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□魔女は笑顔で死地へ向かう 後
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魔女は笑顔で死地へ向かう 2







アーロンパーク壊滅の報を受けたのは、借り住まいとした古く大きな洋館に、所用から帰ってきたところだった。

2年前ーーナイアは全身に火傷を負い昏睡していた。
何度となく浅い眠りを繰り返し、呻けば呻くほど自分の弱さが確かめられるようだった。
助けられなかった娘。
魚人に歯の立たない自分。

悔しい?
悔しいなどと言う言葉でこの気持ちに説明がつくものか。
どんなに自分の無力さを嘆いても、起こり、そして終わったことを受け入れられない醜態を晒すほど、ナイアは子供じみた行いを自分に許すことはできなかった。

昏睡も一週間に届きそうな頃、ナイアは呻くことをやめた。
痛むことをやめた。
これから自分が経験することすべてを、己の糧にすることに決めた。
もう一度チャンスを掴むための糧に。

だから。

自分の心に宝石を残したあの少女に、会いたい 。

それは、執着にも似ていた。
自分のしたかったことを、した誰かがいる。
助けたかった。
力があれば、自分が助けてやりたかった。

力が欲しいかと、混濁する思考の中で自分ではない声がするようだった。
昔平和だった時代、少年漫画でよく読んだ展開だ。
それで、望めば何かを失うんだろう?
あいにく、欲しいもののために譲ってやるものなど一つもない。
何かを失って得たものには意味がないからだ。
そして代償のない取引など、ない。



ナイアはアーロンパーク壊滅を報せる新聞を読みながら、護送されるという男のことを考えた。

あの魚人も、代償を支払ったのだろう。
あの魚人は言った。
『お前、ナミに惚れてるのか?』
執拗な監視。男である自分への視線。ナミへの口ぶり。
ーー俺にはわかる。
あの魚人もまた、ナミを。

選民思想の強い民族でありながら、その思想に反してまで側に置いた代償だ。
歪みはじわじわと、真綿で首を絞めるように人を殺す。
決して報われることのない、そして何よりも剣呑な思想に染まりきった立場で人間を愛してしまうのは、さぞ辛かっただろう。

カインに抱えられて燃える船を脱出したあの日、ナイアの致命傷は火傷よりも魚人から受けた内出血だった。
捜索の入らない小さな村を探して治療を受け、一月生死を彷徨ってその場を後にし、東の海でいつも見ていた赤い大陸の反対側を見るようになった。

クルーが船から持ち出した宝石をすべて売り払い、ナイアは会社を立ち上げた。
黒玉や黒ガラスを装飾品に加工する会社だ。
海に出られないのなら、この何十人もの仲間を食わすことができない。
工場を構え、生産力を上げるとたちまち資産は何倍にも膨れ上がった。

二年も経つ頃には軍艦にひけを取らないほどの規模の商船は4台にそろい、事業は拡がるばかりだった。
そして、社長として連日仕事に追われたナイアが帰った時、カインが新聞を持って来たのだ。
ーー血相を変えて。

「アーロンパーク壊滅。」
ナイアが唱えると、カインはこくりと頷いた。
「ノコギリザメだ。ナミ様はあいつに捕らえられていた。」
ええ?そんな呼び方してんの?と美しい眉をひそめるナイアの顔には、前髪を上げると、少しケロイドが残っている。
ナミと別れた後、彼女の情報はゼロに等しかった。
故郷、と言う土地がどこかわからないばかりか、ノコギリザメの魚人が村々を支配していることは空前の事実だったはずなのに、その情報を得ようとしても叶わなかった。

ーー握り潰されている。

正義を語るつもりなどないが、胸の悪い話に内心で舌打ちをする。
腐った連中だ、村には娘や年端の行かない子供だっていただろうに。




ナイアほど他人の感情に聡く、相手の心を慮ることができる人間をカインは知らない。

燃える船から脱し、ある日を境に苦痛に顔を歪めることがなくなった友はある種別人になったかのようで、今日まであの娘のことも、魚人のことも口に登ることはなかった。

仲間たちのために会社を興し、奔走するナイアの姿を見ていると、あの月日やナミのことを考えないようにしていると、そんな気がカインにはしていた。
ナイアは情が厚く仲間に忠実だ。
船長でありながら、同じように故郷や親を失った友達である仲間に仕えている。
なまじその能力があり、リーダーシップを持っているからだ。
では、彼自身の心は?
目の前でノコギリザメの魚人の写真をまじまじと見ているナイアはまた、敵でありながら魚人の人生を慮っているように見える。
同じ女を愛した男だから。

新聞には詳細が記されていない。
ただ、アーロンパーク壊滅に関わったのが麦わらの一味という無名の海賊だったということだけが書かれていて、太陽のように笑う少年が、手配書の向こうで手を振っていた。
3000万ベリーはこの2人にとってははした金だが、イーストブルーでは破格の金額である。

「ローグタウンはここから近いよな。」
ナミは、乗っているのではないか、この少年の船に。
いや、と思う。
あれほど嫌っていた海賊になるとは考えにくい。自由を得た年頃の女が、海賊になる人生など。
しかし、何か予感めいたものがあった。
この男は地獄からナミを救ったのだ。
そして、ナミを愛したのでは。
もしそうなら、少年の気持ちは、ナイアが一番よくわかる。


でももし。

またあの魚人にされたように、脅され、笑顔を奪われて船に乗っているのだとしたら。


「明後日に取引でローグタウンに行く用事はありますが。」

既に海軍との司法取引は済んでいた。
マリージョアへの商船を襲っていたナイアの海賊団は、損害額を上回って余りある金額を提示して、海軍に恩赦を願い出た。
本部の目の届かない海軍は、自分たちの脆弱さが露呈することを恐れてこれを承認し、元々懸賞金が高くないこともあって不遇な少年たちの海賊団は懸賞金を取り下げられ、ただの、一般市民になった。
そして一企業として頭角を現しつつある。

「こいつら多分この町通るだろ。
俺、何日か滞在してもいいか?」

そう言うナイアにカインは笑った。
この男が仲間の為ではなく、自分の為に行動することが嬉しかったからだった。





ナミはカインの後ろに従って、鬱々とした面持ちで歩いていた。
ちゃんと船は出港できただろうか。
そして、こいつらの目的は何だろう。

「ーー許してください。お仲間を連れ去ったこと。」
カインは銀髪を揺らして振り返る。
ナミは俯いた顔からちらりと男を伺い、また目線を落とした。
「正直、信じられないわ。あんなことをしたのも、あんたが生きてるのも。」
サクリサクリと、下生えを踏む足音。

「信じてもらえないかもしれませんが、お仲間だと、思わなかったもので。
ーー俺はナミ様に嫌われたくありませんから。」

前を向いたまま、カインがそう言うと、ナミは益々わけがわからなくなる。

「ちょっと待って、それはどういう...」

言葉が続かなかったのは、海岸の林が途切れたからだ。
いや、それよりも光が煌々とナミの顔を照らし、夜も更けたはずの辺りが昼間のように明るくなるほど、海に浮かぶ船のライトが眩しかったからだった。

「軍艦...!?」
「今回は、護衛付きで来ました。」
グランドラインを逆走して来たのは、カームベルトを通ったからだ。
それには海軍の協力が必須になる。
「????」
ナミは口元に手をやって、考え込んだ。
どういうことだ。

「まぁ、もう彼も、仕事を終えて待ってる頃だと思いますから、行きましょう。」

彼。

ギラギラと研磨の荒い宝石のように光る軍艦を前にして、ナミは無意識に、胸元にしまったダイヤモンドを握った。









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