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□記念日
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Anniversary
ドフラミンゴの背におずおずと触れる手がある。
椅子に座って書き物をしていたドフラミンゴは少し驚き、口の端を釣り上げて笑った。
ナミが甘えて来ることは珍しい。
好きな男に対しては意外なほどに従順で初心だと言うことをドフラミンゴは知っていたので、余計に嬉しくて頬が緩む。
だらけた顔を見せる訳には行かないのでサングラスを鼻梁に押し当てながら振り向いた。
「珍しいな。寂しかったのか?」
ドフラミンゴの言葉に、ナミはつっけんどんに答える。
「別に。....ブローカーは辞めたんじゃなかったの?まだジョーカーなんて名乗ってるの?」
生花を生けた花瓶の淵の金を、ナミは細い指でなぞった。
「合法的な、商いさ。海軍から逃げた後もファミリーを食わせて行かなきゃならねぇんだから仕方ない。」
表向きは、ピンクを社長に据えた会社で海を股にかけて貿易している。
人身売買も薬の製造も辞めた。
女遊びだって辞めた。
この女を、失いたくないから。
「それで?何度もおれのプロポーズを断ったお姫様が何の用だ?」
ナミの顔色を伺いながらドフラミンゴが笑う。
「時間が出来たの。近くの島に滞在してるから、挨拶に。」
ナミは少し耳を赤くして、目を逸らしながら答えた。
俯いて自分の手を見つめる。
ーーこの手で、その大きな背中に触れるだけで精一杯。
会えて嬉しいなんてことはおくびにも出さない自分は、素直になれずいつも損をする。
信じることに臆病になるのは自分の癖だ。
わかっていても、好きな男には言いたいことの半分も言えない。
相手の愛に溺れてしまって。
ドフラミンゴはナミの事務的な言い草にらしいと笑った。
何度もプロポーズを断って来た、その口上はいつも毅然としていた。
どれほど愛を囁こうが、どれほど濃厚な夜を過ごそうが、何度その指に指輪をはめても返されてしまう。
それはまあ、ナミ曰く立て爪の大き過ぎるダイヤモンドは日常生活に向かないし、海上の生活では手入れも難しいと言う理由だけれども。
許されるのは僅かな時間で過ごす限定的な体の関係だけ。
心も体も、未来までも望むことをナミは許してくれない。
ーーーそれでも
ドフラミンゴは立ち上がり、ナミを抱き上げるために傍に進んだ。
緊張したような、硬い表情のナミが見上げて来るのに笑ってサングラスを取る。
素顔を見せるとナミはほっとしたような顔で、安心したように笑うのを知っている。
安心して欲しくて、微笑んで欲しくて、ナミが幸せを感じてくれることなら何でもしたいと思うのだ。
しかし。
「あっ!本当だ!ナミ来てる〜!」
「飛んでたら船が見えたのよ。失礼します、若様。」
ノックもなく扉が開き、ナミを目当てに人が集まって来てしまった。
「ベビー5!モネ!」
ドフラミンゴが慌ててサングラスをかけると、無慈悲にもナミは部屋に入って来た2人の元へ駆け寄って行ってしまった。
「久しぶりね!元気だった?」
ベビー5がハグして来るのを受け止めてナミが言うと、ベビー5は頬を染めてもじもじと告白した。
「ナミ聞いて!実はね私、結婚したの...♡」
「花ノ国のギャングですって。毎日惚気ばっかりで嫌になるのよもう。」
「えーーっ!!おめでとう!!」
ナミが惜しげなく拍手を送るのに、モネは羽を組んで横目でベビー5を見た。
ベビー5は両手で頬を覆っても顔がにやけるのを止められない様子だ。
「どこで出会ったの?」
「えっとね、戦争♡」
「そこだけ聞くとドン引きね...」
話によるとベビー5は花ノ国からここへ仕事に通っているらしい。
闇金融とタバコの依存症から脱却する為のカウンセリングも受けているそうだ。
モネはピンクの会社でOLをやっているらしいし、ドフラミンゴの秘書のような役割も。
ひとしきり話し終えて2人が出て行くと、ドフラミンゴが部屋の隅で小さく丸まっていた。
「ごめん....待たせちゃった?」
「フッ...この俺を待たせる女はお前くらいだと思ってたとこだ。」
くい、とサングラスの金具を指で押し上げる。
「ベビー5、良かったわね。いい人と結婚できたみたいで、すごく幸せそう。」
「毎日聞いてみろ、頭が痛くなるぞ。」
「ふふ。」
ナミの体が不随意に動く。
糸で引かれたのだと理解したが、抗うことなく大きな腕に包まれる。
この男からはいつも高級な香水の匂いがした。
ナミは胸に頭を預けてその香りを吸い込む。
それを見たドフラミンゴは柔らかく笑い、自分でも驚くほど優しくその華奢な背を撫でた。
壊れないように、そうっと抱きしめるのだ。
自分の大きすぎる愛はこんな小さな体に収まるのだろうか。
壊してしまわないだろうか。
そんな風に考えてサングラスを床に落とす。
目の前に広がった鮮やかな世界に、いつ見ても美しい、花のかんばせがある。
その唇に口づけを落とそうとした、その時。
「若、ちょっと急ぎの用件が」
ガチャリと言う無機質な音で扉が開かれたので、ドフラミンゴは毛を逆立てて入り口を振り返った。
「グラディーーウス!!!」
「え?は、若?」
邪魔をされたドフラミンゴは凄まじい形相でグラディウスを睨みつけた。
「え?若??サングラスは...!?
....っっ!?!?(まさか...っ!?)」
覆面の下を(おそらく)真っ赤にして慌てふためくグラディウスに、はっと気づく。
ついに、ついに見られてしまった。
「....そんなに落ち込まないでよ。」
「....別に落ち込んでるわけじゃねぇ...」
ナミは項垂れるドフラミンゴの背中を、ぽんぽんと叩いた。
なぜだろう。
さっきはあんなに触れることに緊張したのに、相手を想えば想うほど、触れなければと思うのだ。
「なぜ隠すの?そのままでいいじゃない。」
きょとんとしたナミが言うと、ドフラミンゴは床に視線を落としたままで黙り込んだ。
ただ、ゆるゆると背中に触れる手が優しくて、ドフラミンゴの口を思わず開かせる。
過去を思い出す時のどんよりとした感情が、体から流れ出るようだった。
「...あいつらにとって俺は...」
絶対でなくてはならない。
迷う素振りをしてはならない。
弱い自分を見せてはならない。
ーー人間らしい振る舞いを求められて来なかった。
求められたのは絶対的支配者としての強いカリスマだ。
ーー自分の命より、愛する女を優先できるような男ではなく。
思い詰めた表情で黙り込むドフラミンゴをじっと見て、ナミが口を開く。
「あんたが思うより、人は人を許してしまうものじゃない?」
ナミが上を向く。
「私もそうだもの。モネやベビー5から、あんたの女遍歴を聞いて最悪の気分になったもん。」
「は...?」
女遍歴?とドフラミンゴは額に冷や汗を浮かべた。
その様子にナミは笑う。
「でもね、この1年、あんたは変わらなかった。」
ナミがドフラミンゴの手を取り指を絡ませた。
「私だけを見て、私だけを愛してくれた。何度も指輪をはめてくれたし、一度だって優しくされないことはなかった。」
許すと言うのは、受け入れることだ。
例えドフラミンゴの素顔が、弱く、惑い、凡庸な人間であったとしても、それがどうしたと言ってくれること。
同じように自分も、この男の過去も未来も、受け入れたいと思う。
「私たち、今日で出会って1年経つの。最初は本気なのかって信じられなかった。女遊びのことも聞いたし本当、全っ然信じてなかったんだけど。」
自分にとっては、大切な記念日だった。
だから無理をしてもこうして会いに来たのだ。
この男のために。自分のために。
「本気で愛してくれてるなら私も嬉しいの。
もし気が変わってないんだったら...あのダイヤ、ちょうだい。」
ナミが左手を差し出した。
ほっそりとした、汚れのない手だった。
ドフラミンゴは少し潤む自分の目に気づきながら、ナミを抱き上げる。
「ドフラミンゴ!?」
「ドフィと呼べよ。プロポーズまでお前の筋書き通りに行ってたまるか。」
遠くへ目を逸らすドフラミンゴにナミは笑う。
「私あんたの素顔が好きよ。今までの女遊びは許そうと思うくらい。」
「心が広いな。」
「私を失いたくないでしょ?」
負けました、と首を振ってドフラミンゴは寝台に上がり込む。
幸せに立ち眩みがした。
どうして、この女を生涯隣においておけるかを考える。
その初まりに相応しいのは、どんなプロポーズだろうかと。
どれほど優しく抱けば、この気持ちが伝わるのだろう。
失い難い、甘く柔らかい感情を。
「めちゃくちゃイケメンだった。」
円卓に顔を突き合わせる面々に、深刻な声音でグラディウスが言った。
「え?どういうこと?」
「ヤダー!若様の素顔を見たのっ?アタシもみーたーいー!!」
「そうよ!グラディウスだけずるいわ!」
元ドンキホーテ海賊団若者メンバーが揃って若の素顔について騒いでいる頃。
寝息を立てるナミの頭を撫でながら、ドフラミンゴは決心していた。
ありのままで生きてみよう。
愛した女がこの背に触れることにすら、勇気を出してくれるのだから。
End