ビタードロップ

□「困る」
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今までの人生の中で、今が一番緊張している瞬間だと神に誓って言える。

一世一代の告白・・・それも、おそらく、9割9分9厘、ほぼ確実に、断られるであろう告白を、今からするのだ。

『化学準備室』

ドアの上のそのプレートを確認し、深呼吸をする。

よし。いくぞ。

コンコン

控えめにノックしてみる。

……………

コンコンコン

もう一度。


………………


「あの、先生」


………………

声をかけてみたけれど、ドアの向こうからは物音ひとつ聞こえない。

え、なんだ、いない、の?

途端に、肩の力が抜けていく。
緊張で破裂しそうだった心も、空気の抜けた風船みたいにゆるゆるになった。

いつもならこの時間、化学準備室にいるはずの部屋の主は今日は不在のようだ。

はー、無駄に緊張しちゃった…しかたない、今日は帰ろう。

諦めて回れ右をしようとした。

ガシッ

「わっ」

誰かに後ろから肩を掴まれ、回れ右を阻止される。

「よっ、みょうじ。どうしたんだ
?ぼーっと突っ立って」

「ケケケケケ、ケント先生!!」

「んー?」

ワタワタしながら振り返ると、いつもの余裕たっぷりの笑顔を浮かべた先生が。

ちょ、ちょっとまって!
心の準備が…!

さっき見事にしぼんだ勇気を急いでふくらませる。

まったく、なんていうタイミングなの…!

「質問かー?いま鍵開けるからちょっと待ってろ」

ポケットからジャラジャラ音をさせて鍵を取り出す先生の後ろ姿を、ジッと見つめる。

しぼんだ勇気を、なんとか半分くらいまでふくらませる。

大丈夫かな、言えるかな…。
でも、今日言うと決めた以上、このタイミングをのがしたら一生言えない気がする。

「はーい、いらっしゃい」

「失礼、します」

ガラリ、準備室のドアをあけてくれる先生。
ドアを片手で押さえ、もう一方の手で「どうぞ」と中を示してくれる。

ドキドキしながら先生の横を通って、中に入ると、先生の香水といろんな薬品のにおいがまざった神秘的な香りにくらくらした。

「みょうじはいつも真面目に授業受けてるし、テストもいい点とってる。質問してくるなんて珍しいな」

「あの、先生」

「ん?」

「・・・です」

「・・・ん?」

喉の奥がカラカラになって、声が奥に張り付いて出てこない。

「どうした?具合悪いのか?」

黙ったままうつむく私を心配してくれているのだろう。

優しい声で、そっと私の顔をのぞき込む先生。

ああ、もうどうにでもなれ!

「ケント先生!」

バッと顔をあげて、まっすぐに先生を見る。

目の前の先生は、目をまん丸にしてびっくりした表情をしてる。

「あの、こんなこと言ったら、困ると思うんですけど、あの」

「・・・うん」

「あの、あの、・・・どうしても言いたくて」

「うん」

「先生が・・・・・・・・・・・・す、きで、す」

絞り出すように言って、ギュッと目をつぶる。

変なところで言葉が切れてしまったが、言った。ついに、言った。


ケント先生・・・・・・は・・・

ゆっくり目を開けると、先生の背中が見えた。

私に背を向けて、黙っている。

どう思っただろう。

やっぱり迷惑?

先生、どんな顔してる?

「せんせ、」

「困る」

沈黙に耐えられず口を開いた私の声を遮るように、先生が言った。

「ごめん、みょうじ、困る」



ごめん。




困る。





・・・やっぱりそうだよね。




再び沈黙が訪れる。
先生は、こっちを振り向いてくれない。振り向く気配すら、ない。



「失礼、しました」


泣きそうなのをこらえて、先生に頭を下げる。

だめだ、ここで泣くのは。


最後までこっちを向いてくれない先生を残して、私は化学準備室を出た。

一歩、二歩。

引きずるように歩く。

三歩、四歩、五歩。

少しだけ、速度を上げる。

徐々に早足になって。

最後は、めちゃくちゃに走っていた。

胸が苦しいのも、息が切れるのも、頭が割れそうに痛いのも、走っているせいだ。

そう自分に言い聞かせる。
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