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□Fall in
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Fall in








落ちるのは一瞬だ。
人生にそうあることではない、今ある場所からの転落。
その先にあるのは赤なのか、黒なのか。








同盟を結んだことだし、宴しねえとな!と、何かと宴会をしたがる船長に根負けして、主役は芝生の敷かれた甲板に引っ張り出されている。

それをナミは楽しそうに眺めながら、ビールはもう4杯を数えようかと言うところ。
外で飲むビールは格別だ。

「ナミ、それ何杯目だ?」

ルフィがナミの酒に興味を示す。
ついこの間同じことを聞かれてから、彼の中で何杯目かを聞くのは習慣になっているらしかった。

「4杯よ。フランキーがビールサーバー付けてくれたんだから、使わないとね?」

ご機嫌なナミがウインクすると、ルフィは楽しそうにしししと笑った。

「おれも飲んでみよーかなー」

「あんた飲めるの?やめときなさいよ子供なんだから。」

「お前失敬だな!子供扱いするな!」

「そう言えば、あんたが飲んでるの見たことないわね。
.....飲んでみる?」

飲む、と言うのでジョッキを置いてキッチンへ向かうと、先日やっとサーバーの使い方を覚えたゾロがちょうど黄金色の液体に白い泡を満足そうに乗せるところだった。

「あんた上手に注げるようになったのね。あんなにサンジくんに怒られてたのに....」

「おう、ナミ。見やがれ、この配分。」

「こぼさなくなっただけでも褒めてあげるわ。」

「お前は?おかわりか?」

「ルフィが飲みたいって。」

新しいジョッキを出してビールを注ぐ。

「ルフィが?あいつ飲めんのかよ。」

「さぁ....でもなんとなく弱そうよね。」

きめ細かい泡がとろりと溢れる。

「あっ、こぼしちゃった。」

「.......」

指に垂れる白い泡。
それを見てなんとなく、舐めたいと思った衝動を抑え込んだゾロは喉をごくりと鳴らした。

絶対にそんなことを悟られてはならない。
修行が足りないからこんなことになる。まったく。

自分がナミを好きなことなど。

ジョッキグラスを丁寧に拭く女を見て思う。

けどこの女には、いつもいつでも見ている男がいると、どこかでそう信じている自分がいて、それなら自分が出る幕などどこにもなくて、この気持ちは抑えなければといつも

「どうしたの?」

いつも通り露出の多い服を着たナミは、髪を高いところで束ねている。

覗き込む大きな目に考えを見透かされそうでゾロは不自然を承知で目をそらした。


ルフィだ。
きっとそうだと、ゾロは思っていた。
ナミはルフィを見ている。

その気持ちは、自分もわかる気がするからだ。
あの太陽に惹かれないはずがない。

ましてや最も側にいて、求められれば、ナミはきっと何もかも捧げてしまうだろう。

そんなこの女の、一見そうはみえない献身さだって、自分は好ましいと思っているのだ。

「ゾロ?行かないの?」

「あァ....」

外を指差すナミにぼんやりと頷いて甲板へ出る。
騒ぐ仲間たち、隈の酷い居候は居心地が悪そうに座っている。

「おう!ナミ!お前のビール飲んだぞ!」

まだ半分ほど残っているグラスを突きつけてルフィが言った。

「えっ!今あんたの入れて来たのよ!?」

「あんなにげーもんよく飲むなー!しかもなんかすぐカッカして来るしよー」

「そこが美味しいんじゃない。大丈夫なの?」

「ちょっと顔があちい。」

ルフィの頬に手を当てて確認すると、確かに熱いし顔も赤い。

「ゾロもよく飲むよな〜。お前ら酔わねえのか?」

「まァこんな程度」

「私たちには水みたいなものよ。」

ビールは水、と言い切る2人を尻目に船長は赤い顔を見せにチョッパーやウソップの方へ行ってしまった。

持て余したグラスはひんやりしていて、ナミはキョロキョロと辺りを見回す。

このビールを押しつけ....いや、差し上げるのは彼しかいないと1人夜風に吹かれているローの元へ足を向けた。



ひやりとした硬い感触を首筋に感じて、ローは後ろを振り返った。

にこにことご機嫌に笑っているオレンジの女はその鮮やかな色の髪を高く括っている。

「トラ男くん、これ飲まない?今いれたとこなの、ぬるくならないうちに。」

「....わりぃな。」


突然背後に現れた女に、驚かなかったと言えば嘘になる。


ーーこの女と言えば、とにかくうるさい。

明るいと言えば聞こえはいいが、日中はだいたいずっと、この船の船長に怒鳴っている。

それは船長が本当に取るに足りない悪さを一日中し続けているからで、この女が悪い訳ではないのだが、この時点でローはナミにそういうイメージを抱いていた。

原因は船長のこの女への執拗な執着だ。

自分への関心を買いたいがために悪さをしていることが手に取るようにわかる。

そんなこと、当の本人は怒るばかりでわからないだろうが。



「トラ男くんはあんまりお酒飲まないの?」

うなじに汗が垂れて光っているのが目の毒だ。

「.....嗜む程度だな。」

「船ではあまり飲まないの?」

「飲まねぇな、たまにしか。思考がぼやけるのが好きじゃない。」

「なるほどね、トラ男くんは勤勉だってチョッパーも言ってたわ。」


医学は日進月歩する論文や臨床例とのいたちごっこである。
いい医者であればあるほど常に新しい情報を得なければならず、その量は膨大で日々変化している。
それでも論文を読み漁るのはローにとってもう習慣となっていた。

ローはビールをごくりと飲んで、目の前の女を観察した。

若い健康的な肢体は惜しげなく露出されて水着の紐が何とも頼りない。

パンクハザードのあの気候の中でもこんな格好をしていて驚いたが、この女にとって水着は普段着なのだ。


ーーーまあ、これを見て喜ばない男はいない。

いたとすればそいつはEDだろうし、目は節穴だと診断する。


そんなたわいもないことを考えていると、強い殺気と視線を感じた。


ローはナミに悟られないようゆっくりとした所作でその出処を見ると、緑髪の剣士が険しい顔でこちらを睨んでいた。


ローはふと笑う。

なるほど、どうやらこの船でこの女は鬼門らしい。

そう思うと、更に興味が湧いた。


「お医者さんからすると、飲みすぎってやっぱりよくないのかしら。美容によくないならちょっと控えようかな。」

ナミが頬に手を当ててひとりごちる。
この殺気を感じないなんて、お気楽もいいところだ。羨ましくさえある。

「アルコールに対する強さはアセトアルデヒド分解酵素の働きで決まる。酵素を十分に持っていれば美容に関係するのはアルコール摂取後の睡眠の質やらの方が重要だろうな。」

「トラ男くんすごいわね。やっぱり医者ね。」

ナミは楽しそうにくすくすと笑っている。

その表情を自分に見せることがどんなことを巻き起こすのか知りもしない。


興味が湧いたから、ローはナミの耳元に唇を寄せてみた。

肌を焼くような殺気が面白かった。


「お前がよければじっくり診察してやるぜ...?」


オレンジの香りが鼻腔をくすぐる。

口説いたのは興味本意だ。

殺気を抱くほどこの女を欲しているのに、手に入れようとしない男。

女の視線を自分に釘付けにせずにはおれない船長。

船長がこのやり取りを見ていることだって、こっちはとっくに気づいている。


そう、思っていると。

ローは今まで感じたことのない痛みを頬に感じた。

片手で頬を横に引っ張られて帽子が転げ落ちる。

いつの間にかナミのジョッキを握らされて両手がふさがっているので、抵抗もできない。



「.....なにをひゅる。」

「あいにく私は多忙なの。」


ナミはぞくぞくするような、侮蔑を含んだ表情で笑っていた。
そして背は高くないに関わらず人を見下すことができるのだ。


「遊びに付き合ってる暇はないから、もっといい男になって出直してきて。」


ぞくぞくした。
女の顔から目が離せない。
ナミは空のグラスをローから取り上げて立ち去る。
美しい髪と背中は毅然としている。

まるで魔女の使いの、猫のよう。






落ちるのなんて一瞬だ。
触れることすら叶わずに辿る転落の一途。
その先は闇か、絶望か。






ローは周りの男の殺気を受けながら、恋に落ちた、と言う顔でふと笑った。











End

















ゾロはナミがこちらへ来るのを認めて息をつく。

こういう時、ルフィは何も言わずにナミがどうするかを見ているのだ。
まるで例えナミが何を選んでも、その選択の全てを受け入れる、というかのような。

自分にはそんなことはできない。
そんな愛し方はできない。

だから、自分ではふさわしくないのかもしれないと思ってしまう。
その境地に達していない。酷くちっぽけな存在のように。

ただ、ナミに危害が及ばないように牽制することしかできない。

身を引きながら、前へ出ることを抑えられない。


ゾロは拳をぎゅっと握って、思考を振り払う。

竦んでいる。
いつもこうだ。

夢の遠さを目の当たりにした時から、自信を失ったままでいるのだ。
好きな女に気持ちひとつ伝えられない臆病者になっている。

ただ、それでもいいと思っていた。
あの男が現れるまでは。


ローはこの船の男とは違う。

船の目に見えない均衡に、一石を投じたのだ。

もう、後には戻れない。




水面に落ちた石は、波紋を広げて炎のように揺らめいた。












End

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