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□8.欲しがるから手に入らない
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欲しがるから手に入らない
ゾロEND
慌ただしく島を出て、数日が過ぎた。
ナミは何も言わない。
コックとも、何もない。
なんとなく、ナミの性格を鑑みるに、けじめをつけてこんなことはもう終わりにしようとしているのかもしれない、と思った。
色々、申し訳ないとか思ってんだろうな。
傷つけられて、傷つけて、よくないことをしたと。
誰だって、被害者にはなれても、加害者になるのは嫌なもんだ。
ゾロは雲行きの怪しい空の下でふーと長い息を吐く。
ーー俺のもんになってくれりゃいいのに。
ゾロはポケットに入った宝石に確かめるように触れた。
何となく返しそびれていて、でもこれを返したらそれこそ何もかもおしまいになってしまうような気がして、ゾロはナミに返せずにいた。
あのホテルでの夜のことも。
自分は満たされて、幸せで、もう一度、自分を見てくれるのではないかと期待した。
もう絶対に、あんな悲しい顔はさせないから。
お前らしさを奪うことはもう、したくない。
でも、お仕舞いになるのが怖くて、進む一歩を踏み出せない。
もうすぐ雨が降るな、と思ったナミは図書室で自分の机に頬杖をついて、窓の外を見る度に何度目かわからないため息を吐いた。
自分の心が向かう先はもうわかっているはずなのに、勇気なんかちっとも湧かなくて一歩も足を踏み出せない。
自分のしたことは余りに自分勝手で、揺れて揺れて揺れ動き過ぎて周りの人を巻き込んで倒してしまったピンのような。
外にしとしとと雨が降り始めたのも、憂鬱とした気分を増幅させた。
ーーもし、ゾロが何か言って来てくれたら、私も足を踏み出せる気がするのに。
なぜあの時海兵に追われてサンジと走っていたのか、問い質してくれるのでもいい。
何故ゾロを置いて部屋を出たのか、もし聞いてくれたら。
これも、勝手よね。
でももし聞いてくれなかったら、会わす顔なんか、正直ない。
だって私、最低のふらふら女だもん。
あっちへふらふら、こっちへふらふら
でも、それはもうやめる。
けじめをつけて、もう逃げない。
傷つけられる自分からも、人を傷つける自分からも。
自分の正直な気持ちを告げて、悲しそうに笑う男が煙を燻らせながら頷いたのをナミは思い出していた。
私、ゾロになんて言えばいいんだろう。
ナミは雨が床を叩いて木目の色を変えて行くのをじっと見ていた。
ゾロ。
いっそ怒ってくれたら。
俺だけを見ろと言ってくれたら、私は喜んでそうするのに。
外で昼寝していたゾロは、雨が無視出来なくなる程度まではそのまま外で寝ていた。
ビシャビシャになってようやく起き出し、それほど好きではない風呂に入らざるを得なくなって、ぼたぼたと水滴を垂らしながら風呂に向かう。
風呂と図書室は近いので、通りかかった窓の中からナミと目が合って心臓が止まりそうになった。
ナミはずぶ濡れの男を見て驚愕した。
え!?
なんでこんなにずぶ濡れ...?
まさか雨でこんなになるまで外で寝てたってこと?
なんてワイルドな...
なんて....
なんてバカなの!?
もうその表情からナミの考えることが100%わかってしまって、ゾロは赤くなって親指を地面に向け、うるせェとサムズダウンした。
風呂に向かっているのはわかるはずだから誤解も何もない。
ナミはそれを見て笑った。
地獄へ落ちろポーズをされたのは初めてではない。
私をアーロンから解放してくれたあの日、あんたが私に示した信頼の証だ。
ナミが笑ったのを確認して風呂へ去って行く分厚い背中。
わかりにくい好意も、示してくれた信頼も、話さないのに通じる言葉も、全部全部ずっと側にあったものだった。
気づかなかっただけ。
誤解しただけ。
だから勇気を出すんだ。
私も、前に進むんだ。
シャワーを浴びる男の気配に、心臓がドキドキする。
洗面室に忍び込むように滑り込んで、ナミは風呂の水音を聞いていた。
ゾロが出てきたら、何て言おう。
今まで色々、ごめん?
まだ私のこと好きでいてくれてる?
信じられなくて、いっぱいふらふらしたけど、私あんたのことがーー
ガラッ
風呂から出てきたゾロを見て、裸であるとは思いもよらなかったナミは悲鳴をあげた。
「キャーーー!!へんた、もがっ」
「いやいやいやいや!変態はお前だろ!被害者ヅラするな!」
悲鳴に焦り過ぎてゾロは思わずナミの口を塞ぐ。
この船の人員はお前の危機に敏感なんだから、騒ぐのはよしてくれと。
「も、もめん...(ごめん)」
「いや...向こう向いてろよ。」
いくら何でも犬ではないのだから体を拭かなければならないが、自分が触れたことで少し服を濡らしてしまったナミの背中を見て、ごくりと喉が鳴った。
「....っ、すぐ出るから...」
「あの、私あんたに話があって」
後ろを向いたままナミが意を決した様子で話している。
ーー嬉しかった。
俺も一歩踏み出したかった。
ここに忍び込むまで勇気を出してくれたのだから、自分も。
「俺も」
下半身はちゃんとのびのびとしたスウェットを履いたので、ゾロは口を開いた。
「ずっと言わなけりゃと思ってた。これ....」
ゾロは後ろを向いたナミの横から、青い宝石を乗せた手を差し出した。
「これ、ずっと返そうと。」
ナミはそれを見て、愕然とした。
これを今、返されると言うことは。
眉根が寄り、泣きそうになった。
もしかして、ゾロは私がサンジくんのもとへ行くことを望んでいる?
もう全部、おわりにしたいと思ってるのかな。
目の前が真っ暗になってしまった気がした。
ーーそっか。そうよね、だって。
私、ふらふらしてたもん。
ゾロにも、サンジくんが好きだって言っちゃったし、あの夜ゾロは私を好きだと言ってくれたけど。
その後も、サンジくんに抱かれてしまって。
ーー今も、ゾロが私を好きかはわからないし。
やっぱり、嫌よね。
他の男に縋った女なんて。
日が経てば気が変わることだってあるわ。
私はゾロを責められない。
ゾロは悪くない。
傷つくことや誰かを傷つけることに耐えられなかった、私が悪い。
これをもらって、おしまい。
未来を期待なんて、しちゃいけなかった。
「おい。」
様子が変だ。
肩が震えて、手は辛うじて宝石を掴んだけれど。
「....っ、ごめ.....っ」
その場を逃げ出すことしかできなかった。
走って走って、女部屋のベッドに突っ伏した。
涙で濡れてシーツも布団もグシャグシャ。
今日は雨なのに。
少しして部屋をノックする力強い音がした。
遠慮がちだが音が大きいのは力加減ができないゾロの癖だ。
うええ....もう、ふったんだったら放っておいてよ
優しくしないで、構って欲しくなんてないのに
ドアの外で汗をダラダラ流す半裸の男は、相当に怪しい。
通りかかったロビンは、ゾロを上から下までジロジロ見て、状況を推測した。
「あら、痴話喧嘩?」
「...う...いや...」
痴話、にすら発展していない気がするが、違うと言ってもこの女のことだから確信めいた何かを言ってきそうなのが怖くて口を噤む。
(違うのなら何故あなたはお風呂上がりの半裸姿で彼女の部屋の前をうろついているの?とか突っ込まれるに決まっている)
「ふふ、あの子思い込みの激しい年頃なのかしらね。...黙ってて伝わることなんかないわよ。あなたは年上なんだから、上手くリードしてあげたら?」
「....あう」
「私は今から花壇の手入れをするし、夜まで戻らないわ。ごゆっくり。」
「...悪りぃ。」
また、間違えたのだ。
宝石を返すのなんて、後でよかったのに。
ゾロはゆっくりと扉を開けて、ナミの元へ近づいた。
腕をクロスして顔を囲い、震える肩に触れた。
「ナミ、最後まで話を聞けって。」
全く思い込みが激しいヤローだ。
いや女だ。
十分気持ちを伝えたつもりでも、次の日にはまたリセットされてるような。そんな理不尽さ。
それでも側にいたいと思うんだから、本当に理不尽だ。恋ってやつは。
「うええ....ふったんだったらもう放っといて...優しくしないで。」
ふったことになってんのか、俺が。と思ったが、本当に宝石を渡す順番は間違っていたのだ。
確かに、あれはナミにとってはコックとの嫌な記憶で、それを俺から返されたらいい気はしないものなのかもな、と思った。全くわからないが。
自分にとってはこれがナミと繋がる唯一のものだったから、多少願をかけていたと思うし、拠り所になっていたのだ。
ーー間違うよ。
間違うけど、好きなんだよ。
「ふってねぇよ、バカ」
「....でも、これ返したら終わりって...」
「話聞け、バカ」
「....!!あんたバカバカうるさいわね...!」
「...カバ」
「誰がカバよ!!」
キッと睨みつけて来る目にはもう涙は浮かんでいない。
相変わらず細くて弱々しいのに、気が強くて嫌になる。
守ってやらなけりゃ、ナミらしく居させてやらなけりゃ、と思ってしまう。
「お前....あの夜のこと、どう思ってる?」
ゾロはぽつりと聞いた。
ナミがどの夜?という表情をしたので、ホテルの、と付け加える。
「....幸せだった。」
ナミは素直に言った。
「あんたが酒場で、人の女に何するって言った時も、嬉しかった。嘘でも、助けてくれて、恋人を演じられて、ドキドキした。わがままを聞いてくれて、おんぶしてくれたのも、嬉しかった。」
素直に。言いたいことを言う。
思うだけじゃなくて、伝える努力をする。
何度間違っても、大切なことは。
「俺も....お前が自分の男だと助けてくれた時、同じように思った。俺は色々間違ったけど、でも今はわかる。お前が好きだから、あの夜、お前を抱けて嬉しかった。お前が他の男と幸せになれるなら、それを守ろうと思った。でもお前....今泣いたってことは、俺のことが好きなんだな?俺で、いいんだな?」
ゾロははやる気持ちを抑えた。
結論を急ぐつもりはなかったのに、ナミの心が知りたくて、ナミの言葉が待てない。
「...私、さっきあんたに言おうとして...」
洗面所に忍び込んだ。
「もし、まだ、あんたが私のこと少しでも想ってくれてるなら、私、私あんたのことが、」
ふるふると目に涙が溜まって、床に正座したナミは膝の上の拳を握った。
「ゾロ、大好きなの。今までいっぱい、ごめんなさい。こんな私でも、いいって言ってくれるなら、私あんたの側にいたい」
ああ、もう。
やっとここまで来れた。
ずいぶん遠回りして、手を伸ばした分だけ遠のいていた。
ゾロはナミにキスをして、もう一度確認した。
「本当にいいんだな?俺の女になるんだな?」
「いいの?私でもいいの?」
確認の仕合になって、笑う。
「俺はお前がいいんだよ。」
「私もあんたがいい。」
大好き。と細い腕が首に手を回して来た。
胸がじわりと暖かくなって、少しの間迷って空を彷徨った手が、しっかりと柔らかい背中を抱きしめた。
信じられない気がする。
なんの疑いも障害もなく、手に入れたくてたまらなかった存在が腕の中にあることが。
ゾロは容易くナミの体を持ち上げてベッドに横たえた。
上に被さってきょとんとする顔を見る。
「お前、覚悟はいいか。」
「?」
「俺の女になるってことは、色々、俺の要求をだな.....多分、言葉足らずもすぐには直らねェし...」
「要求?欲求じゃなくて?」
ナミは妖艶に笑う。
「まァ、それもあるな」
「私も、ごめんね?思い込んで勝手に怒ったり、多分するわ。」
「だから、そう言うのは先にこっちに言えって。」
「出来ないの。好きだから。」
耳たぶをぎゅっと掴んでくる。
「好きなの。大好きなの。一緒にいると幸せなの。」
「ありがとう、ゾロ。私を好きでいてくれて。」
愛しさが過ぎて、ゾロはナミに口づける。
「好きなんかじゃねェよ。」
ナミの全てが欲しい。
「...愛してる。」
多分もう、恥ずかしくて滅多に言えない言葉だけど。
今日だけは、伝えることができる。
信じられねェ。
これが幸せか。
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