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□人魚姫
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人魚姫










酷い嵐だった。

魚人島から海抜ゼロメートルへ帰還してつかの間、サニー号は大嵐に見舞われ、その嵐が数日に及んだので航海士を始め全員が満身創痍だった。

息をつく暇もないほどの荒波。
頬を叩く雨には容赦がない。
なんとか船を転覆させないよう波間を縫って、それでも続く大雨にナミは背筋がぞくりとするのを感じた。

航海士である自分が、クルー全員の命を握っている。
失うことのできない命ばかり。

こんな太刀打ち出来ないような波を目の前にしても、自分が怖気付く訳には、行かない。

ナミは刃物のような鋭さで、海を読んだ。
横から叩く波を避けて、雲間に光が差した時、誰もがああ助かったと思った。

クルーのホッとした顔を見て、いつも海と船の境目に陣取る航海士は皆に微笑み返す。

すると一瞬のうちに、海に愛された彼女はその波に攫われてしまったのだった。








海は冷たく、上下の判断がつかなくなったことにナミはパニックになった。
しばらくもがいて何とか海面に上がれたものの、水を掻く手は寒さと疲労で震えていた。

ーー船がもう、あんなに遠くに

荒波から抜けようとする船と、大荒れの海に取り残されてしまった自分。

疲労困憊の体は長くは持たないだろう。
沖合いで流される自分の体に、ヒヤリと冷たいものが這う。

こんな所で、こんな死に方、

「絶対お断りよ...っ!!」

最悪の考えを打ち消すように声を発して、ナミは流れていた木片に何とか掴まった。

流されているのはサニー号か、それとも自分か。
船の影が遠くなって行く。
潮が、雨がナミの体力を奪って行く。

恐い。

海が広過ぎて、取り残されたその孤独に心が折れそうになってしまう。
寝食を共にした船はもう、見えなくなっていた。

体が震え、何も考えられなくなる。
このままだと、私はーー





木片に頭を預け、目を閉じようとしたその時、

飲み込むような黒ばかりの水面にキラリと金色が光った。

あれは、人だ。

波間にちらりと見えた人影。

まさか、私と同じように、溺れた人が。
ナミは目を覚ました。

ーー驚くことに、その存在に励まされたのだ。

ナミは少しだけ泳いでその人影に近寄った。
目を閉じた男がそこにいた。
その人物も木片に掴まってはいたが、大きな体を支えるには心許ない。
意識が朦朧としているのか手から力が抜けては掴まり直すを繰り返していた。

ナミはパニックになっていた自分を自覚して、溺れる男の木片と自分の木片をロープで繋ぎ、男の体も固定して縛り上げた。

誰かを助けようと思う気持ちは、自分を奮い立たせる。

そうだ、ここは海だ。

牙を剥くだけじゃない。

私は海を愛して、ずっと仲良くしてきた。

ナミは潮を読み、波を乗り越え、体力を出来るだけ使わずに揺蕩った。

次第に雨は上がり、波が収まると、海が島に運んでくれることをナミは確信していた。

だって、空気が変わった。

何もしなくても、潮が私を運んでくれる。

安定した気候に包まれる島に近寄ると、ナミは最後の力を振り絞って、男の大きな体を抱えた。
水の中なので体重は気にはならない。
男の顎を上向かせて片手で抱え込む。
もう一方は水をかく。

目の前に広がる人気のない浜辺だけを目指して、ナミは泳いだ。


細い指が砂を掻いた時には、ああ生きていると安堵した。

男の体を浜辺に打ち上げて、ナミも砂浜に倒れ込んだ。

顔中に砂粒が着く。
荒い息で全身が上下する。

昨日から寝ていない。
体力も限界だった。

「...ゲホッ、ゲホッ...ハァ、ハァ...」

男が咳き込んでいる。
よかった。
生きている。

隣の男のことを気遣う暇はなかったが、ナミはとにかく生存に感謝して眠りに落ちた。














「酷い嵐だった」

「若が糸を掛ける暇もなかった。」

「なんてことだ....!!」


誰かがそんな会話をしているのだろうなと、夢うつつに思った。

ドフラミンゴは見知らぬ浜辺に打ち上げられた自分を、動けないまま自嘲した。
大の字になってすっかり晴天の空を見上げる。
眩しい。
あの荒れる海に投げ出されたのだ。
もちろんサングラスなどどこかへ行って、今ごろ海の藻屑となっているだろう。
海に呪われた自分は海に触れるだけで意識すら朦朧とする。

荒波に削られた木片に縋った所までは覚えているが、まさか生きているとは。

眩しさに不快気に目を細めながらドフラミンゴが首だけを横にもたげると、女が砂にうつ伏せて眠っていた。

砂にまみれているのに、美しい女だった。

潮を被ったオレンジの髪はもう乾きかけている。

随分長い間気を失っていたのだと、ドフラミンゴは頭を掻く。

この娘に、助けられたのだ。
でなければ悪魔に呪われた身が、ここまで辿り着けるはずがない。

まるで童話に出てくるような話だ。

ではこの女は人魚か。



頬についた砂を、大きな手で恐る恐る払ってやる。
体の調子が戻らず、まだ指先が震えていた。

起きて欲しいような、まだ起きて欲しくないような、そんな気がした。

女にそんなことを思ったことなど一度もなかったので、また自嘲する。
ファミリーならいざ知らず、唯の女を丁重に扱ったことなどない。

震える指でこんなに優しく頬に触れることが、まさか自分にできるなんて。

顔から砂を払っても、女が起きる気配はなかった。
何故か無性にホッとして、やっと上半身を起こす。
周りを見渡しても、人気はなく自然に出来た砂浜が少し、続くだけだった。

人魚には見えないが、自分を助けた女を確かめるようにまじまじと見た。

足にひれはないので、人魚ではない。
のに、どこか童話じみた妄想を取り払えない自分に気づいて嗤う。
あの童話は、悲しい最後を遂げる。

雲があれば糸を掛けて国に帰るだけだが、あいにく嵐の後の晴天だった。

大きな取引の為に自ら船に乗り込んでいたが、大波に攫われていては様はない。

倒れ込む娘を国に連れて帰ることを固く決心して、ドフラミンゴはようやく萎えた足を奮い立たせて立ち上がった。










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