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□デッドマンズハンド
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9.屈辱









複雑な電子機器が並ぶ机の前に2人、サボとナミが並んでいる。

「これが副看守長ドミノ。」

「これが副署長のハンニャバル。」

「そしてこれが監獄署長のマゼランだ。」



サボが言う名前に合わせてモニターの画像が変わって行くのを、ナミが椅子の横に立ち覗き込んでいた。

「⋯⋯それにしても驚いた。3日の行程を、1日短縮するとは。」

ナミの海流を捉える力は本物だ。
航海の技能、気象への造詣はどれを取っても一級だった。
航海士は天職だろう。

「明日、実行できるわね。」

サボが頷く。


「もう一度打ち合わせるぞ。おまえは副看守長、ドミノに扮して最下層まで降りるんだ。おれは外からハッキングして電子制御の扉は開けてやる。けど途中、どんな警備があるのかまではわからない。⋯⋯できるか?」

色の濃い眼鏡と看守服が用意されている。
インペルダウンの従業員の服にはみんな付けられている記章は、ナミが昨夜手で繕った。

「出たとこ勝負ってことね。海賊船の潜入はいくらでもしたことあるけど、インペルダウンの監視は世界最高峰だろうし、失敗できない。」

ナミの顔が緊張で強張るので、サボはおどけて言った。

「ほう。おまえもなかなか修羅場を潜ってるらしいな。」

「監獄破りは初めてよ。」

「おまえの初体験の手助けができて光栄だ。」

ナミがサボの腕をバシッと叩く。

「セクハラやめて。」

「冗談だよ⋯⋯」

「あんたなんなの?ふざけてる?」

「ふざけてはない。平常運転。」

いつも通りぷんすかと怒るナミに、サボは両手を挙げて首を振った。

ナミの顔に柔らかさが戻ったので、サボは満足気に椅子に体を預け、背もたれをしならせる。

そうそう。俺以外の男の為にそんな顔するくらいなら、下ネタくらいいくらでも言うよ。

サボは笑いながら薄くナミを見る。


ただ、ナミが危険な目に合うことはもう避けられそうになかった。
インペルダウンに潜入とは、革命軍にもひけをとらない、ばっちり一級品の犯罪者である。

そもそもナミは有名な海賊だ。
確か東の海で旗揚げし、賞金がついたのは小さな島での戦闘がきっかけだとか。

そう言えば。

サボの思考は自分が東の海で拾われたことに及ぶ。

コイツの船の船長ってどこかでーーー

ズキッ


サボの手が額を覆った。

ナミはすぐに例の頭痛だと気づく。

「!ねぇ、氷で冷やしてみる?」


慌ててサボに提案したのは、まだ試していない方法をずっと考えていたからだった。
サボの頭は痛み出すと、治まるまでが長い。

辛そうな様子を見ていられなくて、何とか楽にできないかと思っていた。

頭を押さえるサボの顔を覗き込み、ナミは心配そうにサボに向かって手を伸ばした。






ーーー何故か、それがたまらなく嫌だった。



サボはナミの手を邪険に払う。

その余りの素っ気なさに、驚いたような、申し訳なさそうなナミの顔が目に映った。

「いい。ちょっと1人にしてくれ。」

ナミは慌てて頷き、速やかに部屋を出て行った。
音を立てないよう細心の注意を払って閉められた扉をサボは一瞥し、目を閉じた。









痛みの治まりと共に、椅子にもたれてサボは天井を仰ぐ。



後悔はなかった。
ただナミの手を跳ね除けた自分の手をじっと見る。

心配などして欲しくなかったのだ。
どれほど傷つけても、乱雑にしても、ナミは自分を心配するのだろうと、わかるから。

目的のために。

単純に、弱った者を放っておけないために。

その優しさのために。





ーーー屈辱だ。

好きな女に情けをかけられることほど、男にとって屈辱を感じることはない。

胸を掻きむしりたい衝動に駆られた。

欲しいのは優しさではないのだ。


どうやっても手に入らないのなら、いっそ自分のものにしてみれば、この苦しみは消えるのだろうか?

いっそ憎んでくれれば、手に入らないことを嘆かずに済むのだろうか。

今、今だけ側に居られればいいなんて、ただ側に居られればいいなんて、思わない。
自分は強欲で利己的な人間だと言うことはよくわかっている。

本当は全部欲しい。

心も、体も、何もかも。










「サボ⋯⋯?」

背後の気配に、ナミは小さく名を呼ぶ。
どれだけ時間が経ったのだろう、夕陽が沈んだ海は不気味なほど静かだった。

「よ。」

ナミが振り返るとサボは軽く手を上げた。
何事もなかったかのような顔で。


暗くなるまでにナミは何度も船室への扉を開けようとしたが、できなかった。
サボの痛みに、自分は無力だ。

いつもそうだ。
ルフィに助けを求めただけの自分。
エースに助けられただけの自分。
サボを助けられない自分。

何も出来ない自分を嘆くことしかできないのは、嫌だったのに。
時々見せるサボの冷たさに思い知らされるようで。

私は無力だと。


「ゴメンな。」

「⋯⋯もう大丈夫なの?」

「ああ。」


ナミの顔が険しく揺れながら自分を見上げていた。

サボはじっと目の前の女の顔を見る。



明日、ナミは監獄へ行く。
誰か知らない、他の男を助けるために。
今も心の中ではそいつを想っているのかも知れない。
例え目の前に自分がいたとしても。

ナミが不安げにこちらを見上げていた。
風がオレンジの髪を揺らす。
夜の海が月を反射して青白く光る肌は、少し腕を伸ばすだけで手が届く。

それなのに。

誰より近くにいるはずなのに、遠く感じた。
ナミの心に自分が住むことは、ないのだろうか、一生?

自分の空洞がナミで埋められて行くのを感じながら、他の男の元へ行くことを止められないのだ。

ナミが他の男とこの船に戻った時、どんな顔で迎えればいいと言うのだろう。


ーーーなんて惨い。


切なさに胸が軋んだ。

それをいつもの痛みと勘違いしたのか、ナミが思わず、と言った風情でサボの頬に手をやる。

暖かく柔らかい指だった。


ーーー嫌だったのに。


不用意に触れる、お前が悪い。


サボは思わずナミの指を引き寄せ、その指先に口付けた。

驚く姿が目に写る。



この衝動を説明できない。

ただ情けないほどに、この女が好きなのだ。





「⋯⋯おれはお前を抱くぞ。」

「⋯⋯!?何言って⋯⋯」


サボが強く腕を引くと、その体は簡単に自分のものになった。

苦しみから逃れたかった。
いっそ憎まれたかった。

愛してなお自分のことしか考えられない男を、ナミは選ばない。
自分が選ばれることはないのだ、一生。

そして明日、去ってしまう。
命をかけてナミを守った男の元へ、ナミもまた危険を冒して。
この痛みに情けをかけながら。

ーーーそんなことはごめんだった。


「⋯⋯っ!!やっ、」

ナミは抵抗する。

豊かな髪の中に手を差し入れれば、頭蓋が掌に収まった。
少しでも力を込めれば砕いてしまいそうなそれを、掴んで唇を押し付ける。



情けをかけるくらいなら、憎んでくれ。

他の男を愛しながら、狭量な自分にこれ以上、優しくするな。


「んっ⋯⋯う、サボ、やめて⋯⋯!!」

舌を絡ませると湿った口腔が甘かった。
腕は強く胸を押し返して来るが女の力ではびくともしない。
ナミの脚の間に膝を差し入れると抵抗が強くなる。

「いや!!いやだってば!!」

「うるせぇな⋯⋯呼んでみろよ。お前の男の名前」

その名前が痛みの引き金になると知ってから、ナミが意図的にその名前を口にしないようにしたことを知っていた。

そんな優しさが、今は胸を抉る。

「なん、で⋯⋯っ」

涙を流しながら、ナミがサボを睨む。



「早く呼べ」

「⋯⋯っ」



何故、口を噤むんだ。
言えばいいだろ。
無理矢理に酷い事をされるよりは、言って非道だと罵ればいいだろう。

「んっ、や⋯⋯!」

腕を捻って欄干に体を押し付ける。
後ろから束縛するように抱き締めるとナミは震えて首を振った。




「呼べよ⋯⋯」




項垂れ、すすり泣く声が聞こえた。
胸に刺されたような痛みが走る。








「呼べ!!!」







「やめて!!サボ!!」





絶叫は夜の海に吸い込まれた。

サボはナミから手を離し、呆然と立ち尽くす。



「⋯⋯なんで言わねぇんだよ⋯⋯」




言えばいいのに。
そうすればたちどころに凌辱は止むだろうに。
痛みを与えてくれれば良かったのに。

自分の頬に触れると、指先が濡れていた。
涙が伝っていた。




「言ってくれよ⋯⋯」




殴られたような衝撃だった。

男の名前ではなく、自分の名を呼ばれたこと。


ナミは背中を向けたまま、膝から甲板に崩れ落ちた。
それを見てサボは自分の顔を拭う。


呼ばないんだな。
こんなことをされて尚、なんでこんな男に、情けをかけるんだ。


涙を拭うと、ナミは肩を震わせながら口を開いた。



「なんで⋯⋯こんなことするの⋯⋯?あんたは、いい人だった⋯⋯この数日一緒に過ごして、少しはあんたのことがわかるようになったつもり⋯⋯でも、間違ってた⋯⋯」

ナミは唾を飲み込む。



「あんたは、私と一緒だわ。
ただ自分の無力を許せないわがままな人間よ。自分を貶めて駄々をこねるのはやめて。
あんたは何がそんなに悲しいの?」


サボは目を見開いた。
ナミの声は毅然として、もう泣いてはいなかったからだ。

悲しかったのか、と思った。

それは、記憶に纏わる痛みでも、情けをかけられる苦しみでもなかった。

悲しいのは


「お前が、おれを守るから⋯⋯」




守りたい存在に、守られる自分が許せなかった。

だって、どうやっても憎んでもらえない。
手にも入らない。
守ることもできない。

それが、悲しかった。


自分を痛みから守ろうとするナミを、こんなに好きになってしまった。


「ごめん、本当に」


守られるのではなく、命をかけて守りたかったのだ。








エースがお前に、そうしたように。














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