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□湯ざまし
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湯ざまし












高波を受けて、髪を翻す女は言った。
横顔に水飛沫がかかるのを気にも留めず。




「私はあんたよりも強い相手と戦ってるんだから」


こともなげに言った言葉が、心を射抜くことは、あるのだと思う。

女がその時その場所でそれを言わなければ、こんな気持ちを感じることは一生なかったのかもしれない。


オレンジ色の髪が、太陽の光を受けて輝くのを、男は初めて見るような気持ちで見ていた。











「....なんだ、あんたいたの」

ナミは展望室に入って来ると、気怠げに言った。
ゾロは汗塗れの顔を上げて、腹筋ついでにちらりとナミを見る。
いつもより着込んでいるように見えるのが、何となく薄着を見慣れている目には違和感だった。

夜になるとゾロはだいたいここにいる。
展望室兼トレーニングルームになっているその場所は見晴らしも良いし、昼間は寝て夜はここで主に鍛錬を。
部屋からも離れているし自分の騒音も気にならないだろうと。

もう夜半を回って、誰も起きてはいないだろう時間に。

「なんか、空気がヘン。雲が見えたらいいんだけど。」

そう言って窓を覗く後姿を、ゾロは見ていた。



ナミの後姿は、あの日からただの後姿ではなくなった。

毎日毎日休む間もなく、襲いかかって来る天候は確かに、強い相手と言えるような気がした。

羨ましくさえある。

闘いに恵まれたナミは毎日を善戦している。
積み重ねている。

だから、こちらは焦るほどなのだ。
もっと強く、強く。
強い相手と、自分を押し上げるような相手と戦いたいのに、島と島の間の航海は平和過ぎて、これでいいのかと、手に豆を作ることしか出来ない。

そう考えるようになって、ナミを見る自分の目は変わった。

その細い背中に、いつしか羨望や尊敬を。
共に旅して来た誇りを感じるようになって、いつしか。



外は真っ暗で何か異変があるとも思えなかったが、ナミが言うなら何かあるのだろうし、航海士の言に従うだけだと指示に耳だけ澄ましておく。

なのに聞こえたのはガタンと航海士がよろけて床を鳴らす音だけだった。

「...!?ナミ!?」

ドサリと細い体が倒れて、床に投げ出されたのを見て息が止まる。

慌てて駆け寄ると、息も絶え絶えに目を閉じているナミの顔色は青い。

それでもゾロはどうしていいかわからず右往左往した。

「だ、大丈夫か...!?チョッパーを」

「...うるさい...慌てないで。ただの熱よ。ここのとこ海荒れてたでしょ...」

ナミが目を閉じて言うので、少しホッとする。
そうだ、連日嵐がやって来て、ナミの疲労は蓄積する一方だったのだ。
その辺りは、寝れば治る男たちと違うところだろう。

「それより、暗くて見えないけど空がヘンなの。だからここに来たんだけど」

「いや、お前、それより寝てろよ。」

海は静まり返っているのに。

「そういうわけに、ハァ、行かないでしょ。相手は待っちゃくれないんだから。」

自分の腕を抱えて震えているナミの言葉に、ゾロの手が止まる。
ひとまず脱ぎ散らかしていた自分の上着を着せて、聞いた。

「じゃ、お前の好きなようにしろ。手伝うから。どうしたらいい。」

「...ごめ...じゃ、支えて...」

ナミがぐったりとするので、壊してしまわないか心配になりながら、腕を肩に回した。

軽過ぎて、驚く。

こんな軽くて細い体で。

「冬島が近いのかしら。乾燥してるわ...」

あ、とナミが声を上げる。

その声にびっくりして心臓が跳ね上がった。

「雪.....」

空気がヘンだと思ったのはこれかと、ナミは拍子抜けする。

青ざめた顔でくすくすと笑って、寒いのか襟ぐりを合わせた。
それを見て、ゾロは思う。

楽しそうだな。

まるで強い相手と剣を交えた時のように。


なのに、こんなに細い。


思わずゾロはナミの体を横抱きにした。
この方が運びやすいと思ったし、天候に問題がないなら早く寝かせなければ。

「ゾロ。」

「謎は解けたな。もう寝ろ。」

「ん、ハァ、じゃあ、診療室で寝るわ。ロビンに移しちゃ悪いし。」

「俺はいいのか。」

「逆にあんた風邪引けるの?」

お姫様抱っこがくすぐったくて、クスクス笑う。
いよいよ体は熱っぽくて、明日にはチョッパーによく見て貰わなければならない。

「あんた、優しいわよね。たまに」

「はあ?」

「私のしたいようにさせてくれるのね、寝ろ、とか言わずに。」

自分の職分に誇りを持つナミの気持ちを、汲んでくれた。
それを手伝うと言った。

何と無く、さっきのことかと理解してゾロは珍しく赤くなった。
優しいなんて、男にとって別に褒め言葉でないはずなのに。



診療室のベッドに横たえる頃には、ナミの体は熱く、汗も出て辛そうだった。
ゾロは不慣れな頭で考えて水を持って来る。
喉を鳴らして飲んだコップを受け取ってやる。

水を入れるにはごついマグカップと言うところが何だか笑えた。

「ありがとう...もういいわよ」

戻っても、とナミは言った。
ただそんな気にはなれず、ゾロはチョッパーの椅子に座った。


大切なものを失ったことがある。


だから、目を離したくなかった。

そして気づいた。
いつしか大切なものになっていたのだ。
信じ難いほど細く軽い体で海と戦う女が好きになっていたのだと。


「何か、して欲しいことは」

「んー」

枕に埋まりながらナミは言った。

「風邪を引くと、心細くなるのよ」

子供がするように、少し恥ずかしそうに布団をかぶった。

「何か話して。」

沈黙が過ぎった。
ゾロはその無理難題に応えられそうになかったので、つい、自然に、ナミの手を握った。

目を閉じているナミは驚きもせずにその手を握りかえす。

ーー触れると、気持ちは伝わる気がする。

ゾロは口に出すことなど出来ないので、神に与えられたこの機会を逃さなかった。神を信じてはいないけれど。

熱のせいでいつもより殊勝な女が可愛く思えて、温もりを分け合うように手を優しく握った。

「ね、本当意外。」

「あ?」

「こんなに優しく手、握れるのね。」

ナミは目を閉じているので、狼狽える顔を見られずに済んで、安心する。

「...好きだからな。」

多分、初めての。

「...うん。」

ナミは笑った。

「私も、好きよ。」

ゾロはほっとして息を吐いた。
何だか自然と気持ちを伝えてしまったけど、困らせることにならずに済んで、良かったと。

例えこれが熱のうわごとでも、一度でもこんなに心穏やかになれたのならそれはそれで構わないとまで思う。

どうしようもなく閑やかな、水面が優しく揺れる風景のようだ。
そんな海を前にして、守りたいと思った。
誓いにも似た決意だった。


寡黙で、控え目で穏やかな愛だった。






次の日目を覚ましたナミは、傍らで椅子にもたれて眠る男を見て微笑まずにいられなかった。

決して前に出過ぎることのない男が、呟くように言った言葉が自分の奥底に染み込むみたいだった。

心にすとんと収まって、自分を満たした。

そんな体験をするなんて、うら若い身空で幸運なことだと思う。

そんなことを、すっかり熱の下がった頭で考えていた。

海の様子を見ようと身をよじると、腕を組んで目を閉じたままの男が言った。

「また戦うのか。」

海と。
この男らしくない変な表現に、ナミは笑う。

「そうよ。私の相手は、強くて頻繁なんだから。」

羨ましいのだろうな、と少し思った。
そして誇らしい。
そんな私をきっとこの男は好きになったのだから。










ーー獣のような男と、子猫が寄り添うにしてはお行儀の良い付き合いだった。

愛欲は二の次の2人にいつしかクルーたちも、あのコックさえ苦々しげに納得して見守る。


互いを尊重し理解し合って、いつか夢が叶うその日まで。














End

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