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□撫でるつもりが引っ掻く
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撫でるつもりが引っ掻く








ナミは世界的な高級ブランドのドアボーイがドアを開けるのをほとんど待たずに中へ入った。

泥だらけの、店員が顔を顰めそうな姿で入って来た若い女は、呆気に取られる店員に数着の服と靴を出させて、着て帰ると言う。

脱いだ服と靴を捨てさせ、試着室からヒールをカツンと響かせて出てきた女は、若いくせにハイブランドを着こなしていて、ノースリーブにショールを引っ掛け、くびれた腰のラインを惜しげなく披露するその姿に男の店員は熱に浮かされた顔でそれをぼうっと見ていた。

大枚をはたいて全身を新しい衣服に取り替えたナミは、次に手近な宿に部屋を取ってメイクをした。

仕上げに紅を引いていると、胸元のペンダントに気づいた。

優しい青。
誰にでも優しい青。

ナミはそれを無理に千切って床に投げようとして、止めた。

手近な宿と言っても、このホテルは多分街で一番のホテルだ。
そんな場所で、ふかふかの絨毯に向かってきっとこれを投げたって、心は少しも癒えはしない。

震える手を下ろしてテーブルに落とすと、サファイアはカツンと小さな音を立てた。


新しい靴を響かせながら街を足早に歩いた。

まるで鎧をまとうようだ。
あらゆる痛みから守ってくれる鎧。
女にとっては新しい服、高級な靴、美しい化粧、アクセサリー、バッグ。
それらも全部を取り除いてはくれなけれど。

でも痛みを、もっと鈍磨させる方法を知っている。












ゾロはウソップ達に、街に行かねぇのかと誘われたが、船での昼寝を選んだ。
寝ていては見張りどころか何の役にも立たないので、フランキーなどは碇泊しなければ診られない船の修理をするなどと言って、いつも若者に散策の順を譲って残ってくれている。
そろそろチョッパーの金も尽きてルフィたちが帰って来るだろうと、起きたゾロに声をかけたので、ゾロは街へ行くことにした。

街に行くといっても、行く場所は酒場しかない。
どんな島も酒場がありそうな場所はだいたい決まっていて、大きい街ではそれはきらびやかで目立つものだ。
そういうところでは今まで飲んだことのない美味い酒に出会えた。

酒場か。
ナミと鉢合わせたあの日を思い出す。

起きたことを全て、受けとめることに決めたけれど、何故あんなことになったのかと思わずにいられない。

娼婦に絡まれてナミに助けられたが、礼も言えず誤解された。
あの時ナミは、女に嫉妬して泣いていた。
幼い少女のように、素直に自分の心に従って。

何故、難しくなるんだろう。
自分の心に正直になること。
正直に、なった時には遅すぎるのだ。


割と規模の大きい酒場に入って適当に座ると、男たちが色めき立っている気配があった。

不粋な男たちの視線の先にはカウンターに座る女がいて、この場にそぐわない仕立てのいいドレスは体の線をぴったりと引き立てており、後ろ姿だけ見てもどれほどの美女か、こちらを向かせようと力自慢たちはアームレスリングに興じ始めた。

暗い店内で男たちの喧騒に見向きもしない女は、濃い琥珀色をロックで流し込んでいる。

ナミのようだ。
もしナミなら、フィディックやカーデュを好んでロックで飲む。
しかし一杯や二杯ではない。

もうロックグラスの横にシングルモルトの残り僅かになった瓶を無理矢理バーテンに置かせた女は、どんな飲み自慢も寄って来れないようなオーラを放っていた。
現に、隣に座った何人かの男が口説こうとする前に同じペースで飲んで潰されていたからだ。


ナミはただ、グラスを口に運ぶ手を動かしているだけだった。
嫉妬深い自分、痛みに弱い自分、素直になれない自分、切ないセックスがくせになっている自分も知っていた。

さすがに、胃を満たしたウイスキーにぐらりと揺れて、頭を抱えた。

頭の中に、お似合いの2人の姿が離れない。
ワンピースの泥、瞳の色の宝石。
今頃、彼らはどこにいるのだろう。
こんなことをして、こんなちっぽけなことでその場を逃げ出して、怒っているかもしれない。
自分の気持ちなんて取るに足らない、優先すべきことではなかったのに。
人一人助けることもできない、心の狭い女なんて。


そんな中で、いかにも金持ちといった風貌の男が女の隣に座る。
スーツに革靴なんて男はこの酒場では珍しい。

「そんなに飲んで、何があったんですか?」

「...............」

ナミは黙ってグラスを煽る。まだ酔えた気がしない。しかし感情は鈍磨して来た。

「嫌なことでも?」

マティーニを頼んだ優男は尚も続ける。

「僕はリーガル・ベンジー。貴女にお酒を奢らせて頂けませんか?」

「.....ここにいる全員にシャンパンを振る舞えるくらいの財力を持って出直してきて。」

「....わかりました。.....あなたも何か他のを?」

「マルタンのプルミエクリュある?」

高い酒を飲んでやろうとカウンターに身を乗り出す。
するとショールが落ちたので、男に拾われて得意な顔をされる口実を与えたくなかったナミは素早くそれを拾った。



ゾロはショールを拾う女を見て、ガタッと椅子から落ちそうになる。

ナミだった。

暗いので、いつもこの目を惹かずにいられない、オレンジの髪だとわからなかったのだ。

いつもよりも目が座っているので相当飲んでいることがわかる。

今日は、コックと出掛けたのではなかったのか。
それを考えるのが嫌で、見たくもなくて、船で寝ていたのに。

様子がおかしい。

肩が落ち、自信に満ちた航海士のピンと伸びた背筋ではない。
あるのは、つけ込む隙がありそうな、危うさ。

隣の男が酒場の客という客にシャンパンを配らせたので、浅慮な男たちはありがたくそれを飲み、注目していた女をそいつが独占するのは仕方ないという雰囲気になっている。

あーーー、くだらねェ


男が女の肩を抱こうとするが、ナミは回された手の甲をつねって防ぐ。

そうこうしていてもナミが飲み過ぎているのは明白で、本来ではない、滅多にない姿を見知らぬ男に見られているのが腹立たしかった。
頭が揺れ、沈むのも時間の問題だ。
コニャックの入ったグラスを揺らし、とうとう肘をカウンターについた両手で頭を支えた。

男がもう一度肩に手を回すと今度は抵抗がなかったので、頭を抱える女の耳元で何かささやく。

ーーいい場所があります。2人で出ましょうと。



血管が浮き出、血が粟立った。

体が勝手に動いた。

カウンターに詰め寄り、ゾロは男の腕を掴んでただでさえ鋭い三白眼を良く切れるナイフのように細めて凄んだ。

「人の女に何してる。」


ナミがハッとした表情で振り返った。
安堵の色、信頼の色、悲しみ。
ごちゃ混ぜになって、施した化粧も美しくて、アルコールで潤んだ目は自分を見ていて、それだけで心が慰められた。

ナミはゾロの腕を取って、小さい子供がするように逞しい腕に抱きついた。

ゾロ

名前を呼ぶ小さい声は充分ゾロの心臓を跳ねさせた。

ナミは顔を上げて長い髪を翻すと、ベンジーと名乗る男ににっこり笑った。

「ごめんなさい、恋人を待ってたの。ごちそうさま。」

そう言って席を立ち、腕を絡ませて2人で酒場を出て行く。


一人ぼっちじゃない。


それだけが、重かった足を少しだけ軽くした。











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