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□デッドマンズハンド
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11.







地下深く、ひんやりと冷たい床が体温を奪う。
空気は湿り気を帯び、唯一の照明である蝋燭の火が陰鬱に揺れていた。

腐食し変色した鉄格子には何人もの囚人の血が染み付いている。
手を見れば、両手に嵌められた枷にも同じように血が付着している。

もう何日こうしているだろう。
食事も些末なもの。
まだ癒えぬ身体中の傷はそのままで打ち捨てられ、枷の音ばかりが鳴り響く牢の中には重い空気が降りる。

隣にいる囚人も深手を負い、互いにじっと黙っていた。

時折他の牢がざわめき、騒ぎを起こしては暴力と痛みによって解決する音が聞こえてくる。

深海の牢は、寒く息苦しい。

エースはカチャリと無機質な音を鳴らして両手の枷を見つめた。

自分がこれからどうなるか、わかっている。
馬鹿ではない。

エースは胸に溜まった息を吐く。




───いい人生だった。

本当にそう思う。
自分の人生を振り返った時、何人もの顔が脳裏に浮かんだ。
目を瞑ると、背後には大切な仲間の姿がある。
その親愛と大恩に、感謝とそれ以上のものを感じている家族の姿だ。
背中に刻んだ入れ墨を誇り、その大勢に背を押されるように、前に立つ自分がいる。

夢に見たのはそんな爽やかな光景だった。

幸せを絵に描いたような、晴れやかな空と新緑の大地。

薫風を感じてエースはふと目を上げる。




───あの後ろ姿は、誰だろう。



前を向くと遠く、背の高い男が立っていた。
黒いかしこまった服を着て、帽子を被っている。

その男に見とれていると、ひゅっと傍らに風を感じた。
誰かが自分を追い抜いて行ったのだ。

赤い服に、小柄な体。

風を切って先へ行く軽快な男は麦わら帽子を被り、短い髪をなびかせて走って、背の高い男に並んだ。

嬉しそうな笑顔だ。

エースは呟く。


───ルフィ。



ルフィは背の高い男を見上げ、そして2人は笑顔でこちらを振り返った。



誰だかわからなかった男の顔が、鮮やかに光ったような気がした。



幼少の頃の記憶が、走馬灯のように駆け抜けて行く。
俺たち3人はあの頃、それぞれ船出をした。

笑いかけてくる金色の髪が揺れる。

背は伸び、筋肉がつき、精悍な顔つきになったのに、それでもあの頃と変わらない笑顔がそこにあった。
エースの目が眩しそうに歪む。




もし生きていたら、こんなに大人に。



───サボ。





エースは泣きそうになるのを堪えながら思う。








俺もすぐそっちに行くからな。


















「⋯⋯さん、エースさん。」

隣にいる囚人、ジンベエに声をかけられてエースははっと正気に戻る。

「どうしたんじゃ。神妙な顔で黙り込むから具合でも悪いのかと。」


じゃらりと重く鎖を揺らしてジンベエが言う。
夢から覚めたエースはいや、と首を振って答えた。

ジンベエもまたひどい傷だ。
自分も同じような有様なのだろうが、姿を確認する術もない。


打ちのめされた魚人の親分は、自分が捕まったことで勃発するだろう白ひげと政府の抗争を憂いている。
かつて戦い合った間柄だが、ジンベエは気遣わしげに時折声をかけてくれた。


「⋯⋯親分よぉ、心残りはそれだけか?」

「なんじゃ急に。」

「いや⋯⋯会いたい誰かでも、いるんじゃねェかと思ってな⋯⋯」


それぞれ船出した兄弟に会いたかった。
エースは振り返るサボの笑顔を思い返しながら、どこか上の空で呟く。


「この年になると、そりゃあ何人もおる。ただ」

ジンベエが俯いた。

「⋯⋯会いたいと言う前向きな理由でない者もおるな⋯⋯。」

ジンベエの頭に浮かぶのは、ノコギリザメの魚人だ。

複雑な経緯があり、自分の無力と見通しの甘さにより、不幸を連鎖させた、その贖罪。
それがずっとジンベエの心に重く絡みついて離れない。



「そうか⋯⋯じゃあおれは⋯⋯幸せなんだな⋯⋯」

「誰か会いたい人間でもおるのか」

独り言のように呟くエースに、ジンベエが問いかける。

「いや⋯⋯そいつはもう死んじまったんだけどさ。」

夢の中で笑う金髪の男を思い出した。

会いたいのは前向きな理由だ。
心に暗く影を落とすこともない。
そこには救いしかない。

サボが生きていたら、あんな姿に。
そんな妄想をするなんて、どうかしている。

エースはふ、と笑い、はたと口を開いた。


「⋯⋯親分は好いた女はいねぇのか?」

「ッゲフッ!ゲフ!ゴフッ!!なっ⋯⋯!!なっんじゃ、そ⋯⋯!!唐突にっ⋯⋯!!」

「⋯⋯大丈夫か?」

咳き込み過ぎるジンベエをエースが心配する。

「お、お前さんはいるんじゃな。そう言う事なら⋯⋯うん。親父さんも膝を叩いて喜ぶじゃろうて。」

「ふ⋯⋯そうかな。」

ジンベエが横顔を見やると、エースはそれを想像して柔らかに微笑んでいた。



オレンジの髪が風に遊ばれて揺れている。
海の水面がキラキラと反射して、その光に照らされて笑っている。

こんな風に、好きなものを大切に思える自分が誇らしかった。

そしてきっと、自分がいなくともナミは、ナミの笑顔は、ルフィが生きている限り守ってくれるだろうと言う確信があった。

───それでいい。

あの日会えて良かった。
あの日、守れて良かった。

それだけで、自分の人生には価値があったと、思えるから。




「笑って耐えるところが好きだ。するべきことをする所も、前向きな所も⋯⋯」









(エースも好きな子ができたら、ちゃんと守ってあげなきゃだめよ?)

(そんなのできねぇよ。)

気恥ずかしさに粗暴な物言いになるエースを黙殺して、大人の女はこの少年に知っておいて欲しいことを、ゆっくりと伝えた。


(大人になったらわかるわ。本当に好きな人ができたら、自分よりも、その人のことが大切になるものよ。)






マキノ。
こういうことなのかな。

ナミがいずれ誰かと結婚し、幸せになり、子を産み、それがずっと、続いて行く。

それをおれが、守れたのだとしたら、それだけでおれは、いい。



そこにおれはいなくても、それがきっとおれの───












コツコツと、石畳を叩く足音がした。

「シリュウ⋯⋯ここで何をしとる。」

「いたぶりに来た。」


葉巻をくわえた男が部下を連れ、牢の前に立っていた。
脇に刀を携え、冷めた目で囚人を見下ろしている。


「なんてな。九蛇の船がこちらへ向かっているらしいので、警備の確認だ。」

「⋯⋯何のために」

「さァな。野蛮人の考えることはわからん⋯⋯が、これも仕事だ⋯⋯煩わしいが⋯⋯」


と言っても、細かな確認等をするのは部下の役目だ。
体調不良の獄長に代わってシリュウは臨時的に現場を任されたに過ぎなかった。

「そうだ、お前。」

エースに問いかける。

「黒ひげはどんな男だった。」

「⋯⋯なんだ?彼氏にしたいのか?」

エースが吐き捨てるように言うと、シリュウは顔色も変えずに嗤う。

「⋯⋯フン。やれ。」

部下にエースを殴らせ、それをじっと見下ろす。

「残念ながらお前の運命は決まってる。限りある時間をこんな場所で過ごすお前に心底同情するよ。」

哀れんだ目を向けるシリュウにジンベエが静かに口を開いた。

「シリュウ。お前さんの不穏な噂は本当のようじゃな。囚人を殺すこと数十回、刑の宣告猶予に不満を抱いていると。」

「何とでも。ここに軍艦が集まってる。おいそれと変なマネはできん。ただ⋯⋯」

シリュウは煙をくゆらせて言う。


「すべてのことに、巡り合わせってのはあるもんだ。運命はいつも決まっている。おれはおれがこんな陰気な場所で終わる人間ではないのを知ってるだけさ。⋯⋯ただ健気にそれを待つだけだ。」


シリュウが去ると、ジンベエはエースに声をかけた。

「エースさん、あんな男のいうことは気にせんで⋯⋯」

「いや⋯⋯」

男の言葉に、心中で一部賛同したエースはぎゅ、と自分の手を握る。





「誰かとの出会いが運命なのだとしたら、

おれはそれに心から感謝する。」









ナミの隣に例えおれはいなかったとしても、あの時ナミを守ったこと。





───それがきっとおれの、ナミを愛した人生の意味なのだ。










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