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□足掻く
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あまり人のことを下の名で呼ばないあの子が、日向のことだけは呼び捨てで呼ぶ。その意味に、気付かないでいられる筈もなくて。

「…楡野って、日向と付き合ってんの?」

不機嫌さだけが伝われば良い。揺れる思いなんか、心なんか、なくなってしまえば良い。存在し続けるならば、せめてこの子にばれないで。願いながら問うた声は、震えてはいなかっただろうか。

「うん、付き合ってる。」

ああやっぱり。予想通りの返事に、けれど傷付いている自分がいた。

「…じゃあ、やっぱ好きなんだ、日向のコト。」

言ってから、しまったと思った。どうしてこんな聞くまでもないことを聞いてしまった? つくづく思う。僕は自分を追い詰める性質らしい、と。

「好きだよ。そうでなけりゃ、こんな関係にはならないんじゃないかな。」
「へえ、ベタ惚れじゃん。」
「…まあ。」

何照れてんの。腹立たしくなってくる。僕じゃない誰かを想って頬を染める君なんて、大嫌いだ。

消えてしまえば良いのに。愚かな僕のこの想いも、愛しくてたまらない君も、憎くてけれど憎みきれない君の男も。

「…ドコまでいったの?」
「え、何処って…、この前は遊園地に、」
「古典的なボケはいらないから。…分かってるんデショ。」

不機嫌さを露にすると、怯えたのか楡野の小さな顔が目に見えて強張った。暫くして決意したようにかたちのいい唇が開かれた。

「…手を、繋いだ。」

ぼそっと言われたそれに、は、と声が漏れる。手を繋いだ? 何ソレ。

「ねえ、ホントに高校生? 今時小学生でももうちょっと進んでるよ。」
「う、うるさい。…そういうのは人それぞれでしょ。」

可愛いね、顔が真っ赤だよ。俯いちゃって、さ。気付いてないんだろ? 僕が君のことをどんな風に、どんな対象として見ているか。無防備に晒された鎖骨や、スカートが翻って露になる白い腿に、欲情しないなんて嘘だろう?

今すぐここで押し倒して、体だけでも僕のものにしてしまえたらって思ってるよ。

「ねえ、楓。」

甘く響くように呼ぶ。恋人になれたら、きっとこう呼ぼうと思っていた呼び方。顔をあげた楡野の上目遣いに疼く。

ねえ、ホントに無防備だよね。たまに誘ってんじゃないのって思うよ。だからさ、ソッチが悪いんだ。僕だってただの男で、まだ高校生なんだから、…気遣う余裕なんか、ないんだよ。

自己中心的な言い訳をして、近付いて、身を固くした彼女を捕まえて。

強引に唇を奪う。やわらかな感触。ちょっと、あまい。僅かに開いた唇の間から舌を突っ込む。予想通りのあまい味。舌を絡め、歯列をなぞり、口内を蹂躙する。全て衝動で、本能で、だけどどうしようもなく好きだという思いを、愛しさを拗らせた結果だった。

唇を貪るのをやめられない。理性が本能を黙認してる。見られたらマズイって分かってる。でも、止まんない。不意にどん、と小さな拳が背中を叩いた。苦しそうな顔にはっとして、顔を離す。

赤い顔。濡れた唇。荒い呼吸音。やってしまった、と思った。人のものに手を出した。それも、チームメイトの。だけど背徳感に、どうしようもなくゾクゾクする。

楡野の大きな目が、見開かれている。

きっと僕は今、微笑ってる。

「…どうして…。」

普段は凛としている、爽やかに響く声が揺れていた。動揺してる。それも、僕のキスで。少しだけ良い気分になった。

「何が?」
「な、何がじゃないでしょ!」

激昂した楡野は、けれど小柄な分どこかほほえましい。そりゃそうか、日向より小さいんだから。

「したくなったからしたの。」
「…どうしてあたしなの。」
「は?」
「ただキスしたいだけなら、あたしじゃなくても良いでしょ。月島さんなら、幾らでも好きに選べるでしょ。」

なのにどうして、と紡ぐ声が弱々しかった。だけど僕も聞きたいよ、どうしてって。

誰でも良いワケない。代用が効くなら、僕だってこんな行動に出たりしなかった。だけど他の女じゃ、どう頑張っても満たされなくて、虚しいだけで。だってほら、今だって後悔よりも満足感の方が強い。

君じゃなきゃダメなんだよ。

「…他の女じゃ、ダメなんだよ。」
「は…。」
「ねえ、好きに選べるって言ったよね。」

でも肝心の君が誰かのモノじゃ、どうしようもないんだよ。

苛立ちと哀しみとが声に出る。すがるように抱き締めた手は、けれど振り払われはしなかった。それでほんの一瞬、愚かにも期待して、けれど。

「…そっか。」

穏やかな声だった。嗚呼、そうか。僕はふられるんだ。静かに悟った。分かっていたし、と心の中で強がってみる。たちまち後悔したけれど。余計に虚しくなった。

「ごめんね。月島さんの気持ちには、答えられないや。」
「…っ。」
「翔陽が好きなの。月島さんのこと好きだけど、翔陽以上に思えない。」

穏やかに優しい声で、けれどはっきりとした言葉が向けられる。楡野らしいね。真っ直ぐに正直に、素直に言ってくる。僕にはないそれらが、ずっと、疎ましくて愛しかった。

「でも、すごく嬉しかった。」

ちょっとびっくりしたけど、と笑う彼女は、きっと見かけによらず僕なんかより全然大人で、優しい。器が大きいんだ、とまた好きになる。どんなに好きになったって、報われやしないのに。

「好きになってくれて、ありがとう。」

紅に染まった、生徒が二人しかいない教室。窓の向こうの夕やけをバックに腕の中で微笑む大好きな人は、穏やかな眼差しを向けてくれる愛しい人は、だけど僕のじゃない。多分僕のにはならない。

「…ゴメン。」

自然と、謝罪の言葉が出た。許してほしいと心から思う自分がいた。僕らしくない。けどこの子に嫌われたくないと今更怯えるらしくない自分だって、やっぱり自分の一部で。

「…まだ好きでいても良い?」

聞いた声は自分でも驚くほど頼りなく、子供っぽく聞こえた。それは楡野も同じだったようで、僅かに身動ぎした。

「…好きにすれば。」
「うん、好きにする。諦めない。」

僕はきっと、晴れやかな笑みを浮かべていたんだろう。楡野がびっくりしている。意外だな、と低く呟かれた声に、心の中で答える。君が僕を変えたんだよと。

精々足掻けばと可愛いげのない言葉を残して、ついでに、次にあんな強引なことしたら今度こそ嫌いになるからと脅して、じゃあと楡野が背を向ける。その足が日向のいるところへと向かっているのは明白で、胸が痛んだ。

「…何て顔してんの。」
「…は、僕?」
「あほみたいな顔してる。」
「あほって、」
「また明日。」

にっ、と楡野が微笑った。明るくて優しい、素直な笑いかた。ほら、まただ。そうやって優しくするから、僕は期待してしまう。





精々足掻くよ。きっと、君は振り向きはしないだろうけど。でも気が済むまで、好きでいさせて。

こんなに好きになるなんてさ、君に会うまで知らなかった。

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