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□魔女の賭けは宝石をベットする
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アーロンの真意のほどはわからない。
ただ、魚人からの下衆な誘いは16になる頃にはピタリとなくなっていた。
もっと小さい時にはわからなかったことも、この年齢になればわかるようになってくる。
その時期に、魚人の一味からの変な視線を受けなくなったことは、不幸中の幸いだった。
それと同時に、客観的に見た自分の”武器”もわかるようになってきた。
最も効率よく仕事をするには、この容姿を生かすのが近道だということも。






「ナミ」
ヒイロ海賊団の船長が暗がりから名前を呼ぶ。
船の一室、彼が船長室とする部屋は暗く、天蓋つきの寝台から呼ぶ彼の気配はお楽しみをとっておいた少年のようだ。
「来いよ。」
「...私そういうのじゃないの。他あたってくれる」
「船に乗るために何でもするって言っただろ。こっちへ来い。」
「私が何でもするって言ったのは、航行と測量に関すること。部屋がないなら倉庫やそこらで構わないわ。おやすみなさい。」
大きな船。巨大なガレオン船を率いる彼は、東の海の果てを根城にして生きている。

彼の大好きなものは、宝石。
この地域にはダイヤの摂れる鉱山があり、研磨加工を生業とする街が点在し、それをレッドラインのマリージョアなどへ運ぶ商船を襲うことを生業にしているのだ。
当然、政府は商船に護衛をつけるが、どんな屈強な海兵が来ようと、どんな海戦になろうと、彼は狙った宝石をものにする。
彼の名は、ナイアという。

「おれはもともと、航海術が欲しくておまえに声をかけたんじゃねえよ」

暗がりから現れたナイアは、すらりと背が高く、恐ろしく整った顔立ちをしていた。
若く、美青年らしい落ち着いた雰囲気なのに、耳にはごっそりとピアスをつけ、ファラオのような飾りを首にしていた。そのどれもが上等な貴金属だった。

金のある海賊だ。
素性を調べ、立ち寄る港街に滞在し、ヒイロ海賊団の到着を待って酒場に日参していたナミは、まさかその船長から声をかけられたのだった。

『その髪の色に100万ベリー払うぜ』


酒場での出来事と同じように、ナイアがナミの髪を一房手に取った。
「いい色だな」
少年のようににやりと笑った男の髪は、朱に近いオレンジ。
だから緋色のナイア。
質のいい宝石だけに興味を示す彼の海賊団は、盗みに入るには好都合だった。

「ナルシストなのね。」
ナイアのオレンジの髪を見ながら、ナミが言う。
「えー、でもめずらしくねぇ?俺自分以外ではじめて見たもん」
自分の髪を触るナイアの手を制すと、その手を握られた。
その指にも、上等なたくさんの貴金属が。
「そうね、でも…あんまりごちゃごちゃしてるのは好きじゃないわね」

ナミはつかまれた手を冷たく振り払って、頭では彼の指に並ぶ宝石の勘定をした。
ひとつ100万を下らないだろう。
悪くない。

ナイアは振り払われた自分の手をきょとんとした目で見つめた。
その様子を見てナミは思う。
この男はこんな優男な姿をしているのに、著名な海賊だ。
宝は盗むが、油断してはいけない。
航海の細かな仕事をこなしながら何日かが経つ間、ナイアは商船をひとつ落としていた。
きっと獲物は上々だ。
これで一度港へ戻るだろう。
次補給で岸に着く時、宝石を持って逃げよう。
それまでに仕事の段取りを整えなくては。


急に雲が空を覆い、雨が降って来たその日、船は大きく揺れた。
その異常にナミは船室深くから表へ出ようとして、ドアから漏れ入る強風に身震いした。
夏の嵐だ。帆が強風を受けて支える柄がたゆむ。
巨大な船は帆をたたむ作業も容易には進まない。
それも突然の嵐では。
「サイクロンの針路は!!」
「わかりません!」
「帆をたため!!急げ!!」
「南だ!南に逃げろ!」
強風にバランスを失った人が倒れ、床板がはがれる。
ナミは表に出て空を凝視した。
西に陸が見える。
頬に打つ雨は痛いほど。
サイクロン?
いいえ、違う。

「待って!!」
ナミは声を上げた。
「これはおそらく、サイクロンじゃないわ!北に針路をとって!!」
「で、でも、この地域では台風は北にーー」
突然の少女の声に、突き刺さる船員たちの視線。
しかし、ナミは横殴りの暴雨などないかのように、確固とした態度で声を上げる。
「サイクロンならそうね。でも、この風は南に移動するの!!このまま北へ!!」
この緊急事態に、どこの者ともしれないそれも若い女の言葉を信じる訳にはいかない。
しかし怪訝な雰囲気は一瞬だった。
「……聞いたか、そうしろ」
船室からその光景を見ていたナイアが静かに指示を与え、船は北へ。
すると、驚くことに嵐の針路は南に逸れ、逆に向かった船への暴雨はピタリと止んだのだった。
遠くにゴロゴロと音を立てる暗雲を確かめ、女は雨で頬に張り付いたオレンジの髪を撫でつけながら笑顔で振りむいた。
「もう安心ね。」
ナイアは上から下までずぶ濡れになったナミをしげしげと見つめながら、彼女の横に歩み寄った。

「どうして嵐の方向がわかったんだ?」
「この地域はこの時期だけ、大陸の季節の影響を受けて海の温度が変わるの。
普段発生しない陸上で積乱雲を発生させて、地表でトルネードになるわ。
海の上で生まれるサイクロンとは違うのよ。発生するのが陸の上なの。
―――多分、島からもっと離れていれば大丈夫だったんだろうけど。」

この地域の岩礁の位置さえも知っている。
ここは先日海図を描いたばかりの土地だから。
ナイアは船の手摺に体を預けながら説明するナミの横顔を見ていた。
初めはただ、髪の色が自分と同じで、気に入っただけだった。

海に向ける、挑むような眼差しがいい。

その横顔は宝石を散りばめたようにキラキラしていて、海に向ける瞳が、愛する者を見つめる目のようで。
濡れた髪をかきあげたのも、雨に濡れることは彼女にとてもよく似合っていると思った。

「お前、すごいな。なんでこの土地のことをそんなに知ってるんだ?出身はどこだ?」
ナイアはそれを聞いて、ナミの横顔が一瞬曇ったことを見逃さなかった。
ナミがゆっくりとこちらを向いた時には、彼女の顔は妖艶な女のそれになっていて、美しい唇の端を釣り上げて、にこりと笑った。
「……それより、着替えを貸してくれない?船長さん」
なれなれしく男の頬に手を添える。
夜の商売をする女が、触れられたくないから自分から触れるように、聞かれたくないことを聞かれないために。
水滴が髪から伝って頬を濡らしている様は、若く生意気な女のくせに、色めいて美しい。

ナイアはまんざらでもない様子で、部下に船室を案内させた。
意外にも清潔な船内の一室に通され、着替えを渡される。
案内をしてくれた人物はカインと言って、銀色の長髪の男だった。
無口な男なのだろう、服を目の前に差し出して一言だけ呟いた。
「これを着てください」
受け取った着替えを何とはなしに広げると、それはとても船乗りの着るものとは思えない、布地の少ない、ドレスだった。
わっ、かわいい
その瞬間、そう思ったのは確かだった。
趣味のいいサテンに、レース。
しかし。
肩の刺青が見える服を、着るわけにはいかない。
無意識に腕をぎゅっと握って、カインの足元に視線を落とす。
「私、これは……」
着れないわ。
自分がアーロン一味の幹部だということがばれてしまう。
「なぜですか?」
カインが銀のまっすぐな髪をさらりと揺らして首をかしげる。
「仕事をするのに着る服じゃないわ。測量をするから、みんなが着てるようなのがいい。」
「わかりました。」
では先に浴室に。と、カインは丁寧な造作で案内をする。
「……海に詳しくていらっしゃるんですね」
「ええ、私海大好きだもの。あなた、海賊とは思えないわね、丁寧で。」
物腰柔らかい。
浴室は、それはそれは豪奢なつくりだった。
金の蛇口は繊細な獅子をかたどり、敷き詰められた大理石には顔が映りそうだ。
ありがたく湯を浴び、体を洗う。
浴室を出て着替えを手に取る。

「おおおおい!!ナミー!!!」
バーンと扉をあけて、入ってきたナイアと目が合う。
こちらはバスタオルを体に巻いただけ。

「キャー!あんた何してんのよー!!」
「お前!なんでアレ着ねえんだよ!」

ドアを押さえて抵抗するも、詰め寄る男の力には敵わない。
「あんな動きにくいもの、着れる訳ないでしょ!?」
「あれ着せて侍らせたら絵になると思ったのに!」
「ハァ!?何言ってんのよ、バカじゃないの!?早く出て行きなさいよ!!」
調子が狂う。ナイアはわがままな子供の様に詰め寄って来る。

「あれ、お前…その刺青」
ギクリとしてナミは自分の左肩に触れる。
見られてしまった。
どうしよう。
逃げてきたとでも芝居を打って、同情を誘うか。
ナイアはどう出るか。

「……お前、あの魚人の...?」
普通は、何を企んでいるのか疑うだろう。
ここは敵船だ。
自分の生死は相手の手の中にある。

「いや、何も言うな。」
出方を思案ひていたナミは何故そう言うのか意味がわからなくて、驚いて顔を上げた。

「お前に何を聞いても本当のことを喋るとは限らねぇからな。
お前は見たとこ人魚じゃねぇし、同族意識の強い魚人海賊団に人間がいる時点で、理由があんのはお察しだろ。」
そう言って自分の顎を触る手には、もう指輪がつけられていないことに、ナミは気づいた。

『ごちゃごちゃしたのは、あまり好きじゃないわね』

ナイアの行動は自分のその言葉のせいかどうか。
わからないが、いつも盗みに入る海賊とはどこか違う男に、ナミは困惑する。

「……私を、どうするの?」
殺されてもおかしくはない。
海賊船とはそういうところだ。

「お前の目的が何であれ、お前じゃこの船の宝石1個すらどうこうできると思えねぇし、乗ってていいぜ。」

そう言うと、まるで取るに足らない会話をしていたかのように、ふいと背を向けると浴室から出て行ってしまった。

ナミは拍子抜けして、呆然とする。
海賊なんて、大嫌いだ。
そのはずなのに、海賊らしくない男の行いにナミは戸惑うのだった。


「.....ねぇ。」
また別の日、いつも仕事の采配をとるカインに、ナミは声をかけた。

「なんであんたはこの船に乗ってるの?船長とはどういう関係?」

カインはいつも穏やかな目を少し見開いて、またふと笑った。

「俺たちは、幼なじみなんですよ。」

えっ、とナミが声をもらすとまたくすりと笑って続けた。

「この船に乗っているのはほとんど友達です。昔、まだ小さい頃戦争で親を亡くして、燃える街からみんなで海に逃れて来ました。」

生きるために略奪をするうち、いつの間にかこんなに大きな船まで。

「船長なんて、昔は喧嘩ひとつしたことない子供だったのに、今では拳ひとつで船を落とすまでになりました。
あの拳が俺の命を救ったから、俺はずっと船長について行くつもりです。」

カインは何も言えずに口を閉ざすナミを見て、少し迷ってから言った。

「....でも、あなたにだから言いますが、もうそれも限界です。この海を根城に商船を襲っていましたが、海軍の戦力も増えて来ました。
このまま続けていればいつかーーー」

海賊は、縛り首。

そんなフレーズが頭に浮かんで、ナミは自分の喉がごくりと鳴ったのに驚いていた。
そんな事情がある船から盗みを働かなければならないことは、とても気が引けた。

「俺はグランドラインに行く必要があると考えてます。いい航海士がいれば、ここを離れて軍から行方をくらますのも、わけない。ナミ様がいて下されば、俺たちの船もどこへでも行けます。」

寡黙だと思っていた青年から求められて、ナミはすまなそうに眉をひそめることしかできなかった。

「おい、カイン。人の女を勝手に口説くんじゃねぇよ。」

どこからともなく現れたナイアはどこか恥ずかしそうに頭を掻いていた。

「ナミ、そう言うことだから一緒にグランドラインに行こうぜ。」

「......無理よ。」

「えー!お願いお願い!なっ、いいだろ?」

「...私にも都合ってものがあるのよ。どっちにしろもう補給で島に着くんでしょ?それから考えればいいじゃない。」

もうその時には、私はいないけど。

そう思いながら、駄々をこねるナイアを見守る。

「じゃあ補給やめる!」
「ハア!?バカじゃないの?水も食料も有限なのよ?」
「お前がこの船に乗るって言うまで、船に乗っててもらうぜ。」
「あのねぇ...」

「お前は、なんで魚人海賊団にいるんだよ。」
ピクリと、ナミの横顔が固まる。

「わた、しは...」
「お前は俺らの経緯を聞いたんだからな。おあいこだ。」

腕を組んで鼻から息を吐くナイアは、おそらく年上なのに子供にしか見えない。

私は、アーロン一味ではない。
けれど、彼らの海図を描かなければならない。
逃げてはならない。
大切なものを守りたいからだ。

「故郷を、人質に取られてるの。」



その時私は若く、甘かった。
私が助けを求めたことで、人を傷つけてしまったことが、あるのに。

何度アーロンを殺そうとしても、だめだったのに。
今回なら、今回なら、そう思うことがどんなに愚かしいことか、すぐに知ることになるのだ。













サイクロン云々は、もっともらしいことを言わせたかっただけなので流してください。ただの雰囲気です。

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