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□デッドマンズハンド
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15.運命の渦
サボとエースは固く抱き合い、すぐに離れた。
「死んだと思ってた。」
鼻水を啜ってエースが言う。
存在を確かめるように、サボの骨格に触れた。
「今日この日まで、記憶がなかったんだ。」
サボがエースの肩に手を置いた。
もう頭の痛みはない。
今後一切、ないだろう。
サボはエースの肩に頭を乗せる。
「やっと、思い出せた⋯⋯」
エースがくしゃりと金髪を撫でた。
サボの顔には大きな傷がある。
小さな頃にはなかった傷が。
あの日の砲弾はかろうじて致命傷を避けたが、サボから記憶を奪ったのだ。
ごっそりと。
彼を形作る上で重要な思い出を、全部。
それはどれほど辛いことだろう。
エースには想像もつかなかった。
サボが顔を上げる。
背は同じくらい。
お互いでかくなった。
そう思いながら、サボはニヤリと笑った。
「助けに来たぜ。」
その言葉にエースも笑った。
「へっ。」
エースは振り返って牢内にいる大男に声をかける。
「親分、行こうぜ。」
「誰だ?」
サボがきょとんと聞く。
「魚人海賊団の親方だよ。ジンベエ、サボだ。力を貸してくれる。」
「よろしくな。」
「ジンベエじゃ。⋯⋯まさかエースさんの恋人がお前さんだとは」
「「ちっげーよ!!!」」
2人は声を合わせて否定した。
「急げ。よくわからないが騒ぎが起きてる。今がチャンスだ。」
急いで言うサボの言葉にエースが瞬いた。
「騒ぎ?マゼランが出て来ると面倒だぞ。」
「ナミが怪我してる。イワンコフとも合流しねぇと⋯⋯」
「ナミが来てるのか!?」
エースが声を上げた。
無論、エースを解放したレベル6は囚人たちの罵詈雑言の嵐だったのだが、サボたちの耳には届かない。
その場を走って後にした3人に低俗な野次が飛び、次第に遠くなった。
階段を駆け上がりながら、サボは静かに頷く。
「言ったろ。おれは記憶を失ってたが、ナミに無理矢理ここまで連れて来られた。
ナミの助けたい人間が自分の兄弟だとも知らず。」
エースは血だらけで、傷だらけの顔で笑った。
それは、すごい偶然で、運命のようだと。
「そうか、よかった。じゃあ無事なんだな。」
───お前と一緒なら、何の心配もない。
そんな表情で、エースはほっと胸を撫で下ろす。
サボは複雑な表情で走った。
危険を犯して、ナミはここまで来たのだ。
エースを助ける為に。
その力強さに巻き込まれたから、自分は全てを思い出す事が出来た。
その運命の渦に、巻き込んでくれたから。
「サディちゃんの格好で潜入したナミを見せてやりたかったぜ。」
「マジかよ」
サボが叩く軽口に、エースが頭を抱える。
ナミと別れた場所は、もう目の前だった。
ナミは看守の通信機を調達し、騒ぎの行方を追おうとしていた。
このままイワンコフが見つからなければ、脱出はこの騒ぎを利用したまま行う必要があると考えたのだ。
(バギーって聞こえたけど⋯⋯)
まさか、東の海で会ったあの海賊が、なんなら懐に入り込んで一緒に酒を飲んだこともある男が、このタイミングで脱獄騒ぎを起こしているとは。
『願います!マゼラン監獄長!』
『すぐ現場に行く。』
通信機から看守たちの会話が聞こえる。
マゼランは冷静に応答していた。
『願います!願います!こちら正門衛兵!海賊船から攻撃を受けており⋯⋯!!うわぁぁああ!!!』
『こちらサルデス。なんデス!?今の音は。』
『何だと言うんだ、こうも同時多発的に問題が起こるとは⋯⋯!!ハンニャバルはどこだ!?』
インペルダウンは攻撃を受けている。
事実、地響きのような音が鳴り、天井は揺れ、囚人たちは不安気に喚いていた。
バギーの騒ぎが収束していないのに加え、ナミとサボの侵入を許し、外敵から攻撃まで受けている。
内部からの手引きも考えられる。
例えばシリュウの裏切り。
(となると、来てるのは黒ひげ⋯⋯?)
正門の衛兵からは、とうとう連絡も途切れている。
状況がわからない。
最悪のことを考えれば、全員倒されている。
ぞくりとした。
エースを捕らえた張本人が、来る。
あの島で起こったことを忘れることなどできない。
庇われたエースの背中を見るのは、もう嫌だ。
その時、背後にどろりと闇が迫るのに、ナミは気づいていなかった。
生きてナミに会えるのか。
エースはサボの背を追いながら、生まれ変わったような心地がしていた。
死んだと思っていた兄弟が、生きていた。
そして目の前にいる。
それだけで周りの景色が鮮やかになり、世界が輝いたような気がした。
暗い牢獄は、ヴィンテージの赤レンガに彩られた、「後にする場所」になった。
底まで沈んだら、後は上に行くだけ。
それも世界で一番信頼している人間と一緒に。
エースは自分の目の前がキラキラと光るのを感じた。
そして、もしかしたら、愛した女にもう一度、会えるかもしれない。
それは信じられないことのように思えた。
一度は死を覚悟し、何もかも手放そうとした。
現実を逃避して、夢の中で家族を思い、兄弟を思った。
諦めていた。
未来を見据えることも、何かを守ることも。
閉ざされていた目の前の道が、開けたようだった。
進んでもいいんだと、言ってくれるように。
会いたい人に会うことを望んでもいいのだと。
───何よりも、サボがいる。
サボは走りながら、祈っていた。
ナミを置いて来てしまったことを後悔していた。
獄卒獣が倒れていたあの場にナミがいなかった時、どんな気持ちになったかを思い出していた。
いや、足をやられたのだから、そうするしかなかった。
2つに1つだ。
だからこそ、こうしてエースと再会し、記憶を取り戻すこともできた。
今なら自分は自分だと、胸を張って言える。
ナミがいなければ、こうして今、自分の空洞は埋まらなかった。
大丈夫、この角を曲がれば、きっとそこにいる。
───きっと笑って、その笑顔を向けるのが、おれではないとしても。
笑って、無事で。
「あそこにいる女がそうだ。」
「ゼハハ!こりゃ上玉じゃねぇか。」
男のだみ声が響いた。
ナミは、痛む足を気にかけながら、上を向く。
そちらから、声が聞こえたのだ。
シリュウと黒ひげ。
その2人がこちらを見下ろしていた。
後ろからは何人かの足音がする。
それは、看守だろうか?
それとも、待ってやまない人達の音だろうか。
「ナミ!」
後ろで名を呼ばれているのに、動けない。
闇が、目を逸らさせてはくれない。
「逃げて⋯⋯」
ナミは小さく言った。
それは恐ろしい風景だった。
ずるりと這う闇はおぞましく、人知の及ばない動きで自分を包囲した。
そして、包み込まれた。
真っ黒で、時間も、音もない。
サボとエースの目の前で、それは起こった。
光とは真逆の世界へ、ナミは囚われてしまった。
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