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□脅迫
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「ゲームをしましょう。」
ヒマを持て余した細い指は、まるで恋人の肌をなぞるように妖艶にテーブルの上を滑った。
「感じたら、負けよ?」
シングルモルトウイスキーをストレートで飲んだ女は、ろくに水も飲まないのに顔色ひとつ変えない。
鼻に抜けるスモーキーフレーバー。
測量室で仕事を終えた女に誘われてグラスを付き合わせることになったが、他のクルーはもう就寝しており、日中の騒がしさが嘘のようなダイニングのカウンターに座っている。
「ローって呼んでいいの?何か親密な感じ。」
不都合はない。オレンジの髪の匂いやその肌の温度に、大いに興味はある。
「まったく四皇を倒すだなんて、不穏な話をよくも持ちかけてくれたわね。
いつもだけど、うちの船長は無茶苦茶なんだから、私たちの苦労も少しは考えて欲しいわ。」
足を組み替えて女が言った。
「......攻めたりないと言ってたのはどの口だ。」
「あら、逃げると追いたくならない?」
勝てない勝負はしない。
眠った虎は起こさない。
猫は、必ず勝てると思った相手だけを追いかける。
敵だけではない。
自分の欲しいもの。
例えば好きな男。
「.....どっちの意味でだ?」
あら、という表情をナミはした。
思考を読まれていたようで、驚いたし、この男がこう来るとは思わなかった。面白い。
言葉遊びは嫌いではない。
酒の席には、こういう話こそふさわしい。
「どっちだと思う?」
首筋を弄りながらローの顔を覗き込んで、笑ったナミが言う。
昼には昼の顔が。夜には夜の顔が。
女はいくつも顔があるから、ついて来られる男は貴重だ。
気に入った男なら、なおさら。
「勝算があるってわけか。」
「そうよ。だって、目が違ったものね?」
2杯目はさすがに氷を入れた。
薄いグラスに手の温度が伝わらないよう、不必要に触れることはしない。
またあの優しい顔が、見られるだろうか。
ナミはローを誘った時から、それを期待していた。
小娘のようにドキドキするのは昼間でじゅうぶん。
お酒は自分をまた自分らしくする。
「俺は追わねぇな。」
「なぜ?」
「逃げ出させねぇからだ。」
ふ、と笑ってそう言うと、ローはじっとナミを見た。
目が合って、じっと見つめられればそれはもう、大人の男女なのだからお互いの気持ちはわかってしまう。
あとはもう、自分の欲しいものを相手から強請り取れるかだ。
「引っ掻いて逃げるかもよ?」
「そんなやつには仕置だな。」
「案外純真だったりしてね。」
「願ったり叶ったりだ。」
どんどん近づいてくるローに、ナミが体をかわして逃げて行く。
「.....で?」
ローが意地悪く笑った。
「逃げるのは追いかけて欲しいと言う意味か?」
「あんた今追いかけないって言ったじゃない...!」
まだナミは、欲しいものをもらっていない。
あの顔が見たい。
勝負が見えた試合なら、いくら時間がかかってもいい。
ナミは妖艶に笑った。
「ゲームをしましょう。」
私のことが好きで好きでたまらないと、言わせたい。
細い人差し指がテーブルをなぞる。
その先にある入れ墨が彫られた手を登って、指の上のTをなぞった。
「感じたら、負けよ?」
ローは息をのんで、美しく笑う女の顔を見た。
指が、指を丹念になぞる。
その光景があまりに煽情的で、ローは思わず手を引いて、逃げてしまった。
ナミは破顔した。
「はい、ローの負け。」
笑顔で言うナミは、ローの頬に手を添えて軽くピシャンと叩くようにした。
「じゃぁ、言って?」
欲しいものを強請るゲーム。
いつの間にか彼女の土俵になって、いつの間にか賭けに乗らされ、いつの間にか彼女が勝っている。
そんなところも、いい女だとローは思って、頬の手を取って口付けた。
本当に、ガラにもない、負けてばかりの、俺は、お前が、
「好きだ。ナミ。」
勝てない勝負はしない。
欲しいと思ったら、手に入れる。
だから最高にいい女なのだと、ローはナミを抱き寄せて思う。
ナミは今まで触れたことのなかった黒髪に顔を埋めて、笑いながら「私も。」と言った。
End