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□デッドマンズハンド
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6.痛みの余り
エースの乗った黒ひげの船が出航してから、まだ一刻と経っていない。
意識を失ったサボを船室で寝かせてから、ナミはこの船の舵を奪うことに成功していた。
指針もビブルカードもないので、目視で船を探す。
絶対に助ける。
今のナミの頭に浮かぶのはそれだけだ。
離れ離れになったルフィを、仲間たちを心配していたが、エースだって、そうだった。
ガチャリと、背後で扉が開く。
サボが寝起きの様子でナミをきょろきょろと探していた。
「起きたの。大丈夫?」
ナミが振り返る。
「...ナミ、だったか。」
「思い出したの?」
「いや。」
どかりと適当な木箱に座りながらサボが言う。
「思い出せないのはナミと会っていたことだけじゃない。おれは」
思い詰めた様子で項垂れた。
「10歳までの記憶がないんだ。どこで産まれ、どこで育ったのか何も知らない。」
ナミは眉根を寄せた。
「...そんな、少しも?」
「名前以外は全部。ナミはおれの覚えてない期間のおれを知ってるってことだ。」
サボが鋭い視線を投げる。
覚えているのは東の海で、ドラゴンに助けられたこと。
それからは無政府主義の革命運動に参加し、どうやら戦いの才能があることがわかったこと。
おそらく家族が嫌いだったこと。
「それはおれにとっては物凄く重要なことだ。
どうしても思い出さなくちゃならないことがある気がするのに、思い出そうとすればするほど、凄まじい頭の痛みに襲われる。
....もうこのまま諦めようと、何度も思うほどの痛みだった。
それでも諦められないのはきっと、思い出さなければならない大切な何かがあるからだと、ずっとそんな気がしてる。だから」
片手で頭を抱えたサボが言う。
苦しそうな表情だった。
「ナミが知ってることを、おれに全部教えて欲しい。細かいことまで全部、思い出して教えて欲しい。」
「もちろん、教えるわ。」
ナミは即答した。
「!じゃあ」
「でもそれには条件があるの。」
ナミも切羽詰まっていた。
こうしている間にも、エースは遠くへ行ってしまう。
錠をかけられた姿、傷ついた横顔。
連れ去られた先は、きっと地獄だ。
「私の連れを一緒に探して。それまではこの足が必要だから。」
ナミがかかとで甲板をコンコンと蹴る。
「...おれはお前の恩人じゃなかったのか?」
「それはそれ。これはこれよ。」
ナミに言い切られてサボは立ち上がった。
今までにないほど苛立っていた。
「...何か勘違いしてるな」
ナミは、イライラとしたサボの顔が暗く翳ったのを見た。
それと同時に、世界が回転した。
ナミは押し倒されたことに気づいて、ハッとした。
「頼まれている間に言えばいいものを、挙げ句条件だと。笑わせるな。」
サボの両手がナミの顔を包み込む。
「口を割らせる方法はいくらでもあるんだからな。」
「んむっ...!!」
唇を唇で押さえつけられ、そのまま甲板に組み敷かれた。
腕を抑えられサボは苦痛に歪んだ顔で低く言う。
「おれは手っ取り早く答えが欲しい。もう何年も、この頭の痛みと闘って来た。お前が昔のおれをどう思ったか知らないが」
脚の間にサボの膝が差し込まれた。
「今のおれはもう、善人じゃない。」
相手を支配するかのように身体中をまさぐる。
苛々する。
頭をさいなむ痛みは、出口を教えてくれはしない。
終わりのない不安と恐怖に怯えるのはもううんざりだった。
目の前に記憶の手掛かりがあるかもしれないのに。
「いやっ、やめて、サボ....っ!」
いつでも息の根を止められると、猛獣が獲物の喉元に牙を立てるように、サボが細く白い首筋に噛み付く。
海にでも落ちたのか、潮の味がした。
「....エースっ...!!」
ズキンッ
脳をつんざくような痛みに手が止まる。
体を起こして荒い息を整えた。
「...なんだ、男かよ」
探してるのは。
サボはナミから離れて立ち去った。
この船に一つしかないドアの内側に入って、ずるずると座り込む。
一人日の差さない部屋で呟いた。
「.....痛え。」
やっと痛みが収まり部屋から出ようと思った頃には、もう夕方になっていた。
サボは頭を抱える。
さっきはどうかしていたと思う。
痛みにイラ立っていなければ、あんなことはしなかった。ーー出会ったばかりの、か弱い女に。
サボの内側には空洞があった。
覗いてもただ暗闇を見ることしかできない空洞は、これまでどんなに嬉しいこと、楽しいことを感じても満たすことが出来なかった。
埋まる事のない空洞だけれども、それでも確かに自分の内側を作り上げている物。
それが埋まる時が来れば、自分は変わる気がするのに。
サボが外の甲板に出ると、ナミは船の隅っこにちょこんと座っていた。
心細げに膝を抱いて。
「ーーナミ、ゴメン。悪かったよ。」
勇気を出して声を出した。
「...うん。サイテー。」
「はは」
ナミの中指を立てる仕草に、無視されると思っていたサボは息を吐いて笑った。
ナミはため息を吐く。
ひどいことをされたのに恨む気になれないのは、自分にも悪い所があると思ったからだった。
「私も、反省してる。すぐに全部話すべきだったわ。あんたはベルメールさんのみかん畑の恩人なのに、自分のことばかりで...ごめんなさい。」
「いや、おれも....」
頭を掻くサボをナミが見上げた。
「想像するしか出来ないけど、記憶をなくして辛かったでしょうね。
もし私だったら...ノジコやベルメールさんを忘れることは辛いもの。
私が私じゃなくなってしまう気がすると思うわ。
サボはきっとずっと、自分が自分でないような感じがするのよね。」
サボが目を見開く。
自分がずっと抱えて来た心のもやは、言葉にすると、きっとそうなる。
「料金は先払いにするわ。でも私は、エースを助けたいの。お願いだから力を貸して。」
エースと言う言葉を聞くたびに、サボは頭がズキリと痛くなることに気づいていた。
「あんたの父親はアウトルック3世。貴族ね。弟の名はステリー。」
「おれ多分そいつら嫌いだ。おれが拾われた時、家には絶対に帰りたくないと言ったらしい。」
「そうだと思う。あんたもそう言ってた。」
ナミが頷く。
「でも私とノジコが血の繋がらない姉妹だと言ったら、俺にもいると言ってたわ。血は繋がらないけど本当の兄弟がいるって。」
「なんで?」
「そこまでは...」
上を向くナミの顔を見る。
「ナミは。」
「私?私もノジコもベルメールさんに拾われたから。うちの家族はみんな他人なの。...血の繋がりなんて、関係ないのよ。」
くすっと笑ったナミの横顔にどきりとした。
「何か思い出した?」
「べっ、別に。」
サボは唇を尖らせて他所を向いた。
「さっきから海を見てるけど、船は見当たらないわね。」
もう日が落ちて暗い。
曇っているので星も見えない。
外にいても仕方がないが、部屋に入る気にもなれない。
「私のせいでエースは捕まったの。だから探して、助けないと。」
ナミは決意するように唱える。
「エースってのはおまえの男なのか?」
ズキンと痛む頭を無視しながら言うと、ナミはくすりと笑う。
「エースは恋人じゃないわよ。彼も、そうね命の恩人。黒ひげ海賊団を追ってたの。私を守らなければ捕まらなかったわ。」
「黒ひげか...」
最近どこそこで名を聞くようになった海賊だ。
白ひげの仲間を殺して追われているとか。
「白ひげの二番隊のエースよ。知ってるでしょ?」
「ん...?ああ、名前くらいは。」
考えごとをしていたのでぼんやりとした返事になる。
何だろう。
エースと言う名前を聞く度に、痛みが走る。
頭と、胸にも。
「...わかったよ。お前の恋人を探すのを手伝う。」
「恋人じゃ.....でも、いいの?黒ひげに喧嘩を売ることになるし...危険だと思うけど。」
「うん。いいよ。」
サボが笑う。
「お前がまた何か思い出すかもしれないし、ナミの側にいたい。」
ナミが目を丸くする。
(思い出すかもしれないから、よね。紛らわしい。)
ナミは空を見上げる。
エースの顔を思い浮かべて祈るように心で唱えた。
(絶対に助けるから。)
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