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□東の海の人魚
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東の海の魔女







殺さない理由が2つになった。

ペット同然だったあの女を生かす理由が増えたことに、気づいてしまった。

それは東の海の小さな島、あの女を見つけた村を支配して6年が経った頃だった。







女は悲しいくらい幼かった。
始めは浅はかに金を稼ごうとすることを繰り返しては、時に失敗しひどい姿で返ってくることもままあった。
ひとたび島を出れば、他人からはその価値がわからない、ただの子供。
ただの子供が、荒くれ者どもが乗り込む船から盗みを働くなど、命がいくつあっても足りない。

貴重な航海士の代わりがいない限り、命の危機にあってはいつでも魚人をやって窮地を救わせた。
そんなことを繰り返すうち、あの女も自分の立場を本当の意味で理解していったようだった。

“一味の幹部である限り、自分は殺されない”
“自分の行動は常に監視されている”

イーストブルーではもはや魚人に敵う者はいなかったことも、あの女の仕事をやり易くさせていることに間違いはなかった。


あの女が13の時、2千万の略奪に成功した時の手口は、同胞一同舌を巻いた。
海賊船の選別と潜入、貴金属・宝石類の運搬、換金の交渉、とても子供の所業とは思えなかった。
こいつはとんでもない拾い物をした、測量だけでなく、稼ぐこともできる頭だったのだ。

しかしその代償が胸部損傷、左大腿部骨折、肋骨損傷、全治に3か月を要し、宝石が金に替わるまで半年を要した。




「…思ったより早かったわね。」

ナミの悪事は露見して、今にも殺されようかというところで潜入した海賊船に駆け付けた時、落ち着き払ってそう言った。
男たちともみあったのか体中が傷ついていたが、何人かの男が転がっているのはナミの仕業らしい。
ナミに銃を向けていた船長の息の根を止めると、ナミは何事もなかったかのように船室を出ていく。

「……ま、あとは任せたわ。私は先に戻ってる」
「ナミ、てめえ裏切りやがったな!!」
「うるさいわね、だまされるアンタが悪いのよ。」

残された人間に向けられた、13の子供とは思えない妖艶な顔つきに同胞が沸いた。
人間だが美しく育っていた。
魚人の獰猛な感性にも沿うほどに。

部屋を出たナミの耳には凄惨な悲鳴が届いただろう。
その場にいたすべての人間を始末してアーロンパークへ戻る。これが一連の仕事だった。

ナミが窮地に陥って、ギリギリのところで命を助ける
それを何度も繰り返して、6年が過ぎていた。


「おいナミ、お前もう男は覚えたのかよ。おれが相手してやろうか」
15や6になった頃には、ナミに色目を使う魚人も出てきた。
アーロンパークの片隅で、物陰はいつも危険だった。
「ばかじゃないの。」
「そう言うなって」
ぬめりとした触感で肩に触れられる。
身の毛がよだった。
あまりのことに殴られたように頭に衝撃がきた。
「さわんないで、気持ち悪い…っ」
手を振り払ったことで相手は激昂した。
「いてぇなこの人間が!!」
横っ面を張られて魚人の腕力で地面に向かって飛ばされる。
これが地面でよかったというものだ。何かに叩き付けられでもすればただでは済まない。
しかし口の中が裂け、地面との摩擦で皮膚が破れた。

「おい、何してる」
「アーロンさん」
魚人の中でもひときわ図体のでかい鮫の魚人。
アーロンは倒れるナミに一瞥し、魚人に声をかけた。
「いや、こいつがちょっと生意気だったもんで。悪い女には躾が必要でしょ?」
「違いねぇな。お前に魚人島から便りが来てたぞ。女房から浮気調査じゃねえのか、同胞よ」
「そいつぁやばい。早くサカナたちに返事をもたせねぇとうるせーんでさ。」
魚人が立ち去ると、倒れこんでいたナミがふらりと立ち上がる。
口から血が滲み、露出した肌は倒れた時の擦り傷で覆われていた。
顔に一発もらったのだろう、しかしそうしても整った顔立ちは損なわれることはない。

じっとアーロンが自分を見ているのに気が付いて、ナミは一瞥を投げた。
アーロンはナミのこの顔が気に入っていた。

絶対にお前には屈しない。

そういう気迫を感じさせる顔。

「あいつに言い寄られたのか、ナミ」
ナミは返事をしない。体についた砂埃をはらう。
「なぁ、おれたちは仲間だろう?魚人相手に商売したっていいんだぜ?その方が手っ取り早く金も貯まるってもんだろう」
ナミの肩がピクリと揺れる。

ナミが絶対にはいと言わないことを知っていて、最も言われたくない言葉だということも知っていて、そうやって声をかけるのもお気に入りだった。

「アーロン」
自分の方へ毅然とした姿勢で向かってくる。胸倉をつかまれ、あのお気に入りの鬼気迫る顔で、一瞬たりとも目をそらさずに吐くように言う。

「ビジネスのこと以外で、私に話しかけないで…!!」
彼女のできる限りの力で、(しかしその力ではアーロンに何の影響も与えられないが)つかんでいた胸倉を殴るように放って、踵を返し去って行った。


ナミから自分へ向けられるものは激しい感情だった。

愛情の対極に位置する、すさまじい憎悪。


激しく愛することの、裏返しのようだと思った。

それは激しい愛のような憎しみだった。
激しく愛するように、憎んでいた。

そしてそれは自分にとって悪くない考えだった。
アーロンは自分のその妄想に満足していた。



またある時は、魚人ではない人間相手だった。
ナミのビジネスには危険が伴うが、命の危険はたやすく回避させられても、そうでない場合に介入はしない。
ナミは襲われていた。相手は4人で、船に乗り込んだナミにやましい気持ちを抱いていた。
ナミはそのことがわからないほど甘くはなかった。
自分に分が悪いとわかると、恐怖を抑えて冷静になることに努めていた。
服を脱がされた時に仕込んでいた剃刀を誰かに当たればいいと振り回し、ひるんだ男たちに言った。

「私に手を出せばアーロンが黙ってないわよ。アーロンには私の力が必要なの。アーロンって、東の海で暮らしてるなら、知ってるわよね?」
剃刀で切られた腕を庇いながら男たちが叫ぶ。
「てめー、こっちが甘い顔してりゃいい気になりやがって!!」
「それがどうした、今ここにいねぇじゃねえか!」
血が滴っているのをみて、ナミが口を開いた。
「ねぇ、あんたたち、ここは船のどこ?海に近い船室は、血の匂いが海へ届くわ。そしたら私を助けにくるわよ。すぐにね。」

言ったが早いか、船室の床を突き破った何かは、そのまま男のうちの一人の命を奪った。
「うわぁぁぁぁ!!!」
「なっ、なんだ!?」


「その通りさ、ナミ」
いつもの、他の幹部の姿はない。
頭領じきじきのお出ましだった。
「お前に手はださせねぇ」
鮫の鋭さを呈して笑ったアーロンは、ナミにとっての呪いの言葉を吐く。

顔をゆがめながら男たちへの粛清を見ていたナミは、船室を出ようと背を向けた。
まだこの船で仕事が残っている。
「礼は言わないわよ」
言い放つナミの歪んだ顔は美しい。
憎まれる目を見るとゾクゾクした。


すさまじい憎悪。
それは、自分が人間を憎むものとよく似ている。


ナミは自分と似ていた。
だからナミは人間でありながらアーロンのペットだった。

ナミを引き入れた当初、こんなことを言う輩もいた。

「アーロンさん、なんであんな人間を、まして子供を仲間にするんだ!海図が描けるとはいえ、あんなに人間を憎んでいたあんたが!

……まさかとは思うが…あんた、ああいう娘がいいっていうんじゃないだろうね!?」

保守的で、年齢を重ねるごとに考えをかたくなにした、少し年かさの魚人は言った。

そんなわけはない。
便利なペット以上の価値があるはずもない。
ひとつ笑い飛ばしてその話は終了したが、時にふと思い出す。
得に最近、それは頻発した。







ある日、村の山奥の湖にナミの姿があった。
今回の仕事が終わって、早朝島についたばかり。
自分の体に見えない汚れがある気がした。

はじめからわかっていたはずだ。
この仕事をしていて、綺麗な体でいられるはずがないことは。

アーロンが助けに来て逃れることはあったが、逃げられない場合もある。
そして、年齢を重ねるにつれて頻度が増したことも気づいていた。

ノジコには話せない。
きっと自分よりも苦しむだろう。

つん、と水の匂いがすると、湖がその先にあることがわかった。
衣服はすべて脱いだ。
水ですべての穢れを洗い落としたかった。
自分はひどく汚れているように思えた。

最初は苦しくて死にそうだったけど、村の人に避けられ、無視されることももう慣れた。
男たちの醜悪な視線にも、耐えられるようになった。

(ちくしょう……)
水の中にいれば、涙が出ているかどうかもわからない。
気が済むまで体を洗って、水から出るときは違う自分になっていたい。

(ちくしょう)

湖は人が寄らない奥地だ。
昔住んでいた家からも少し距離がある。
いつも島は生死を魚人たちに握られ緊迫しているから、こんなところには誰も来ない。

水は澄んでいてきれいで、潜ると水草の合間に魚がいる。

少し気が紛れてさらに潜っていると、何かの拍子で水草が足に絡まった。

冷静になろうとするが一向にほどけない。
心臓が跳ねておおきく息を吐いてしまった。
思いのほか足に絡み付いて、ほどける気配が、ない。
ここで私が死んだら、村は。
考えれば考えるほど息が苦しくなる。
あぶくがおおきくなり目がかすんだ―――

そして、意識を手放す寸前に誰かが自分を水の外へ運んだのがわかった。





「アーロンさん、ナミが帰ってきたみたいだぜ」
ナミには少数だが島を出る際、常に見張りをつけているが、そのことでナミの帰郷を報告するのが義務だと思っている者もいるらしい。

海岸に船がつけてあったからまちがいねぇよ、とマラカスを持った魚人がさも興味がなさそうに続ける。

「でもなんか様子がおかしかったって言ってたなぁ。また何年か前みたいに骨折でもして帰ってきたかな、ありゃ。」
「医者に行った様子か?」
「いや〜山入ったのを誰か見たって言ってた気もするなぁ」
「まぁ、なんでもいいけどな。アッハッハ」
マラカスの魚人は笑って報告を終えたとばかりに歩み去った。

―――なぜかはわからない。
落とした町は爆発的に増えたし、軍との交渉も順調で手持ち無沙汰だったからかもしれない。
山奥へ行ってみる気になったのは。

「少し出る」
「ああ、気を付けて。ってアーロンさんが気をつける必要はねぇわなぁ」

アーロンさんに出くわさないように誰もが気を付けるもんだ、と同胞は笑った。





湖があることは知っていた。
人の通った新しい形跡で誰か先客が来ていることも。
船旅のせいか汚れた衣服も周辺で見つけた。
ナミのものだ。

湖は淡水だが、魚人でも少しなら問題はない。
水に入ると、意外と深く広いことがわかった。
魚もいる。
水草は大量に繁殖していて、それには見覚えがあった。
イーストブルーの奥地の水辺に生息し、意思を持って近寄った獲物を捕らえる植物。
まさか、と思う。
魚人の水中での推進力を全開にしてあたりを見回す。

視界が悪い場所を抜けた。









ーーーー自分が何に、どう生まれるかで人生は決まってしまうことがある。
しかし、その運命に逆らいたいと思う時が来るとは、誰が予想しただろうか。





ーーーーなぜ、人魚に産まれなかったのか。






ナミがいた。
日の射す美しい水の中に浮かんで、目を閉じていた。
口からはあぶくが細かく漏れて、光の方へ上って行く。

一糸纏わず、水草が腰まで下半身を覆ってぴたりと張り付いていると、それは優美な尾ひれに見えた。

ーーーーまるで人魚だった。

尾ひれはつながれたように水草に絡まれている。
彼女の運命のようだった。


ーーおぼれている。

水草を噛み切り、細い身体を抱き上げる。
背中がしなって、ナミの体は最も憎んでいるはずの男の手に委ねられた。

意識がなくなって、すぐなら。
まだ息があるだろうか、それを願って、願った自分に驚き、魚人に産まれた男はできる限りの力で岸を目指したのだった。



ナミが目を覚ますと、誰もいなかった。
おぼれたはずの自分は岸に上げられており、仰向けに地面に転がった体には服がかけられている。自分のものだ。

しばらくあたりを窺っていたが、自分の命を救った人物は姿を現す気配がなかった。

誰が助けてくれたのか。
それはもうわからないし、助けた本人がこの現場にいない時点で助けた方もそれでいいと思っての行動だろう。
今は、どうでもよかった。
ただ、自分が生きていることには、心から感謝していた。







帰路についたアーロンは、アーロンパークに着くかどうかのところでふと足を止めた。

(アーロンさん、あんたまさか……)
その言葉を思い出す。
ナミは一生自分を憎み続けるだろう。
それでも。






殺さない理由が2つになってしまった。

1つは、海図を描く測量士だから。
もう1つは

「あんたがあたしのお金を!!!」
その顔が、その生き方が



「おまえはおれのものだ」

約束が終われば自分の元から去ってしまう。




ーーー誰にも渡すものか。













東の海の人魚






End
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