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□WAVE!
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5.コビーに誘惑







二人の間に沈黙が降りた。
狭い探査船の中、ナミが肩にかけられた上着を握りしめて声を絞り出す。




「...今から全力であんたを誘惑しようと思うけど、覚悟はいい?」

「....っ!!なっんですかそれは!!そんなこと言って誤魔化さないでくださいよ!?」

汗を出し真っ赤になるコビーに、ナミがぐいぐいと迫る。

「誤魔化してなんてないわよ。ね、お願い。全面的に私の要求を受け入れて。」

「ちょ、ちょっと待っ...うわあぁっ!」

じりじりと自分の体に密着したナミから慌てて逃げる。
すると、形勢が逆転しコビーは床に倒されナミはその上に馬乗りになった。

気の遠くなるような、夢のような光景にパニックになる。


「ちょっと待ってくださ...!」

赤面したコビーにナミが引き退る。
その取り乱しように、これ以上この可愛い青年を困らせるのも気が引けたのだ。

「...別に、無理強いはしないわよ?」

(無理強いって!!)

コビーは悪魔の誘惑に打ち勝ち、生来の真面目さで何とか調子を取り戻した。



「なんであなたがこの船に...っ!海軍の格好で!」

「お宝をいただこうとしたら海軍が乗ってたの。知ってたら乗らなかったわ。気付いたら出航しちゃってて、うっかり。」

「うっかり.....」


泥棒猫ナミは意外とうっかり。コビーの心のメモにそう追加される。

「それは...大変でしたね....」

「そうね。でもなっちゃったもんは仕方ない!あんたルフィの友達でしょ?お願い!私を見逃して!」

ちょっとノート貸して!と言ったようなノリで手を合わせるナミに、コビーは絶句した。

「...っいやいや、でもっ...」

麦わらの一味は2年前に組織瓦解と噂されている。
未だに船長ルフィの目撃情報も、仲間たちの情報も皆無だった。

「ルフィさんは無事なんですか」

マリンフォードの鐘を鳴らして以来、その消息は不明だ。

「説明させて。」

下着だけの、ほとんど裸だったナミは上着を羽織り直しながら言った。

「ルフィは無事よ。私達は2年前、パシフィスタの襲撃を受けて散り散りになったの。マリンフォードでマスコミに写真を撮らせたルフィは私達にメッセージを。約束の時間はもうすぐで、私は行かなきゃいけない。だからこのまま行かせて、お願い。」

ナミがじっとコビーの目を見つめる。
吸い込まれそうな瞳に思考を奪われそうになるが、コビーはぶんぶんと頭を振った。

ーー私情を挟みそうで。


「すみませんが、僕にも仕事があって...」

「この潜水艇でシャボンディ諸島へ戻るのはダメってこと...?」


コビーはコクリと頷く。

こんな大層な団体から離脱してどうこうすれば必ず足がつく。
勝手は許されないし、コビーにはこの事態を揉み消すほどの権限もない。
部下を持つようになってからの自分には立場もあり、責任もある。


「なによ!ケチ!宝石の方は諦めたのに!」

「いやいやいや無理ですよ!僕こう見えても海軍大佐なんですよ!?それにナイアさんの船の任務は重要なんです。彼の目的を知っていますか!?」

ナミはコビーの言葉に勢いを失う。

「それは....知らないけど」

「あなたが思っているより、イルヤンカシュの涙は価値が高い物なんです。世界中にそれを欲しがる人々がいる。ーー手にした人の願いを叶える宝石だと言われているから。」

「そんなの、聞いたことない。」

コビーも信じている様子ではないし、自分だってそうだ。
けれど、ナミはあの輝く首飾りを見た時の、不思議な気持ちを思い出した。
何か力めいたものを感じるような、深い光。

「ナイアさんは投資や寄付で彼の故郷の復興を目指していたんです。不足する医療施設や学校を建てようとした時、政府から裁可が下りなかった。」

ナミがごくりと唾を飲んだ。

「天竜人が認めなかったからだそうです。反対したジャルマック聖は20年前にゴア王国を訪問した世界貴族で、ナイアさんの話に耳を貸しません。彼の故郷は」

「...イーストブルー」

コビーは頷く。


「僕も同じです。だから、僕はこの任務を遂行したいと思っています。あの宝石を献上して、裁可を仰ぐ。それで東の海がより良くなるのなら、僕は何だってしたいと思う。」




ナミは俯き、じっと床を見て考えた。

ーーそんな。それでも私は、帰りたい。

東の海が住み良くなるのは歓迎だけれども、自分は2年も足踏みをしてやっとこれから前に進もうとしているのだ。

潜水艇に2人、力のある方が主導権を握る。
黙っていたナミはぐ、と体躯に力を入れた。

「力づくでも今、帰りたいって言ったら...?」

ナミが武器を構えた。
長い棒を大きく捌いたので服がばさりと床に落ちる。

鼻先にクリマタクトを突き付けられたコビーは、ナミの目を見据えて言った。

「僕に勝てると思いますか?あなたが何かしようとする前に、僕はその手を拘束出来ます。出来ればあなたにそんな事はしたくないです。」

コビーが服を拾い、再びナミの肩にかけた。
ナミはその手にビクリとする。

こう見えても海軍大佐、そう言っていたコビーの底知れぬ強さを感じた気がしたからだった。

駄目だ。
この男は強い。そしてほだされない。


「...私、この2年間努力したわ。」

悔しそうにナミが口を開いた。

「自分だってわかってた。ルフィ達みたいに、戦うことが出来ない自分は足手まといなんじゃないかって。私は航海士だし...女だけど、それでも仲間に迷惑をかけない程度の力は欲しいって。
...そんな風に誰一人思わないとしても、私は自分の足で立って、仲間と本当の意味で肩を並べて前に進みたい。だから自分にできることは何だってやろうって、そう思ってこの2年を過ごして来た。」


今まで幾度となく、自分の無力を嘆いて来た。
アラバスタで、空島で、ウォーターセブンで、小さな東の海のみかんのなる島で、自分を守ろうとした誰かの傷を見る度に、ズキリズキリと痛む胸を抑えて来た。

強くなったつもり。今までの自分に比べればそれはもう歴然としている。
しかしそれは自分の中だけの話だ。
腕力では男に、それも海軍の大佐になど敵うはずがない。
わかっていたけど、自分に落胆するのを止められない。

俯くと目に水分が集まって来たので、毅然と顔を上げた。

コビーは優しそうな顔で、こちらをひたと見ていた。


「...どうしたら仲間の元へ行くのに協力してくれる?」

ナミは服を前に合わせながら言った。

「そうですね。」

ルフィとは友達でも、コビーとナミにそんな縁があった訳ではない。
ウォーターセブンですれ違っただけで、ナミが一方的に会話を盗聴しただけ。

そんな自分の為に危険は冒せないと言う気持ちは理解できるし、コビーの乗る船の任務が邪魔をするに忍びないものだと言うこともわかった。



ややあって、コビーが帽子を拾ってナミに被せた。
伏せるまつげが、長かった。



ーー前を向くのだな、と思う。
決して泣き暮れて現状を放り出すようなことはしない、強い決意が美しかった。


「海軍に協力してください。」

「えっ」

「その代わり、あなたの正体は黙っててあげます。」

コビーはにっこりと笑った。

「僕ができるのはそこまでです。」

脱出の協力はしない。
そう言って微笑む男にナミは肩を落とす。

仕方ない、別の方法で脱出を計らなくてはならない。
正体を黙っていてくれるだけでも良しとしなければ、とナミは思う。

「....私の色仕掛けになびかない男がいるなんてね」

ため息を吐くとコビーがくすりと笑った。





「そう思うなんて、随分鈍感なんですね。」



ナミはコビーを見上げた。

コビーは自分の気持ちを誤魔化したり、抑圧したりはしない。
そうやって生きることをその昔、ルフィと言う男に笑い飛ばされてからずっと。

「本当にあなたの事を好きな男なら、色仕掛けになびいたりはしないと、そう思いませんか?」

「えっ」

「あなたに好かれたいと思うなら、それになびいているような男ではいけないですよね。」

「は、ハイ...?」

コビーの有無を言わさぬ物言いに、ナミは真っ赤になって小さな返事をした。
騙し合いも化かしあいもなく、真っ直ぐに口説かれることは珍しかった。
しかもこんなに純真な目で見られると。

「そういうことです。」

「あの、それって...」

冗談を言うタイプではなさそうだから余計に。

コビーは少し照れたように、頬を染めて笑ったが、堂々としていた。

例え敵だろうと、この先側にいることが難しい相手であろうとも、
誰かを愛するのは恥ずべきことではないと、全身全霊で確信して。













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