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□白湯
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白湯
秋島の気候海域に入ったらしい。
最近はもう朝晩が寒くなってきた。
雪がちらつく日もあった。
クルーには極端な温度変化があるので健康管理に気をつけるよう航海士としてよくよく言い含めたのだが、その時もこの男は寝ていて聞いていなかったのだ。
「ウソでしょ、信じられない....」
あの、いつでも、無尽蔵な体力があり、人を一晩でも二晩でも抱き続けて風邪を引かされたり、どれほど重症を負っても感染症のひとつも患わなかった男が。
「はい、チョッパーの診療室行き〜。」
ゾロは明らかに目が据わって、鼻水を垂らしながら歩いていたので、ナミに無理やりお持ち帰りされてしまった。
掴んだ腕もいつもより熱い気がする。
ってこの寒いのにまだ半袖を着ているのかこの男は。
「うん、ゾロ、いつもと全然臭いが違うな。発熱、鼻水、喉の腫れ、おそらく感冒です。」
「鬼の霍乱ね。明日は雹が降るわ。」
横で腕を組んで立っているナミはため息を吐いた。
ゾロはぬぼーっとして夢心地で言った。
「あーーー、だりぃ。」
「でしょうね。熱が38度もあるんだもん。」
「ゾロ、今日は鍛錬せずにちゃんと寝てるんだぞ。寝るの得意だから大丈夫だなっ。ナミ、見張っててくれよ。」
「うん。チョッパーの言うこと、無視して鍛錬しそうだもんね。」
失礼な会話をしている二人に突っ込む気にもなれず、ゾロはそのまま簡易ベッドにダイブした。
男部屋よりは寝心地が良さそうなシーツと布団は思った以上に気持ちが良かった。
そのまま深夜まで寝ていた。
目が覚めた時は真っ暗で、少し頭が混乱する。
頭はいくらかすっきりしていて、治ったとゾロは早合点した。
人の呼気の気配に目を向けると、ナミがベッドに遠慮がちに突っ伏して寝ていることに気づいた。
ずっと側にいてくれたのか。
柄にもなくオレンジの髪に触れて、起こさないよう気遣ったはずなのに、ナミは敏感に身じろいで体を起こしてしまった。
「あ、ゾロ、起きたの...?」
目を擦りながらこちらを見てくるナミはかわいかった。
暖かそうなもこもこの上着を着て、無防備な寝巻き姿は実はゾロも気に入っている。
「おかゆ食べられる?ずっと食べてないし、チョッパーの薬も飲まなきゃ。あっためてくるから。」
何を言う暇もなく、去っていく背中に寂しさを感じながら、ゾロは思考を振り払うようにベッドに倒れこんだ。
さみしいだと?ご冗談を。
やっぱりまだ治ってないな、と思考を振り払って、それでもナミがドアを開けるのを待つ自分に気づいて、ゾロはぶすっとした。
女々しくなるのは風邪のせいか、クソ。
ずっと側にいて欲しいだなんて、思ったことがバレたら笑われる。
好きな女に笑われることだけは、断固避けなければならない。
トレーを持ったナミがドアを開けると、その音に心臓が大きく跳ねた。
「はい、おかゆ。あーん。」
「は...?」
「熱いかな?ちょっと待って。」
ナミは椅子に腰掛けてれんげにフーフーと息をかけた。
「はい、お食べ。」
ゾロは結局何か言うのをやめて、素直に口を開けた。
咀嚼して嚥下したタイミングで、ナミがまたフーフーと冷ましたものを口に含む。
腹が満たされて来ると、体がぽかぽかと温まって、また眠気がやって来た。
でも、とゾロは思った。
まだ眠りたくない。
こいつが側にいるんなら。
「ふふ、なんか赤ちゃんみたい。」
カチャカチャと小鍋に残る粥を集めながら、ナミが心底幸せそうに笑って言った。
「誰が....」
「うん、まだ熱はあるけど、元気そうね。薬飲むの、お白湯の方がいいわよね。」
「さゆ?」
「あんたの少ない語彙には含まれてなかったか。あたたかいお湯のことね。持ってくるね。」
また行くのか。
さみしい。
でもそんなことは言えないので、また横たわったゾロは口を開いた。
ーー何か話せば、ナミは足を止めてくれることを知っていた。
「お前は、何人欲しいんだ。」
「え?なに?」
思った通り足を止めて振り返るナミに、顔が赤くなる。
今日は熱という言い訳があるから便利だ。
訝しげな顔をするナミから逃げるように目を閉じて言った。
「赤ん坊みたいって言ったろ今。」
「え....」
信じられない。
ゾロが何か言ってる。
おそらく今まで考えたこともないであろう未来や遠い将来のことを。
「えへへ」
「何だよ気持ちわりーな」
「3人かな〜」
ナミは嬉しそうに笑いながら言って、ベッドの側に寄ってくる。
思惑通りになったことにゾロは満足して息を吐いた。
クソ、かわいいな。
ナミは驚く間もないほど自然に、ゾロの頭をぎゅっと抱きしめて、囁いた。
「今、あんたがそんなことを言い出したのは」
睫毛を臥せて、男を見る。
「....私が部屋を出るのが、さみしかったんでしょう。」
聖母のように微笑んで、短く揃えられた頭を撫でた。その表情はゾロには見えないけれど。
「なっ...!」
図星に声を上げると、ぎゅっと密着して柔らかい胸が顔に当たった。
「あんたのことで、私にわからないことなんてないのよ?あんたが考えてることはだいたい見破られてると思ってくれていいんだから。」
まじか。
絶句しているとナミが続けた。
「大丈夫。私は側にいるからね。すぐに戻って来るから、ちょっとだけ待っててね。」
ぽんぽん、と背中を叩かれると、熱とはまた別の場所があたたかくなった。
色々な感情が渦巻いていて、頭がぼうっとする。
好きや大好きなんて言葉じゃ、この気持ちは言い表せられない。
それ以上の言葉を持たない。
愛している以上の言葉が欲しい。
熱に浮かされて、そんなことを考えている。
愛深い女に、自分だって愛を返したいと思ったから。
部屋を出たナミはさっきよりは早く帰って来て、ゾロはほっと息を吐く。
「さっき沸かしたやつだから、もう湯冷ましになっちゃってるけど。はい、これと薬飲んで。」
じっとナミを見ると、ナミはこちらを見てにこりと笑った。
「あ、湯冷ましって言うのは冷めたお湯のことで....」
そうじゃねぇよ、バカ。
やっぱり自分は語彙が貧相で、ぼうっとした頭は全く働かなくて、言われるままに薬を飲み、横になった。
ただ横に居てくれる女に、甘えて、目を閉じた。
側に居てくれるならもう少し眠りたくないのに、布団を規則正しく叩くナミの手は優しく睡眠を誘ってくる。
目を閉じたまま、ゾロは口を開いた。
「.....お前、優しいよな。」
ナミは何とか手は止めなかったが驚き過ぎて言葉を失った。
こんなことを言う男ではない。
いつもはだいたい何を考えているのかわかるのに、たまにこうして心臓を射抜いてくるのだ。
「....なによ。いつもはうるさいとかバカとか魔女とか言って来るくせに。」
ゾロは目を閉じたまま。
「.....あんなの、ウソだ....」
ナミはぼっと赤くなった。
ドキドキする心臓を押さえて、二の句を継げないでいると、ゾロが少し顔を背けて続けた。
「おれがもっと、かしこかったら....好きの、もっと上の言葉が欲しい....」
「....愛してるとかじゃないの?」
「それよりも上が欲しい」
お前に、と。
ずっと、心臓がうるさく鳴りっぱなしだったのに、それを聞いて、更にとんでもないことになった。
ナミは口元を押さえて、目を閉じた男の顔を見る。
こんなに愛されていたんだ。
ゾロ。
思わずキスをして、眠りつきそうな男を見る。
こんなことなら、毎日寝込んでいてくれてもいい。
幸せに狂いそうになりながら、ナミは少し泣いた。
嬉しくて泣くことは、なんて素晴らしいことなんだろう。
ゾロは朧げな意識の中で、ナミについて考えていた。
唇に触れる体温が愛しかった。
本当に、いつだって優しくないくせに、底抜けに優しい女だ。
誰にだってそうだ。
おもねらず、媚びず、まっすぐに夢に向かうその瞳が、どれほど好きだったか。
側に居てくれるだけでいい。
ずっと側に居て欲しい。
愛して、愛されて、初めて、
自分を強くするものはこれだと思った。
それを教えられた気がした。
愛しているから、強くなれる。
自分の人生には、夢には、この女が必要なのだと、夢うつつに確信した。
次起きた時には朝日が差していて、ナミはやっぱりベッドに突っ伏して寝ていた。
眠りが浅いのか寝言を言っている。
自分の体はもうすっかりいつも通りで、もう飛び起きて剣を振るいたいぐらいだ。
「ん〜、むにゃ、ゾロの筋肉おばけ....」
ゾロは一瞬固まったが、ナミに毛布を被せて、ちょっと笑ってキスをした。
End