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□ホテルにて。
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《イルミ視点》

深くは眠れない筈だった。そういう訓練をしてきたから。短い時間で体を休められるうえに潜伏に向いている…つまり周囲の動きに目が覚める程度には、敏感に眠る方法は心得ていたし、いつだってそうして眠っていた。それなのに。

「…楓?」

隣にあった筈の小さな温もりはとうになくて、どうしてと動揺する。どうして気付かなかったんだ。

ナクスモノカトアレホドチカッタノニ

楓がいた筈のオレの隣はまだ少しだけ暖かくて、楓の体温と香りが残っていてたまらなくなる。眠る前も、こうして目を覚ます前も、確かにここにいたのに、何故気付かないでいられたんだ。

考えがまとまらない。どうしたらいい? 楓に傍にいて欲しい。楓をなくしたくない。だけど叶わない。

「…っ何で…っ。」

オレが人殺しだからなのかな。だから君は離れたの? 今日が最後? そんなの嫌だ。


「あれ、イルミ?」


不意に、闇の中に大好きな声が響いて、オレははっとして顔を上げた。

「起きてたの? ていうか起こしちゃった?」

ぱちん、とスイッチを押す音と共に部屋に灯りが灯る。困ったような、申し訳なさそうな楓の顔が、こちらに向けられていた。

「…楓…。」
「ごめんね、一応起こさないように絶は使ったんだけど…。」

修行がたりないな、と笑う楓にほっとして、ほっとしたら怒りが噴出した。

こんなにも深く眠れてしまうのは君と眠るときだけなのに。

「何で…っ。」
「えっ?」
「何で黙っていなくなったの。」

考えるより早く口は動いて、それより早く体が動いていた。掴んだ華奢な肩が折れそうな位に、手に力を込めてしまっていた。

「ちょっイルミ…痛いって。」
「当たり前でしょ痛くしてるんだから。早く答えなよ。」
「…怒ってる?」
「…別に。」

けれどその質問は形だけで、実のところお見通しらしかった。ポーカーフェイスには結構自信があるんだけどな。

「ごめんね、不安にさせちゃったね。」

心から申し訳ないと思っているのが解る声と顔でそんな風に謝られて、いつまでも怒ってなんていられる訳もなくて。

肩を掴んでいた手が力をなくす。

「ちょっとお腹が空いちゃって。」

コンビニ行ってた、と楓がビニール袋を指す。

「…ルームサービスでも頼めば良いのに。」
「や、そこまでじゃないの。それにイルミを起こしたくなかっ、」
「そんな気遣い良いから。」

遮って強く言うと、漆黒の大きな目をぱちぱちと瞬いて、苦笑してから、

「ぐっすり寝てるみたいだったから、珍しいなって。だから眠っていて欲しくて。」

などと言ってきた。

「え?」
「前はすぐ起きちゃってたから…。まあほんとに結構前の話だけどさ。」
「…最近は結構、ちゃんと眠れてる。」

君がいるから、なんて言ったら笑われるだろうか。

「そっか。」
「だから気にしないで起こして。些細なことでも良いから、オレの傍から離れるなら絶対に。」
「…お手洗いでも?」
「ふざけないで。…約束して。」

頼むから、と懇願しながら、いつからこんなに弱くなってしまったんだと情けなくなる。それでも構わないと開き直って額を華奢な肩に埋めるように押し付けると、小さな手が頭を撫でてくれた。

「解った、約束する。」

ぬくもりを持った声でそう言われて、息をつく。誓って、と乞うと、誓うよと誠実そうな声が返ってきた。

ああ、普段は子供っぽいのに、こういう時大人なんだよね、楓は。オレが縛り付けて息苦しくさせているのに、笑っていてくれる。その優しさに甘えてばかりじゃダメだって解っているんだけど。

「…ゴメン。」
「ん?」
「オレ…重いよね、正直。」
「…まあ、ね。」

自覚あるんだ、とからかう声音は、けれどそれが目的なのではなくて、オレを安心させるためなのだと知っている。

解っている、オレは歪んでいる。愛しくて愛しくて壊してしまう。キルだってそのせいで離れてしまった。なのにオレはまた、学ばないで最愛の人を押し潰してしまいそうになっている。そのくせ手放す勇気も優しさもなくて、永遠に自分に縛り付けておきたいと思ってる。

「ゴメン、本当…ゴメン。」
「良いよ謝らなくて。あたしにも非はあるし。」
「違う…。オレは、楓を壊してしまいそうなのに、手放してやれないから…。」
「…そんなこと考えてたの?」

すっとんきょうな声が少し笑って、撫でる手の動きを止めて細い腕が抱き締めてくる。やわらかくて、あたたかい。

「イルミはあたしのこと大好きなんだねー嬉しいよ。」
「…当たり前でしょ。」

そんなことも知らなかったの、ねえ。オレはこんなにも君を愛してるのに。

「…もう二度と、黙っていなくならないで。何も言わないで行かないで。どこにも行かないでオレの傍にいてよ。」

かき抱くように、しがみつくように、すがるように、小さな体を抱き締める。愛しい愛しい楓。愛してる愛してる、おかしいくらいだ。

「…気が、狂うかと思ったんだ。」

発狂しかけた。君がいない事実を受け入れられなかった。君がいないのも、自らオレの傍を離れたのも、受容し難かった。いや、受容できる限界を超えていた。

「全然冷静になれなかった。探さなくちゃって思うのに、探すことは楓がいないことを認めるみたいで怖くて。」

感情なんて邪魔なもの、とうになくしたと思っていた。針で矯正済みだったし、そんなものに縛られる筈ないって高を括っていた。なのに楓が現れてから、全てが変わってしまったんだ。

君が笑うと嬉しい、初めはそんな単純で小さなものだったのに、少しずつ、けれど確かにオレの中で大きくなって。

おかしいんだ、どんなに針を刺したって消えないんだ。

「キルに言ったのにな…。」

闇人形。結局オレもそんなものにはなれちゃいなかった。熱を持たぬ、だなんて有り得ない。なれるわけがない。そんなこと、身に染みて解っている。

「…ねえ、ずっと傍にいてくれる?」
「イルミが望んでくれるなら、是非。」
「本当?」
「本当。」

抱き締め返してくる細い腕の力は弱くて、けれどそれさえ愛しい。

「愛してる愛してる…ねえ、どこにも行っちゃ嫌だよ。いなくなったらオレ、恨むからね。絶対見つけるから、逃がさないから。」
「呪いか。」

若干引き気味に突っ込むあたり、楓は結構冷静だと思う。そういえば楓は、相手が動揺していればしているほど逆に冷静になる。オレのせいかな。

「だって、楓は目を離したら、どこか遠くに行っちゃうかもしれない。外国行くの好きでしょ、それなのにオレ、家に縛り付けてる。出かける時だって、一人にさせない。息苦しくて、オレに縛り付けてる鎖も檻も破っていつか遠いどこかに行っちゃうんじゃないかって。」
「おお…。良く喋ったね。なんか今日は饒舌だね。」
「茶化さないで。…怖いんだ。いなくなってしまうんじゃないかって怖い。それなのにやめられないから、いなくなる理由を作ってる気がして余計に怖い。」

どうしたんだろう、本当に良く喋る。ペラペラペラペラとこの口は。夜だからかな、だからいつもよりネガティブなのかも。

「…ゴメン、そろそろ黙る。」
「良いよ、別に。話すことで不安がなくなることってあるでしょ。」
「でも、」

食い下がると、楓がこちらを見て溜め息をついた。

「怖い怖いって、怖がってばっかり。好きだっつってんでしょ、ちょっとは信じてよ。」

苛立ちを募らせたらしい物言いにどきりとする。女は失望とかすると引きずるらしいしな…。特に今回はオレが女々しいし。もしかして愛想尽かされる?

だけどその男前な言い方にどきりとしてる自分もいる。好きに決まってる、と暗に言われた気がして。

けれど、暫く黙った楓が覚悟を決めたように続けて言い放ったのは、全く予想外の言葉だった。

「あたしの人生イルミに全部あげる。」

理解できなくてかたまる。

「だからイルミの人生全部頂戴。」

…よし、少し冷静になってきた。

「…ねえ、さっきのどういう意味。オレ自分に、」

都合良く受け取っちゃうけど、とからかい混じりな最終確認の言葉を続けようとして、口をつぐんだ。楓の顔が真っ赤だった。

「…プロポーズだと思って良いんだよね。」
「…そのつもりですけど。」
「…色気のない…。」

文句を言いながら、オレは楓を強く抱き締めていた。言動と行動が裏腹になっているけど構わない。矛盾? どうだっていい。

「あー、プロポーズは絶対オレからって決めてたのにな。」
「あ、撤回しようか?」
「え、やだよ。オレ忘れないよ。」

ぎゅうぎゅう抱き締めていると、くぐもった声で苦しいと言われた。だって仕方ないじゃない、あんな可愛いプロポーズされて落ち着いていられる奴なんているわけないだろ。

「挙式は? 挙式はどうする?」
「え、もう元気になったの…。」

買ってきたらしい菓子パンをもそもそ食べる楓はとても眠そうだったけど構わない。

「大事なことでしょ?」
「だからこそじっくり決めたいよ…。」

それは確かに、と納得させられたので、式場を調べる手を止める。

「だから今日はもう寝よう?」
「うーん、でもなんか落ち着かない…。」
「…心配しなくても、結婚もあたしもなくならないから。ね、未来の旦那様。」

だから早く寝よう、と微笑いかけられて我儘を言える筈もなく。

「うん、寝る寝る。」

後を追うようにベッドに潜り込むと、イルミだっこなんて抱きつかれて、あれ先刻の大人びた楓はどこへと可笑しくなる。ていうかオレの理性試してる? 試してるよねこれ絶対。

…試す理性なんてあると思ってるの?

「楓…。」
「…。」

すー、すーと規則正しく穏やかな寝息に、お預けを食らった気分になった。
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