鋼の錬金術師
□第20話
1ページ/3ページ
激しい雨が降る中、皆はウィンリィの指揮の元、工房内を忙しく歩き回り、出産の準備をしていた。
「エドとアルはお湯沸かして」
「どっ…どれ位?」
「たくさん。アンとパニーニャは、タオルをあるだけ集めて。リドルさん、消毒用アルコールありますか。それと、サテラさんの枕元に飲み水を」
そんな彼女を、パニーニャは心配そうに見詰める。
「ど…どうなっちゃうのかな。ねぇ、大丈夫かなぁ」
「ウィンリィに何とかしてもらうしかねぇだろ。あいつんち医者の家系だから…オレ達が錬金術書をそうしてたように、家にあった医学関連書を絵本代わりに読んで育ったんだ」
「それってちゃんと、学んだ訳じゃないんじゃ…」
『多分、うろ覚え程度の知識だと思う』
「ちょっ…」
「だけど!!今は、あいつの記憶と度胸に任せるしか無いんだよ…!!それにアンもいる…大丈夫だ!」
ウィンリィはドアの前で立ち止まり、必死に記憶を手繰り寄せ、うろ覚えの知識を唱える。
「お湯沸かして…消毒して…………あと、何だっけ…思い出せ、思い出せ…………」
真っ青な顔でドアノブを握る手は小刻みに震えていた。
「ウィンリィ」
呼ばれて振り返ると、エドとアルが応援の言葉を送り、アンが彼女の手の上に自分の手を重ねて言う。
「「がんばれ」」
『頑張ろう』
夫婦が心配そうに見つめる中、ウィンリィは力強く頷いた。
「──うん!」
『パニーニャ、中で手伝ってよ!』
「うっ…うん!分かった」
閉められたドアの前で、残ったエドとアルと佇んでいた。
「痛い、痛い、痛い!!!死んじゃう〜〜〜!!う〜〜〜…痛い〜〜〜!!」
突如聞こえたサテラの叫び声に飛び上がった2人は、部屋の隅で抱き合ってびくびくと震え上がり、そのまましゃがみ込む。
「情けない事に、今……心底「怖い」と思ってる…」
「ボクもだよ。こういう時はアレだね「神サマに祈る」」
「〜〜〜情け無ぇ…」
止む事無く振り続ける雨の中、出産は続く。
ウィンリィとアンは汗を拭って、赤ちゃんを取り上げる。パニーニャがその横でタオルを持ち、待ち構える。
激痛に顔を歪ませ、布を引っ張って力むサテラを心配そうに見詰めるリドル。
エドは両手で耳を塞ぎ、アルは手を組んでひたすら祈り続ける。
激しい雨と風の夜道。視界が悪い中、医者を呼ぶ為にドミニクは懸命にロバを走らせる。
どれくらい時間が経っただろうか。土砂降りだった雨も少しずつ止んできた頃、漸くドアが開いた。
「兄さん!」
「おっ…おい!!」
パニーニャは部屋から出た直後に、へたっと床に座り込む。
「血……血が…もうダメ…」
状況を確認するべく、部屋に入るとウィンリィも床に座り込んでいた。
「どうしたんだよ、おいっ!!」
慌てて訊ねると、彼女は震える手で指差す。
「ふぎゃあ…あ」
泣き声が聞こえた。
「ふぎゃあ、ふぎゃあ」
指差した先では、産まれたばかりの赤ちゃんをアンがリドルに優しく丁重に手渡していた。
「ふぎゃあ、ふぎゃあ」
夫婦は安堵の笑みを浮かべ、リドルの目尻には薄らと涙。
「…う…ま、れ」
エドとアルの2人は両手を大きく挙げて、歓喜の声を上げた。
「「たーーーーー!!」」
ウィンリィは安心と疲労に溜息をつき、アンも嬉しそうに笑った。
「なんだよ、パニーニャ!ビビらせんな、こんにゃろー!わはははは」
「血…あたし血は、ダメなのよぉぉぉ…」
エドは部屋から身を乗り出して、床に倒れたパニーニャに声を掛けた。
リドルは手に抱いた赤ちゃんを、サテラに見せる。
「がんばったな、サテラ。ウィンリィちゃんも、アンちゃんもありがとう」
「あとは産湯をお願いします」
「ああ、そうだった!」
『あ、あたしもお湯汲みに行くよ!』
エプロンを脱ぐウィンリィの後ろで、エドとアルは手を取り合い、喜びのダンス踊っていた。
「パパが、おふろに入れてあげるよ〜〜」
歌を歌いながら、産湯の準備に行くリドルとアン。
新たな生命の誕生に興奮が収まらないエドは、「すごい」と連呼する。
「すげー、本当に生まれたよ!すげー、すげー!!」
「すげー、すげーって、そんな子供みたいな感想を………」
呆れた様なウィンリィに、彼は手を広げて語り始める。
「だって、おめー、生命の誕生だぞ!?錬金術師が何百年もかけて、未だなし得てない「人間が人間を創る」って言う事をだな!女の人はたった280日で、やっちゃうんだぜ!?」
同じ頃、アルも産湯の為の桶を持って、手伝いをしていた。
「おてつだい♪」
その横には、沸かしたお湯の入ったヤカンとバケツを持ったアンとリドル。
「生命の神秘を科学と一緒にするなんて、ロマンが無い!」
「う!!しょーがねぇだろ、職業柄よぉ…………うん、でもやっぱりすげーよ。人間ってすげー」
笑みを浮かべるエドに、ウィンリィも微笑んだ。
「おまえもすげーよ、たいしたもんだ」
「あはは!もっと誉めなさい!」
パニーニャは未だに廊下に倒れたまま、唸っている。
「うーーん。血ーーー、血がーーー」
「子供は無事に生まれたし!あとオレに出来る事あるか?」
「そうね、とりあえず…」
ウィンリィは、エド上着の裾を引っ張った。
「………起こして」
「は?」
「安心して腰が抜けちった…」
「ぶっ」
恥ずかしそうに頬を染めるウィンリィに、エドは思わず吹き出した。
「自分よりちっさい男に、おんぶなんて屈辱だわ…」
「落とすぞ、てめー」
エドはウィンリィを背負い、近くにあった椅子に手を掛けてぶつぶつと愚痴を零す。
「ほんっとに、かわいげ無ぇな!アンなんかピンピンしてやがるのに!」
「…………」
黙ったままのウィンリィが静かに口を開く。
「…………あのね」
「あ?」
「銀時計の中身ね、見ちゃった」
途端、エドはそう告げたを彼女をわざと落とした。
「いった〜〜〜」
打ち付けた腰を擦っていたウィンリィに、エドの怒号が飛ぶ。
「おまえな……無理矢理開けたのか……」
「ごめんね。ごめんなさい」
顔を俯むかせ謝る彼女がとても小さく見えた。
これ以上怒るに怒れなくなったエドはぶっきらぼうに呟く。
「……バカヤロ」
怒りも収まらないままに、ウィンリィの手を取って椅子に座らせ、自分も椅子に腰を下ろした。
「……………アルにも見せた事ねーんだぞ」
「どうして…アンには見せたの?」
「昔、手が滑って銀時計を落とした時にアンが拾ってくれたんだ。けど落とした衝撃で蓋が開いちまってて、そん時に見られた……」
「……」
「自分への戒めと覚悟を、こうやって形にして持ってなきゃいけないなんて、我ながら女々しいよ」
エドの紡ぐ言葉の1つ1つに、ウィンリィは胸の奥に鋭い痛みを感じた。
銀時計の蓋の裏に刻まれていたのは、兄弟達が自分の生まれ育った家を焼き払った日。
その日、彼は言った。
「帰る場所を無くす事で、後戻り出来ないように」と。
12歳の子供にしてはあまりにも重く、大き過ぎる決断と覚悟に、ウィンリィは静かに涙を流していた。
ーー