novels2
□デッドマンズハンド
22ページ/28ページ
22.世界で1番
ホテル内で食事を摂り、シングルとツインの部屋を交換してナミは1人シャワーを浴びていた。
足の傷を庇いながら水気を拭き取り、タオルを巻いてバスタブを出る。
髪を乾かそうとした時、部屋にエースが入って来た。
予告なく。
「あ。」
「あ、じゃない!!ノックしてよ!!!」
ナミは体に巻いたタオルをきつく固定して叫んだ。エースは何が悪いのかわからないと言った様子できょとんとしている。
「ごめん、やり直す。」
「やり直さんでいい!!」
頭を掻くエースもシャワーを浴びて来たのだろうか、頭がまだ濡れている。
その石鹸の匂いにドギマギして、ナミは俯いた。
「何の用?わたし、まだこんな格好なんだけど。」
「さっき、腕、つかまれてたよな。その⋯⋯大丈夫か?」
「え、うん⋯⋯」
エースがナミの腕を取った。
跡や傷がないか確認するエースに、ナミは戸惑う。
エースの様子は、神妙だ。
いつもの快活な彼とは違う、どこか、怒っているような顔。
私に怒っている?
確かに、男達をのした酒場を出た後のエースは言葉少なだった。
自分も落ち込んでいたから、それがいけなかったのかもしれない。
「⋯⋯ゴメンな。」
エースがナミの腕を見ながら呟いた。
「怖い思いさせた⋯⋯。さっき、ポーカーの部屋を出るべきじゃなかった。お前を1人にするなんて。」
カードをした部屋に、ナミを1人にしたことだ。
俯いていたナミは顔を上げた。
「それは、私がそう言ったからで⋯⋯あんたのせいじゃないわ。私が上手くやれなかっただけ。」
「何があった?」
ナミは肩をすくめた。
「私の知らない手で、負けだって言いがかりをつけられたの。それで私、自分を元手にしたから奴隷として売るって⋯⋯」
「元手?」
「自分を賭けたの。」
そう言った時、気を失うかと思った。
背筋に悪寒が走り、肌が泡立った。
「⋯⋯は?」
エースが低く言った。
それが怖くて、ナミは目を見開く。
「えっ⋯⋯エース⋯⋯?」
エースはナミの肩を両手で強く掴んだ。
「おまえ、今、何つった?」
「わ、私、自分を賭けるって⋯⋯」
「⋯⋯っ!なんでそんなことを言ったんだよ!!」
エースはナミの肩を揺さぶった。
ナミは驚いてエースの瞳を見つめ返す。
この人はすごく、怒っている。
どうして?
「おいナミ!聞いてんのか!?」
「⋯⋯何、怒ってるの?」
「危ねぇじゃねぇか!!おまえにそんな事させる為に、おれはここに来たんじゃねぇぞ!」
そう言われて、ナミは自分の胸が痛むのを感じた。
エースにとっては、それは忌むべきことなのだ。
それは今まで、私がずっとやって来たことだ。
目的の為ならいくらでも自分を差し出して来た。
それを、エースは許せない。
悲しかった。
それは自分の、精一杯の、生きる方法で、こうしなければここまで来られなかった。
生きて来られなかった。
もしそれを、エースが拒絶するのなら、私はもうきっと、彼に受け入れてはもらえない。
それが、悲しかった。
「お前は!女なのに!!自分の身を危険に晒すようなことを───」
「何がいけないの!?」
ナミは思わず声を上げた。
「私はこのやり方しか知らない!悪いとも思わない!今までずっとそうして生きてきたの!私は1人で戦って来た8年間、空き巣も強盗もしなかった!確かに危ない目にも何度もあった!
⋯⋯けど、私が生き抜いて来た方法を、馬鹿にしないで!!」
ナミは息を切らして、肩を上下させた。
手が震えている。
エースの拒絶が怖いのか、自分のなけなしの誇りがそうさせるのか、わからない。
どうしたらよかったのだろう?
10歳の女の子が、お金を稼ぐ為には。
15や16になった頃には、女を使った方が効率がよかった。
男と寝て稼いだ訳ではないが、懐に入り込むには都合がよかった。
そうした方が安全でもあった。
恐々と、エースの足元を見ていたナミは目線を上げた。
エースは今、私を見て何を思うだろう。
わからないけれど、エースの顔を見て、自分の恐れは杞憂であったことがわかる。
───私が乗り越えて来たことを、自分のことのように、怒って、悲しんで、受け止めてくれる男の顔がそこにあった。
「そうやって、来たのか⋯⋯」
エースは酷く傷ついた顔でそう言った。
俯くナミの目にはじわりと水分が浮かんだ。
それは、嫌なことを思い出したからではない。
怒ってくれたエースの気持ちが、嬉しかったからだ。
そして、受け入れてもらえないかもしれないことが、怖かったから。
「もし俺がその時、おまえの側にいられたら⋯⋯」
エースがナミの両手を取った。
子供と目線を合わせるように、跪いてナミの顔を覗き込む。
「⋯⋯悪かった。何があったか知らねぇし、無理に聞くこともできねぇけど。」
ナミの震える睫毛を見ながら、エースは続けた。
「ごめん。よく知りもしないで、今日お前を守れなかったことが辛かったんだ。自分が許せなかったんだ。」
「エース⋯⋯私」
「でもやっぱり、俺はお前に自分の身を危険に晒すようなことはして欲しくない。ずっと笑っていて欲しい。悲しむ顔を見たくない。」
エースは続けた。
「ナミを幸せにしたい。世界で1番幸せになって欲しい。そう思っちゃ、いけないのか⋯⋯?」
俯く黒髪が、寂しげに揺れた。
ナミは涙を零した。
「ううん。」
ナミは泣きながらふるふると首を振った。
「嬉しい。エース⋯⋯ありがとう。」
「心配かけて、ごめ⋯⋯」
「謝らなくていい。」
エースは優しく笑った。
「目的は達成したんだし、俺も怒鳴ってごめんな。」
両手を握られたナミは涙を拭うことも出来ず、その笑顔に射抜かれる。
「なーんか腹減って来たなぁー!」
明るく言うエースにナミはきまりが悪そうにつぶやいた。
「⋯⋯少しなら、食べてもいいわよ。」
「ナイス!おれサボ呼んでくる!」
朗らかに気分を変えてくれる声音。
ドタバタと駆けていく足。
それが今の自分にはひどく優しかった。
涙を拭ったナミは、去りゆく背中を見て笑った。
Next