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□恋の病
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恋の病






数日前から、何故か食欲がない。

医者なのだから、体調管理も医学的知見に基づいて行われるべきという意見には賛成だが、豊富な知識を総動員しても原因が思いつかない。

食欲不振?
動悸?
不眠?

悪魔の能力を持ってしても、病以来体は決して強くはないが、原因がわからないというのはいい加減もやもやとするもので、麦わらの船に乗ってから目的の島までの間にローはふつふつとストレスを溜めていた。

緊迫した状況だと言うのに船員たちは呑気そのもので、おそらくいつもの日常と変わりないのだろう、思い思いに過ごしている。
まったく海賊らしくない、バケーションにでも来たかのような。

それが、航海士の一声でだらけた一味が途端に引き締まる様子には目を見張った。

航海士の言う通りに雨が来たので、ボードゲームをしていた男たちは場所を船内へ移し(船長は最後まで外にいてずぶ濡れになっていた。)ローは雨の掛からないところで本を読んでいたが、読み終わってしまったので図書室へ行くことにする。
すると

「キャッ!?」
入り組んだ船の死角からオレンジ髪が飛び出し、真正面からぶつかって来た。
「トラ男くん!?ごめん、急いでて!」
そう言うとぶつかった鼻を押さえてさっさと駆けて行ってしまう。

....さすがは麦わらの一味。
女でもぶつかっただけで凄まじい衝撃は動悸がするほど。
あのナミ屋は懸賞金は高くないが、麦わら屋のクルーは並大抵の腕力では勤まらないのだろう。
確かにこの船に乗ってから彼女が何度も船長の顔の形を変えるのをローは目撃している。

ふ、と笑ってまだ鳴り止まない心臓を抑えながら図書室の棚に本を直し、新たに借りた本を脇に抱えてローはダイニングへ向かった。



「ルフィ〜〜〜!!」
ナミがダイニングの扉を壊れそうなほど乱暴に開けると、ほかほかと風呂上がりのルフィが牛乳をもらって飲んでいるところだった。
「なんだよ。おれは今牛乳もらったんだ」
腰に手を当てて飲むルフィはその腰にタオルを辛うじて巻いているが他に何も身につけておらず、しかも体を拭いていない。
「脱衣所をビショビショにするなって、あれほど言ったでしょーがーーー!!」
「なんだそんなことか。おれ気をつけたぞ。濡らさないように素早く出てきたんだ。」
「ハァ!?素早く!?あんた体拭いたの!?」
「.....................................................ちゃんと拭いた。」
「「絶対ウソじゃねーか!!」」

キッチンにいたサンジとナミがハモる。

「だからナミさんに怒られるまでに拭いとけっつったんだ」
タバコを吹かしながらサンジが言うと、ルフィがナミに不満そうに言った。
「お前が、雨に濡れたからいい加減風呂入れって言うから久しぶりに入ったんだぞ。」
「久しぶりになってんじゃないわよ。不潔。」
「めんどくせーんだよなぁ〜風呂〜」
「めんどくさくない!もーサンジくんも言ってやってよ」
「無理だよナミさん。俺も入らないで済むのが理解できねーもん。」

もう、と航海士は息を吐く。

「ルフィ、早く体拭きなさい。で、脱衣所片付けに行くわよ。」
「ちぇーわかったよ。」

口を尖らせたルフィが当たり前のように腰のタオルを取ろうとすると、2人は大騒ぎした。

「ちょっと待て!そのタオルで拭く気か!?この船の風紀をお前が乱すな!」
「キャー!ルフィやめなさい!」

焦る2人を尻目に、船長は牛乳に夢中だ。
結局、キッチンにあった適当なタオルを取ってナミがルフィの顔に投げつけるまで、2人の心労は絶たれなかった。

「はぁ、もうそれでいいから拭いちゃいなさいよ...。」
「わかった。はい。」
「...それで拭いたつもり?」
こめかみをピクピクさせながらナミが言うと、ルフィはぽかんとして「?拭いたぞ?」と言った。

「ダメェー!ナミさん、そんな奴を拭いてあげないで〜!」
「仕方ないでしょ!ビショビショなんだもん!」

木造の船にとって、カビは大敵だ。
ただでさえ湿気のある海上なのだから、生活空間の水気にも配慮するのは船への労りだとナミは思っている。

そうこうしていると遠慮がちに扉が開かれ、そこに立っていたのは呆然とその光景を見ているローだった。

「ああっ、トラ男くん!」
「ロー」
「んあ?トラ男か?」

ローはあまりの光景に言葉もなかった。
何故かはわからないが、心臓を鷲掴みにされるような衝撃。
感情は、胸の奥ではなく脳で感じることが信じられないほどの痛み。
しかしすぐにナミの大声に我に返った。

「トラ男くん!捕まえて!!」
拭かれるのが嫌でナミの元を逃げ出そうとした船長を捕らえろと言う。
この船で最も権力を持つ航海士のあまりの迫力に気圧されて、つい言われるがままに言うことを聞いてしまった。
roomの外に出られなかった子ネズミはバタンキューとその場に縫いとめられた。

やれやれとコックがキッチンに消え、ナミがそのままね、仕方ないから着替え持ってくるわと言うと捕らえて地面に寝転ぶ船長とふたりになってしまった。

「おまえの能力おもしれーな〜」
うつ伏せの船長からは笑っている気配がする。
しかし、首をこちらに向けて言った次の句は納得しがたいものであった。

「トラ男、今めっちゃ動揺してたろ。」
「....は?」

「トラ男ナミのことずっと見てるよな〜!もしかしてナミのことすフィ
「待て待て待て待て。」

笑顔でさえある余裕の表情で見上げるルフィの傍に屈んだローは、ゴムの頬を片手でギュムーと挟むとその先を阻むことに成功した。

聞かれてはいないだろうかとキッチンの方に目をやると鼻歌を歌うような気配があったので、とりあえずローは胸を撫で下ろした。

「麦わら屋、テメェいい加減なことを言うんじゃねぇよ。」

「いや〜おれの好きなやつに手ぇ出すなんて勇気あんなーとおもってたんだ」

この船では、好意は巧妙に隠されている。船長がこんなことを言い出すことがあるからだ。

明らかに戦意を煽るようなその言葉に、ローはカチンと来た。

刀を持ってゆらりと立ち上がると、半裸のゴムの男も同じように立ち上がったが、笑っているのが心底気に入らない。

「お前の事情に興味はねぇよ。まあやるんなら受けて立つがな。」
「フッ、おしゃべりは余計だ」

刀を引き抜く時間も惜しく、互いの拳がクロスして頬を殴り合う。

あんまり本気を出すと船を破壊してしまうので、互いに最大限の配慮をしながら静かに殴りあっていると、ちょうどその時ドアが開かれて、航海士が冷え冷えとした目で拳をぶつけ合っている2人を見た。

「あんたたち何やってんの....?」

愛のある拳を細腕から受けた二人は、小ぶりなメロンほどのたんこぶをつくって憮然とした表情でにらみ合った。

「仮にも同盟船の船長がいがみ合ったらヤバイ事態かと思うでしょ!紛らわしいことしないで!」
「だってよー誰のせいだと思ってんだよ。」
「私のせいな訳ないでしょ!?」
「ナミ屋!こいつの躾は一体どうなってるんだ。放し飼いの子猿か。」
「私に言わないでよ!ルフィは最初からこんなんだもん!」

ナミが声を上げるとルフィは斜め上の発言をする。

「おいトラ男、おれは子猿じゃねぇ!それを言うなら猿だ!子はつかねぇ!」
「なんなんだその基準は!理解できん」

ローが息を吐くと、ルフィがニヤリと笑って言った。

「...おまえそんなこと言っていいのか?さっき言ってたこと、ここで言っちまうぞ?」

ルフィがナミの手首を取る。
訳がわからないナミは困惑を隠さずに船長の方を見る。
ルフィがなにか駆け引きっぽいことを言ってる。
雹でも降るのではないだろうかと。

「いい度胸だな....テメェ、後悔するんじゃねぇぞ。」

青筋を出して不穏な笑顔を浮かべるローも、ナミの手首を取った。
2人に左右ひとつずつ手を拘束されたナミは状況に頭が追いついて行かない。

「後悔なんかしねぇよ。おれは困らねェ。」
「上等だ....バラしてしゃべれねぇようにしてやるよ。」

またもや不穏な空気を醸し出す2人は、ナミの手を更に強く掴んだ。

このまま自分が二等分にされてしまうのではないかと不安になったナミは交互に2人を見比べたが、何度そうしても、全くもってこの状況の意味はわからない。

しかし、この船で生き残っていく術なら心得ている。
手綱は御するものだ。
御されるものではない。

「やめなさいって...言ったでしょうがー!!」


ゴチーンと2人の頭に二段目のたんこぶを作ると、ルフィに着替えを投げつけて早々に外へ出た。
雨はもう止んでいて、雲間に光が射している。

「ナミ屋」
ばつが悪そうに追って出てきたローはナミの姿を見てハッとした。

また動悸がしている。
いつも、この女がいる時に限ってまた。

雨上りの澄んだ空気の中にあるオレンジは余りに鮮やかだった。

「雨上がったわね。」
仕事が優先とばかりに、手首をさすりながら海を見る女は美しい。

それを見てローは、ここ数日の不調の原因をあっけなく得心してしまった。

しばらく湿度計と気圧を見ていると、納得したのかメモを取りながら言った。

「ルフィと何やってたの?あんた大人なんだからあいつの言うことなんか聞き流しなさいよ。」

「.....そうだな」

あの子供のような男に気づかされるとは。

日を追って進行して来たこの症状。
原因がわかると、何となくーーー胃にストンとものが落ちたように和らいで、乱れることなく平安を得たようだ。
ずっと欲しかったものが見つけらたような、小さな何かが芽吹くような、その感覚は悪いものではなかった。


「あとその呼び方やめて!屋号じゃないんだから。」
「お前がトラ男をやめればな。」

いつしか隣で並び立つ男を見て、ナミが瞠目した。

こんな穏やかな顔をすることもあるのだ、いつも険しい顔をしているから、びっくりしてしまった。

ーーこの方がずっといい。
ナミは思った。
優しそうで、不穏じゃなくて。
指にさえ入れ墨があるし、七武海の肩書きを持ち、ナントカ事件を起こしたような怖い男なのに。

ーーこの方がいい。


そう思うと、動悸がしてきた。

隣の男は穏やかに笑っているようにも見えて、隈がいつもより和らいでいる。

そんな自分の思考が恥ずかしく、ナミはプイと目線をあらぬ方向へ向けた。

雨上りの空気はまるで初夏のように爽やかで、甘酸っぱい。


隣でローが、この謎の症状にまるで黒足屋が言いそうな馬鹿馬鹿しい病名をつけなければならないのかと考えている時、ナミは顔を赤くして一生懸命思考を振り払おうとしていたのだった。






ーーーこの病は、伝染する。











End

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