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□デッドマンズハンド
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14.例え傷ついても
サボはナミを抱え上げ、安全な場所を探した。
どこかで爆発音がする。
幸いその混乱に乗じて、看守に見つかることもなかった。
誰かが起こした騒ぎが、良い陽動になったのだ。
物陰にナミを運び、手当をする。
「助けてくれてありがとう」
「驚いた。獄卒獣に捕まったとこまでで飛び出して来たからな。」
止血の為ナミの足を縛りながらサボが言う。
切られたのはいつだ。
最初か、奴が逃げる時か。
───おれを、庇った時か。
ナミに傷をつけさせてしまった事実に、苦々しい思いがした。
嫌な気分だ。
自分のことのように、嫌な気分だった。
ナミに刀を向けられたあの時、ナミに傷がついても良いと思ったのだ。
だからナミの頬に切っ先を向けるシリュウの要求を飲むのではなく、戦うことを選択した。
例え綺麗な肌に亀裂が走ろうと、愛していることに変わりはなかったから。
むしろ、自分だけはどんなに姿形が変わろうと、ナミがナミでいる限り、愛し続けられる自信があったのだ。
そんな自分勝手な自信が。
どこまでも自分本位でしかいられない、そんな自分への嫌悪だったのかもしれない。
「あいつ、黒ひげがここへ来るようなことを言ってたわ。」
「上の騒ぎはまさかそれか?こちらにとっては好都合だったが。」
言いながら、看守の1人をサボが捕らえていた。
音もなく気絶させて、服を剥ぐ。
「お前はこれを着てここにいろ。」
混乱が起きているので、紛れられるだろう。
ナミはサボを驚いた表情で見上げる。
「おれがエースを連れて来る。」
「でも、」
ナミの言葉を遮るように、サボが言う。
「さっきは、悪かったな。と言うか、お前には謝り通しだよな。」
ここ数日のナミへの対応は最悪だったと思う。
未成熟な男そのものだった。
「顔やらに治らない傷をつけられる可能性だってあったのに。」
人質を優先する行動ではなかった。
怖がらせたと思う。
ナミは眉根を寄せて声を上げた。
「さっきのこと?そんなことどうでもいい!戦ってくれて良かったのよ!!私の目的はレベル6にいる彼を助け出すこと!ただそれだけ!!その為なら別にどうなってもいいの!死ぬこと以外はね!」
そう言うと思った。
サボは笑った。
口付けたいと思ったけど、おれたちは別に恋人同士じゃない。
そうやって自分のことはどうだっていいと怒る顔がすごく好きなのに、それを伝えたこともない。
はた、と気づいてサボは言った。
「そう言う所が好きだ。」
無意識にナミの頬に触れようとした手を、抑えるように握る。
「守れなくてすまなかった。おれは誰かのようにはいかないみたいだ。でも、」
どうなってもいいだなんて、そんなはずはない。
例えば顔に傷がついたとして、本人が後悔はないと言っても、きっと悲しむ。
そう思うといたたまれなかった。
サボは無意識に自分の傷跡に触れていた。
「例え何があっても、おれの気持ちは変わらない。」
ナミは驚いて目を見開いたが、サボは言うだけ言って、立ち上がった。
「おれがエースを連れて来る。」
「待って、でも」
名前を口にするだけで激痛が走るのに、サボは大丈夫なのだろうか。
目を見開いたナミは言葉が継げなかった。
去っていくサボの背中を見送ってナミは思う。
───2人が出会った時、一体何が起こるのだろうと。
サボの軍靴の音が遠のき、ナミは呆然としていた。
慌てて服を着て、失神している看守を隠す。
サボの言葉を何度も反芻した。
こんなに長く一緒にいたのに、まさか、自分のことを好きだなんて。
気づきもしなかった。
そういったことには聡い自分のはずなのに。
ナミは俯く。
むしろ、嫌われていると。
心かき乱すほどに疎ましい存在なのだと思っていた。
二度、怖い目にあった。
一度は条件を突きつけた為に。
二度目は、彼の不可侵な部分へ踏み込んでしまったために。
痛みと、付き合い続けた男は繊細だ。
心配だった。
サボがいなければここまで来られなかった。
事実、サボは協力的で優しさがあった。
私にも何かできることはないのだろうか。
待っていろと言われたけれども、せめて、イワンコフを探すくらいのことは出来ないだろうか。
ナミはよろよろと立ち上がり、壁を伝って歩き始めた。
石で造られた階段を、かつかつと音を鳴らしながら降りる。
音が、自分の中の空洞にこだまして響くようだった。
湿気た地下はすえたような臭いが充満している。
自分は小さい頃から鼻が良くて、こんな臭いは大嫌いだった。
好きなのは、花の匂いとか、そして、蜜柑の匂いだ。
あの少女が持っていた蜜柑のような、爽やかな。
(ん⋯⋯?小さい頃から?)
サボは長い長い階段を降りながら、思考を巡らせていた。
匂いは記憶と深く結びついている。
何か思い出せそうな、そんな気がしていた。
(少女って、誰なんだ)
2人の少女の影が見えて、そしてまた消える。
すると2人の少年の影がまた見えて、そして消えた。
すえた臭いに息を吐いて、階段を降りる足元だけを見ていると、遠く誰かが自分の名を呼んでいる気がした。
快活な声だ。
疑わない声。
信頼する声。
まじわる拳、飛び散る汗。
盃を交わしぶつかる陶器の音。
サボ!
サボ!
おれたちは兄弟だ───
レベル6に着いたサボはその奥の牢屋に吸い込まれるように近づいた。
無意識のうちに惹かれていた。
この道の先に、
懐かしいものがあると、
そう思った。
周りの囚人は下卑た笑い声で看守の姿をしたサボを揶揄したが、サボにはもう、なにも聞こえなかった。
床を鳴らす足音だけが自分の空洞に響いた。
この胸の空虚を埋める何かがある。
そんな予感が、
一歩
一歩
そこに近づく度に
「⋯⋯サ、ボ⋯⋯?」
夢を、見てるのか。
死んだはずの兄弟が、目の前にいた。
隔てるものなど、何もないかのように。
子供の頃から何も変わらない。
ただでかくなり、今にも泣きそうな兄弟が。
雷が頭を打った。
サボの頭を電気が駆け巡った。
ビリビリと、電流は神経細胞から神経細胞へ走り、全てが繋がって行く。
シナプスの間を巡って、喜びと、悲しみと、遣る瀬無さが、大波のように押し寄せた。
ただ、目から水が溢れた。
こんなに大切なことを、なぜ今まで。
「お、そくなって、ごめん」
サボは、全てを思い出した。
透明で美しい新鮮な水が、流れ込んで来る。
ずっと、がらんどうの空洞だった。
自分を作り上げる思い出を持たない、どこか内側に穴があって、それが埋められるのをずっと待っていた。
苦しみもがいていた。
そして今、水は自分の中の空洞に注がれ、中を満たした。
生まれ変わったような感覚だった。
自分が自分になる。
完全になる。
目の前の、傷だらけで血まみれの男を見た。
樅の下生え、戦った数、燃やされた町───兄弟を。
遅くなってごめん。
「エース。」
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