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□煉獄
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奴隷のようなボロを身に纏い、冷たい牢獄の中で身じろぎする影があった。
両手に嵌められた枷が動く度にじゃらりと嫌な音を立て、狭い牢に鳴り響く。
できるだけ看守の関心を買いたくない女は細心の注意を払って、音を立てないようにゆっくりと、豊かなオレンジの髪のなかに細い指を差し入れた。
指先に小さな金属が触れて、手の中には小さなピンがふたつ。
これで手枷は外れるだろうが、檻の鍵はどうだろう。
こんな状況なのに、肝が座っていると、自分のことながら思う。
今まであらゆる修羅場をくぐり抜けてきて、場数を踏み過ぎて、もうちょっとやそっとのことでは動じない。
慣れとは本当に恐ろしい。
昔の自分なら、ルフィが隣にいる時ならまだしも、一人で敵陣にいてこんなに冷静ではいられなかっただろう。


時はおよそ24時間遡って、迂回したはずのドフラミンゴとかち合ってしまい、戦闘を交わした一行。
戦況を一目見たナミは、ことごとくガードされるこちら側の男たちの攻撃に、雷を落とすことを思いつく。
少しでも動きを止められれば...

一体どういうからくりか、空に浮かぶピンクの羽に、黒雲は分厚く広がって稲妻を落とすだろう。
晴天だった空に突然暗雲が立ち込め、ピンクの羽のはるか上空から一閃。
閃光が走り、ドフラミンゴの胸を打った。
一瞬動きの止まった大男に男たちは息を飲んだが、サングラスの奥で見開かれた目で、途端にナミは意識を失った。覇王色の覇気に当てられればクルーの大半は意識を失ってしまう。
「てめぇか、何をしてくれやがった」
青筋を立て、ナミに向かって怒りで空気を震わすドフラミンゴに、覇気の影響を受けなかった男たちが畳み掛ける。
「てめぇ!ナミさんに何しやがる!!」
サンジの蹴りを膝で受けると、ドフラミンゴは口元に笑みを貼り付けて言った。
「あの女はお前のか?」
「っ!あの人は.......俺の大切な人だ!」
「ほう、じゃあお前のか」
緑髪の剣士が後ろから切りかかってくるのを、首をもたげて間髪でよけながらサンジを船に叩きつけ、ぴたりと止めた剣の切っ先に顔を突きつけてドフラミンゴが言う。
「そう願いてえもんだが、お前に何の関係もねぇことだ。」
何かにがんじがらめにされたように動かない3本の剣に抗いながらゾロが言った。
「フッフッフッ。ゴロゴロの実の能力者とは、とんだ拾い物だな。アレは珍しい。」
と、言うが早いか飛んできた巨人の拳。
ゾロの体をふっ飛ばさないギリギリのところを、ドフラミンゴめがけて放たれたそれに、見えない拘束がゆるむ。
「ルフィ!てめぇ当たるとこだ!」
「あ?なんか悪かったか?」
ドフラミンゴの体には当たらなかったその拳を空中でバチン!と戻しながら、ルフィは冷静だった。
ドフラミンゴは空中から船へ飛び、覇気に倒れたクルーの合間を縫って、ナミを守ろうとしたローの元に降り立った。

隠さなければ。
もし、この女がドフラミンゴの毒牙にかかったら。

「おいおい...どういう風の吹き回しだ。」
こいつはナミ屋をゴロゴロの実の能力者と勘違いしている。
「その女は実を食べていない。能力者じゃない。」

ローが冷静さを保つように務めながら言った。

「わざわざそれを言いに来たのか?お前はそんな奴だったか?ロー。お前には失望したよ。女にうつつを抜かすような奴だとは。」

男よりも御しやすい女、しかもロギアの能力者と思い込んでいて、ドフラミンゴの興味がナミに移りつつあるのを感じて、ローの背筋にどす黒い恐怖が走る。
それが一体なぜなのか。
自分の後ろに倒れた女。その体を背にして、この女を奪われる恐怖に足が竦む。

こんな時に、こんな形で、自分が理解するより早く、ドフラミンゴに心まで見透かされるとは。

「この船の男はその女に弱みでも握られているのか、お前もその一人のようだな、ロー。」
ナミを人質に取られれば、この計画は終わりだ。ナミの身柄を取ることは、この一味に対しても、自分に対しても効力があると気付かれてしまっている。
「ドフラミンゴー!」
雨のように拳が降り注がれて、ルフィがその場に飛んで来た時には、またもやルフィの動きは止められていた。
「麦わら、随分この女にご執心のようだな?」
「なんだ!ミンゴ!ゴシューシンって!離せ!」

どのようにこいつを出し抜いてこの場を切り抜けるか。こんなところでこの男を殺せるようなら今まで幾多の策略を張り巡らせたことなど何の意味もない。

「この女を殺してお前の悲しむ顔が見てえが、麦わらに対して人質がいるのは悪くない。しかも、お前に対しても利用できるとはおあつらえ向きだなァ。」

脳天に恐怖が走って、ローがドフラミンゴに斬りかかると、武装色に跳ね返されて床に倒され、男の足が背中の肉を抉るように踏みにじった。

「女に目が眩んで戦い方も考えなしだな。」
ドフラミンゴは意識のないナミの体を乱暴に空中に吊るし上げ、逆さまにし、まるで所有物であるかのように豊かな髪を掴んだ。
「やめろ!その女だけは、やめてくれ!」
「フッフッフッお前がしたことの重大さをよく噛みしめろ、ロー。お前の弱みが見つかって良かった。」

ナミの顔が良く見えるように髪を引っぱり、ナミを手荒に扱うことに激昂する男たちを見て、楽しそうに笑ってドフラミンゴが飛び立つ。

「シーザーを連れてドレスローザに来るんだな。俺の目的が全て遂げられればこの女は返してやろう。もちろん七武海の辞職は反故だ。」

ナミを携えて高笑いをして立ち去る空に、ルフィの怒号が響き渡る。


ドレスローザで目を覚ましたナミは、朧げな意識の中で、聞こえる声に耳を澄ませていた。

「-----若。」
「あぁ、一時はどうなるかと思ったが、この拾い物で逆転だ。」

どさっ、と物を捨てるように体を床に投げ捨てられる。
「うっ、」
「なんだ、起きたか?」

しゃがんで不躾に顔を覗き込んでくるのは大男だった。金髪に、ピンクの羽のコート。

「ここは...どこ?」
「ドレスローザ王国。」

顎を掴まれ顔を上げることを強いられる。
キッと睨むと面白そうに男は笑っている。
「何をしたの?私の仲間はどうなったの?」
「殺した。」
サングラスで瞳は見えない筈なのに、視線に射抜かれてナミは硬直したが、それをかき消すように声を上げた。
「うそよ!そんなの信じない!」
「お前の能力はなんだ?泥棒猫。俺に雷を落としてくれたな。」
たった今部下から受け取った、おそらくナミの手配書を見ながらドフラミンゴが言った。
「話を逸らさないで!」
ナミが声を上げた途端、手に強い力を込められ、あまりの痛みに心臓が跳ね上がった。
「誰に口をきいてると思ってる。」
「う...」
折檻がはじまる。
糸がしゅるり、ナミの両手に這わされて、頭の上に纏められて拘束された。

「お前はおとりだ。シーザーとローには自分の足で来てもらうことにした。
頭に来る麦わらの連中も、ローも、お前がここにいれば思う通りになりそうだ。
ローにはまだ、やってもらうことがあるからな。
お前を使わせてもらう。」

ローには不老手術のため、命を捨ててもらわなければならない。替えのきかない愛の前に、膝を折るローの姿が目に浮かぶ。
人を御すには、弱みにつけ込むのがいい。愛する女や家族といった、理解しがたいものにうつつを抜かす馬鹿ばかり。
奴らの最もして欲しくないことを、この女に屈辱を与えれば与えるほど、パンクハザードで出し抜かれた溜飲も下がるというもの。

「じゃぁ、生きてるのね...」
きっとすぐにでも助けてくれるとでも言うようなほっとした表情が気に入らず、ドフラミンゴは糸を引いてナミを更にきつく縛り上げた。
「フッフッ!それよりもお前は自分の心配をした方がいい」
「私がここにいたって、あんたの思い通りにはならないわよ。」
まっすぐ向けられる強い瞳に、男は黙った。
美しい女はいくらでも見てきたが、心臓に電気を走らせたのはこの女が初めてだった。
この女には媚びがない。
----そんなはずはない。女は打算に満ちて、口からは都合のいいことだけをはきだす。

「思い通りにならない、ねぇ。」
人払いをして、部屋に2人しかいなくなると、さすがのナミも焦りを隠せないようだった。
「そんなことが言える立場か?お前がどうしてここへ来たのかわかっていないようだな。」
そう言うと、ドフラミンゴは糸を操ってナミを自分の元へ歩かせた。
「なに、これ..!あんたがやってるの?やめて!」
「お前に屈辱を与えれば与えるほど、奴らがしたことの溜飲も下がる。お前に執着してる男が多いようだったからな。」
ナミは椅子に座るドフラミンゴの上にまたがると、両腕を男の首に回した。
自分の意志ではない。この男に操られている。何故こんなことができるのか。
「こんなこと、許されると思ってるの?」
「俺は何も?お前がするんだ。」
ナミの目には涙が浮かんでいた。
「地獄に落ちるわよ。」
気位の高い瞳は本当に美しくて、これからこの女を抱けるのかと思うとらしくもなく心が躍った。
ナミは男にまるで忠誠を誓うように口付けをさせられ、まるで恋人にするように男の体を抱きしめた。

すると拘束が緩められたものだから、ナミは男から飛び退く。
「動く...」
なぜ。
ドフラミンゴの顔を見ると視線はこの豪奢な部屋の扉に向かっていたので、人の気配を感じたのだろう。
ナミは自分が武器も何も持たず、どうすることもできなさそうなことを再確認して、この状況から逃げ出す方法を考える。
扉をノックする音が聞こえて、部下と思われる年配の女性が応答も待たずに部屋へ入った。
「若様!バッファローとベビー5が見つかったざます!あら?来客ざますか?」
「ジョーラ、ちょうど良い。この娘を連れて行け。」
ドフラミンゴは楽しそうに笑っている。
「監禁しろ。俺の要求を飲むと言うまで牢から出すな。」
「監禁!かしこまりましてざます。
お前にお似合いの牢があるざます。無駄な抵抗はしないこと。」
要求。
それが何のことを指すのかを考えるよりも、今この男の手から逃れられた安堵感が勝った。
放心したナミはジョーラに手を引かれ、衣服を奪われ首や手足に錠を付けられた。
「監禁者はこうでなければ。まさにアートざます。」
辿り着いた地下の部屋は独房。

そして話は冒頭に戻り、ボロを着せられ、枷をつけられたナミは脱出に思慮を巡らせる。

うまくここを逃げ出して、きっと助けに来ている仲間に早く会いたい。
手と足を牢につなげる錠は外れた。
首には冷たい鉄が嵌められているが、なぜか繋がれておらず、アートだかなんだか、形を重視したジョーラのこだわりのみだったようだ。
あとは牢の鍵。

交代した看守が牢の前を歩く。
コホン、とナミは咳をして、その場によろけて倒れて見せた。
「おいっ!大丈夫か」
看守は牢越しにナミに駆け寄り、ナミは弱々しく潤んだ瞳を上げた。
「ああっ、よかった。」
錠が取れていることを悟らせないように、両手で胸元を押さえる。
「誰か来てくれて。わたし、何だか目眩がして...胸が苦しいの。」
「な、なにっ」
看守は一人だ。鍵は腰に。何とでもなりそうな易しそうな男。
近寄ってきた男に大仰にしなだれかかる。
「はぁっ、胸が....」
ボロボロの、ただの布のような服から肌が覗いて、男の視界には天国が広がっているだろう。
ナミはさっさと鍵を頂いて、ついでに男の財布からコインを一枚抜き取って、牢の先へコーンと投げた。
「あら、なんの音?若様がいらっしゃったのかしら」
男がその気にならないうちに適当なことを言えば、看守は若様の名に慄いてその場を立ち去った。
先ほどのように人払いの命を受けていたのかもしれないが、イージーすぎる。
今のうちに早く。
牢を開け、足音を立てないように出口へ。
すると。
フワッ
ピンクの羽が目の前に突然広がったのだった。





To be continued

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