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□境界線を越えて
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「…無理しすぎなんだよ、あんた。」

怒った声のその理由は、僕の心配だと知っているから。緩む口許を抑えきれない。

「キャパオーバーして壊れるっての。」

説教する唇を奪ったら、白い頬はどんな色に染まるんだろう。

それはきっと、僕の髪より美しい、朱。

「楓は優しいね。」
「…何企んでんの。」

訝しげな顔。気に食わない。

「誉め言葉は素直に受け取ったら?」
「赤司さんの場合、裏がありそうで怖いんだよ。」
「裏なんかないさ。」
「どうだか。」

見慣れた内装。当然だ、ここは僕の部屋なんだから。

「…不思議になってね。」
「ん?」

何が、というようにこちらを見つめる眼差しに、僕は微笑む。

…どんな些細なことだって、君の視線を奪ってられる間、僕は幸せなんだ。

「風邪を引いた男の部屋に、二人きりになると解っていて看病しに来るのは、何故かなと思ってね。」

挑発するように笑いかけると、楓は顔をしかめた。

「…他意はないよ。」
「そうなんだ。残念。」
「残念なんて微塵も思ってないでしょ。」
「思ってるさ。…本当だよ。」
「はいはい。」

いつだって、受け流す。本気にしてないんだろ、僕の言葉を。

「すまないが、そこにある本を取ってくれ。」
「…これ?」
「ああ。」
「ふーん、面白いの?」
「さあ、まだ解らない。」

面白かったら貸すよと言うと、本好きの楓が嬉しそうに笑う。

小さな手に持った本を渡そうと、ベッドに横たわる僕に近付いてくる。

…ねえ、少しは、警戒したら。

折れそうに細い手首を掴んで引き寄せた。何の緊張もしていない華奢な体が、その勢いのまま僕の上に倒れ込んだ。弾みで本が落ちる。構うものか、と思った。

「な、何するの。」

至近距離にある漆黒の瞳が僕を見つめる。瞠目すると楓の目は、普段より更に大きく見えた。

羞恥に染まる白い頬。その朱は思った通り、美しかった。

互いの吐息を感じる。楓の吐息は甘く、紅茶の香りがした。君が好んで舐める、あの少し高級な飴だね。

「自覚した方が良い。…君は女だってこと。」
「そんなの、解って、」
「無防備過ぎるんだよ。その上、鈍感だ。」
「そんなことな…」
「ああ、そうか。…気付いてないフリ、してるんだ。」

そう鎌をかけると、はっとしたように楓が息を呑んだ。『何に』気付かないフリをしているのか、言われなくても解ってしまうあたり、自覚があるんだろう。

白く、そして細い首。喉がなまめかしく、ごくりと上下する。

「まあ、そうだろうとは思っていたけど。」
「…。」
「怖いんだろ?僕の想いを受け入れるのが。だって楓は僕が好きだから、…戻れなくなる。」

手首を掴んでいた手を、薄い背中に回す。頭の両側でシーツに置かれた白い手は、何の抵抗もしなかった。

「楓が怖がりなのは知っていたから、待っていたんだよ僕は。ずっと…ね。」
「っ、」
「楓が楽にしてられる、生ぬるい『友達』の関係で我慢してたんだ。」

でももう限界、と頬に触れながら囁いた。右手に感じるその頬は熱く、そしてやわらかかった。白い喉がまた、なまめかしく動いた。噛みつきたくなる。

「ねえ、僕はとっくに本気だよ。後戻りなんか、するつもりない。」
「…!」
「だから、さ。そろそろそっちも、」

本気になってよ、と耳許に囁く。楓は耳が弱い。

ああ、良いねその顔。僕の声に、吐息に、ぞくぞくしてるって顔だ。

たまらない。

「…ごめん、逃げてばっかで。」
「悪いと思ってる?」
「…うん。」
「…、僕のこと、好きかい?」

こくりと頷く楓。ああ、漸く報われたと思った。きっともう、僕は彼女を手放せないだろうけど、赦してくれるだろうか。

「…付き合おうか。」

少し緊張して言うと、良いねそれ、と楓がはにかんだ。


風邪の熱に浮かされた夕方、彼女がひいた境界線を越えた。

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