒーが出てくるようになった、俺に声をかけられて視線をくれながら、ぱくつく顔は前回のドーナツの時よりも若干嬉しげ(俺推測)。つまり北斗先生の中ではドーナツ<バームクーヘン(推定)だ、収穫である。

もっと、北斗先生のことが知りたい、
近くに置いて欲しいとか、何かを求めたりはしないから、ただ俺に、北斗先生の色んなことを教えて欲しかった。色んな面が見てみたかった。
純粋に興味があった。
…そう、また例えば、

「彼女いる?」

「……え?」

…瞬間、北斗先生の顔が、見たことない温度まで凍りついたのがわかる。

やらかした、地雷だったか。
手汗と、背中を走る冷や汗が不快だ。

「あ…っいや、ちょっと聞いてみただけだから、もし答えづらいんなら全然いいの、いくらでも聞くことはあるから、ドーナツとバームクーヘンどっちが好きかなーとか…」
「慎太郎」
「はいいぃっ!」

「…お前、そんなに気になるの?」

「…まぁ、それなりに、」

―と言うか、結構。

頷けば北斗先生は、困ったように苦笑して、
休憩中だから閉じられていた問題集を開き直した。

少しパラパラと目をやって、あるページを開いて、手のひらで圧をかける。


「……解いてみろ。」
開かれたページは、さっきまでやっていた所の復習になりそうな問題。
正解かせる気がないパターンのチョイスではなかった。

「制限時間は、10分な。全部で5問あるから。正解数だけ質問に答えてやるよ。」
「え、いい…ん、ですか」

超展開すぎてつい敬語になった俺に、北斗先生は少し笑いかける。

「解けたらな、」


かくして、10分後。
響き渡ったスマホのアラームと、
緊張感の漂う俺の部屋。

「…よく出来てんじゃん。4点。」

ひとつの計算ミスを除き、マルで彩られたルーズリーフ。
満足げにうんうんと頷いた北斗先生が、ほら、って言いながらこちらに向き直った。

「…約束だからね、4つ。何でもいいよ。
嘘はつかない。」

俺は、謎の緊張を覚え押しつぶされそうになって、
テーブルの上のコーヒーに口をつけた。

「じゃあ、ドーナツとバームクーヘンならどっちが好きなの。」
俺の一つめに選んだ質問に、受け取った当人は少し驚いたように見えた。
「…そんなんでいいの?」
「いいから、どっち?」

「えっと…、バームクーヘンかな。」

内心すこしうれしい気持ちが駆け巡って、まただらしなく少しにやけてしまう。
「…当たった。」
「?」
「前回ドーナツだった。今回の方が、おやつの時嬉しそうだったよ。」

得意げに顔を上げたら、目が合う。
鳩が豆鉄砲…なんちゃら、みたいな顔をしていた。
目が点になってる、でも少し嬉しそうな気もする。
気のせいかな。

「…お前、その集中力勉強に発揮すれば。」

…気のせいだな。


「次は?」

「誕生日を、教えて欲しい。」
これには、あまり驚かれなかった。普通すぎたかな。別に驚かせなければいけない訳では無いだろうけど。
「お祝いしたいから!」
「絶ッ対やめて。…まぁでも約束だから。
…ちょっとケータイ貸せ。」

言われた通りにスマホのロックを解除して渡すと、勝手にカレンダーアプリを開いて、少しの操作をして返却。
返されたスマホを覗くと、6月18日のところに
『松村北斗』
ってイベント名が出来上がっていた。
梅雨生まれか…なんというかイメージぴったり過ぎて逆に裏切られた気分。


「3つ目、どうぞ?」

この質問は3つ目にしようって決めていたから、俺は迷わなかった。


「彼女はいる??」


北斗先生も来るならそろそろだろうと思っていたのか、はぁっ、とため息をついた。

「…さっきも聞いたけれど、そんなに気になる?」

あぁ、気になるのだ。自分でもよく分からないくらいに。
いや、むしろ…

「なんでこんなに気になるのか分からないから、知りたいのかも。」

直感で出た言葉だったけれど、北斗先生は納得したらしく、なるほどね、と呟いてもう一度ため息をついた。

「…いないよ。
いないし、作る気もない。」

「な…んで…」

それは、思春期男子高校生からすれば、当然といえば当然の疑問だった。
北斗先生は贔屓目に見なくてもイケメンだし、身長も高い。頭もいい。高学歴だし。ついでに、なんかいい匂いもする。
謙遜を挟む余地もないくらいにモテるだろう。
彼女がいない方が不思議だ。それは間違いない。

けれど何故か俺は、この答えが返ってくる可能性の方が高い気がしていた。


「『なんで』って、それが四つめで、いいの?」
「……」


何もわからなかった。
問題の答えへのたどり着き方も、
自分のことも、
あなたの事も。

だから、自分のことを少しでも知るために、

だから、俺は、
あなたの事が、知りたい。


「…俺が、ゲイだからだよ。」
「えっ?」
「だから、俺の恋愛対象が、男だから。
彼女なんてつくりっこないしできっこない。
ついでに、そもそも女に恋愛感情を抱かないせいで、慎太郎のご期待に添えるほどモテてもない。」

5秒間、俺らは沈黙し硬直した。
長すぎるくらいの時間をかけて北斗先生の言ったことを咀嚼する。
彼女はいない、作る気もない、
なんで?

―おれが、ゲイだからだよ…?

それなら

「…じゃあ、彼氏は?」

…驚きもしたし面食らったし俺は固まったけど、妙な納得もあって、そして何より、何よりも。
1番びっくりしたのは、あまりにも自然に自分の口から出た続けざまの質問だった。

―それなら、彼氏は?

声帯を通り越して体外へ届いたその言葉が、やまびこみたいに、やけに新鮮に耳からもう一度体内に入ってきて、飲み下して、心臓に届いた気がした。

そしてようやく実感する、


俺は、この人に、どうしようもなく
『惹かれて』いるのだと。


「教えてやらない、もう4つ答えたもん。」

授業終わる時間だし。

ふわっと立ち上がって部屋を出ようとする北斗先生を、
「あ、の」
慌てて呼び止めたけれど話題があるはずもなく。


俺にしては珍しく下を向いて、しょぼんとした俺を、見越してか否か北斗先生が口を開いた。

「俺にも1個くらい聞く権利ある?」
「…なんでしょう……」
「お前は?」


「…お前は?居るの、好きな奴。」


自分のことが知りたいから、北斗先生のことがもっと知りたいと思った。
北斗先生のことを、少しだけど知った今、
自分のことがますます、分からなかった。

「…好きな人、は、いない。
…と、思う。」

北斗先生は、
なんだよそれ、って、俺の解答をまた、馬鹿にする。


気になって仕方がない人なら、いる。
とは、去っていく背中に、ついに言うことは出来ずじまいだった。


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