novels
□包むはずが切り刻む
2ページ/2ページ
つつきざ
つん裂くような女性の悲鳴が聞こえた。
日が落ちた街には暗闇が多く、大通りから少し道を入るだけで良からぬ気配がするのをサンジは見抜いていた。
悲鳴を聞いた2人は顔を見合わせた。
近い。
サンジが暗い脇道に入り、ナミが後ろを付いて行くと、ゴミ捨て場のすえた臭いがした。
辺りを見回すサンジは呼気でタバコの火を暗闇に光らせながら、ナミの背後の気配に一瞬反応が遅れる。
ナミは横から来る衝撃に、地面に尻餅をついた。
走り、ぶつかって来たのは息の荒い女性だった。
女と一緒に石畳に叩きつけられることになったナミは、きゃ、とくぐもった声を出した。
そして物騒な無数の足音。
4,5人いた男はサンジによってすぐに意識を奪われ路地裏の地面に沈んだが、明らかにこの女性を追っていた。
女ははぁ、はぁと息を切らしてナミの服を掴んでいる。
ナミは驚きながら女を見る。
さっきの悲鳴はきっとこの人だ。
乱れた髪の女は顔を上げると、美しい唇ですみません、と言った。
「い、いえ....大丈夫ですか。」
ナミが言うとサンジはまず女性の手を取り、立たせた。
美しい女性に目がハートになっている。
そしてナミの手を取ったが、ナミはズキリと痛んだ腕を何故か隠した。
転げた時に肘が擦れたのだ。
今、何故かサンジにそれを知られたくなかった。
「はぁ、はぁ、本当に、申し訳ありません...悪漢に追われて、逃げていたんです。」
少なくとも、女性は悪事を働くようには見えなかった。
切れ長で少し垂れた目尻は色気があり、泣きぼくろがある。
髪をまとめ上げているので年上に思えるが、ロビンと同じくらいだろうか。
所作は丁寧で品があるので教養のある人なのだろう。
「すみません、お怪我はありませんか。」
ナミを心配する瞳は真摯で常識的だ。
「あ...大丈夫です」
ナミは肘の擦り傷を自然に隠して言った。
「警察に?」
サンジが言うと、女性は首を振った。
「彼らは借金取りなんです。亡くなった夫が残したものですが、私は知らなくて。警察にも相談しましたが....
隣の島に実家があるので帰ろうとしたところを売り飛ばされそうになり、逃げたんです。」
そう言うと、女性はうっと足を押さえた。
ぶつかった時ひねったらしく、歩けない。
ヒールも折れて、靴底にぶら下がっている。
すかさずサンジが女性を支える。
女性は気丈に歩こうとするが、顔を顰めている。
するとサンジも腕をしっかりと掴み、背に手を回させて自分を頼らせた。
それを見たナミは痛む腕をぎゅっと握って体の死角に入れる。
「Madam veuve、お名前は?」
マダムヴーヴだかなんだか、未亡人と言う意味の外国語を言いだしたサンジを見て、ナミは成り行きを見守ることしかできない。
「ヘイワースです。リタ・ヘイワース。」
「リタ!なんて素敵な名前なんだ〜!!」
サンジはいつも通り、綺麗な女性に目がない。
後は、ご想像通り。
サンジはリタを横抱きにして運んだ。
スラリとした男が美しい女性を抱え上げるのはとても絵になる。
お似合い....
ナミはその後姿に、足を引きずるようについていく。
重りでもつけられたようだった。
背後にある、路地裏の暗闇に捕まりそう。
ザワザワと煩いのは街頭のざわめきなのか自分の心なのか、もうわからない。
リタはナミに気を遣ってサンジが抱き上げることを遠慮した。
恋人なんでしょう?と。
ナミは壊れた人形のように首を振り、微笑んで言った。
「....いいえ。違うので、大丈夫ですから。サンジくん、運んであげて。」
「そうでしたか。本当にすみません。」
リタを抱き上げながらサンジはナミを見たが、ナミのその表情は至って平静で、当然のように顎をつんと上げた。
そう促して大通りに出ると人々がお似合いの二人を、綺麗な女性を抱き上げた金髪のスラリとした男を見る。
ーーそれにナミは後ろから付いて行く。
まるでおまけみたいに。
小娘なんか入り込む余地、ないみたい。
ナミは2人の背後で俯いた。
俯くと、彼の為に装った白いワンピースが見えた。
暗い路地裏の、ゴミ捨て場で転んだので泥がついて、酷い有様でもう目も当てられない。
歩くと胸の、彼の瞳と同じ青いネックレスがちらつく。
汚れた手のひらに載せてじっとサファイアを見ると、暗い表情の女が映った。
夜風が当たって肘の擦り傷が痛かった。
真っ暗な世界に一人ぽっちになったような気がした。
足元はヒールなんかではなく、歩き易いぺったんこの靴。
これでは足をくじく方が難しい。
リタはきっと少し年上で、旦那さんを亡くして不安で、絶望で、それなのに身を売られそうになった薄幸の未亡人だ。
こんな風に思っちゃいけない。
考えてもいけない。
ーーでも。
サンジはこれから、彼女の靴を買い、医者に見せて、その後どこに連れて行くんだろう。
部屋を取ってやるか、船に乗せてやるか。
私、いない方がいい。
お姫様抱っこをする王子様のような男が、人に見られて恥ずかしがる女に優しく微笑みかける横顔が見えた。
胃にものを落としたように重くなって、耐えられずに頭がうな垂れた。
ーー足が、動かないのよ。
重くて、冷たくて、一歩が踏み出せない。
ああ、とナミは思う。
私こんなにサンジくんが好きだったんだ。
雑踏の中に2人の姿が遠ざかった。
人はみんなその美男美女を振り返っている。
2人が見えなくなりそうなところで、ナミはもう一度、青のペンダントをぎゅっと握った。
ーー呼んだら、いつでも飛んでくから
「............サンジくん」
男はもちろん、来ない。
Next