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□デッドマンズハンド
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5.サボと蜜柑











ナミは俯いていた。

忍び込んだ船に揺られ、潮が肌に纏わり付くのを感じながら、物陰で一人じっと息を潜める。


エースは黒ひげに勝っていた。
黒ひげの仲間が5人でかかっても、エースに膝をつかせることはできなかったのに、あの時。

私を庇って。


最後に見たのはエースが後ろに庇っていた私を海に落とした手だった。

全身は烈火のごとく燃えているのに、最後まで私を傷つけなかった生身の手。
あのあたたかい手。


海岸沿いに泳ぎ、港から黒ひげ達が早急に船を出すのを見たのは海面から。
そこに遠く、エースの背を見た。
海楼石の錠をかけられたエースの姿を。


私のせいだ。

私があの場にいなければこんなことにはならなかった。




海賊が停泊するような港には、民間の船など泊っていない。
政府に追われるようなーーー危険な、忍び込めば命の保証のない船ばかりだろう。


(あの船、出る)

黒ひげの後に出航しようとしていた船に、考える間も無く飛び乗った。


(お願いエース。無事でいて)


濡れた服が風を切って体温を奪って行く。
鼻は赤く指先はかじかんだ。


私のせいでエースが死んでしまう。

黒ひげはルフィの命を狙っていた。
空島へ行く前に死んだと思っていたのに。

ルフィとエースなら、エースに狙いを変えることにも納得が行く。
ルフィは強いけれども、世界に影響を与え得る社会的地位の高さはエースに分があるだろう。

そうだとしたら、この事件はただの海賊と海賊の争いではない。


(何か起こってるんだ...)

ナミは膝に顔をうずめた。

(私のせいで、エースが)

仲間とはぐれて、一人になることがこれほど心細いと思わなかった。
泥棒をしていた頃は一人だったはずなのに。


『おれはおまえを好きだと思う。』

事も無げに言ってのけたエースの顔を思い出した。

追わない訳には行かなかった。
これからどうするか考えもせず、とにかくエースを追おうとこの船に飛び乗ったのだ。

その時、物音にナミはびくりとして身を隠す。

簡易な船だ。
丸太を模したような黒ひげの船と比べるとごくごく普通の帆船だが、海賊船に特有の髑髏は付いていなかった。

できるだろうか。この船をハイジャックして、黒ひげを追う。

ナミは祈るように両手を握って身震いした。



「クソッ、まただ。」

男の声が聞こえたので一層小さくしゃがみこむ。
目だけを荷物の隙間から覗かせて男を見たが、帽子を深く被っていてその容貌は見えない。

「痛ぇ....」

男は片手で顔を覆った。
酷い頭痛のようでしばらく欄干に手をかけて俯いている。

ナミは緊張の余り吐き気を感じていた。
今やるしかない。
男を拘束しこの船を略奪する。
ナミが武器を構えて息を止めたその瞬間。

「誰だ。」

俯いたままの男が、何者かを誰何する。

ナミは驚いて固まってしまった。


(見つかっちゃった...!!)

男の足音にとっさに逃げようと背を向けた。

男の手が肩に伸びる。

逃げようとしたナミの体を反転させる。



「おまえ、何者だ。」

金髪の男と目が合う。

思ったよりも、若い男だった。



「わ、私は...」

ナミは瞬時に周りに目を光らせ、他に仲間がいないことを把握した。
伊達に場数は踏んでいない。

「ごめんなさい...迷い込んで、この船に....」

「その割に殺気がすごかった気がするんだけどな。」

男が息を吐く。
よく見ると額から左目にかけて大きな傷があった。

「そんなつもりはなかったんです。連れとはぐれてしまって、探していて...気付いたら」

呆れ顔の男にもう警戒心がないことを見てとる。
非力で臆病な女だと思ってくれたのかもしれない。

「そうか。俺はサボだ。困っているならさっきの島に送って行く。」

「サボ...」

ナミは繰り返した。

ーーその名前を、自分は知っている。



目の前でじっと考え込むナミにサボは腕を組む。
頭が痛むのでイライラしていた。

「俺にもやることがあるんだ。ずっと船に乗られてちゃ迷惑だ。あんたをバナロ島に送って行くよ。何か島で小競り合いがあったみたいだが...ログは五分で溜まっちまったからな。」

要件をズバズバと言うサボをナミはじっと見つめる。

「...あんた、サボ?」

「なんでそんな事を聞く。」

いつも部下に対してするように、サボはぶっきらぼうに答えた。

話をだらだらと続けるのは苦手だ。
のらりくらりと真意に触れず、くだらないことに時間を無駄にすることに何の意味がある。
と、言うのが幼少期の記憶のないサボのいつもの言い分だった。

普段よりイライラしているのは、たまに悩まされる頭痛が酷いからで、この頭痛は記憶を失っていることと無関係ではないと思っていた。

思い出しそうで、思い出せない。
そんな時頭痛は決まって酷くなり、サボをイラつかせた。

思い出さなくてはならないと、どこかでわかっているからだ。
胸の軋みがそれを告げているような気がした。



「覚えてない?私、ナミよ。」

ナミは記憶を手繰った。
目の前の男はもう少年とは呼べないほどに逞しく、背は見上げるほど高い。

しかしサボと言う名前と、記憶の中の彼の特徴は一致する。


「ほら、アウトルック3世の船で、助けてもらった。あの時は、ありがとう」




サボは大きく目を見開いた。
心臓が速くなった。
自分はそれをーーー覚えていない。





「......いつ....」

やっとの思いで口にした問いに、目の前のナミと言う女は真剣に考え込んだ。


「いつだったろう。8つか9つくらいの小さい時よ。10年前くらい。私姉と一緒に貴族の船に迷い込んで...見つかって、酷く怒られたの。アウトルック3世はうちの村の土地を沢山持っていて...うち、みかん農家だから。」


子供ながらに、不興を買ったことだけはわかった。
農場を取り上げられたらベルメールさんに迷惑がかかってしまうと、無力に泣いていたのを覚えている。


『何という子供だ!失礼極まりない!』

『お待ちください!お父様!』


その時、自分より少し大きい男の子が庇ってくれたのだ。


『どうか見逃してあげてください!この子たちは迷い込んだだけです!何も悪い事はしていません!』

『サボ....しかしな』

『約束して頂けるなら晩餐会でもお父様に恥はかかせません。大人しくして一言も話しません。』

『お父様、お兄様がそこまで言うならそうなさっては』

『...ふむ。ステリーが言うなら仕方がない。』



サボのおかげで解放され、姉妹が船に紛れ込んだことは不問となった。


『ーー助けてくれてありがとう』

『いいんだ。農場を取り上げるなんて...そこまでされる程のことじゃない。』

貴族のきまぐれで、こんな小さな女の子が生活に苦しむ、路頭に迷う。
そんな事があってはならないと、思う。



『サボ!私はナミ!こっちはノジコ。』


少年の名前はサボだと教えてくれた。
こっそり、父親や弟が好きではないことも。
父親と同じように見られたくないサボの気持ちが表れていたのだ。

『私もノジコとよく喧嘩するよ。』

『血も繋がってないから余計かもね。いつの間にか仲直りしちゃうけど』

『...!!俺も!血は繋がってないけど、本当の兄弟がいるんだ。』

そう、血の繋がりなんて関係ない。



『サボ、またねーーー』



助けてくれた人を忘れはしない。
ナミはじっとサボを見つめた。


「覚えてない?こっそり会いに来てくれたでしょう。」

出航前に、ノジコとみかんを渡した。
お礼だと言って。


「....う、イテ....」

ズキンと頭が痛んだ。

「大丈夫?」

ぐらりとバランスを崩すサボを、ナミが支える。
サボは体を支える力を失ってナミを押し潰すように沈んだ。




ーーみかんの匂いがした。

たくさんのみかんを抱いて笑う女の子の姿が、一瞬頭に浮かんで消えた。

「サボ!」

サボは意識を失った。




ーーあの時、何があったのだったか。


袋いっぱいのみかんはすぐに父親に見つかって海に捨てられた。

少しでも出来が良いものをと、姉妹が一つずつ丁寧に選んだであろうみかんを。

ポケットに隠した一つだけを、サボは隠れて急いで食べた。



そうだ。
どんなに豪華な料理を食べても、こんなに美味しくはないと思った。








そんなことは目を覚ます頃には全て、忘れてしまったけれども。












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