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3.背後に悪魔がいる








ナミがシーツの中でもぞりと動いた。

待っていても、いつか助けは来るだろう。
しかし、サンジへの複雑な気持ちが、自分を奮い立たせた。

プリンの隣に立っていたとしても、彼の姿を一目見たかった。
どんな幸せそうな顔でベールを上げるのか、誓いのキスをするのかを。
わたしの恋が終わる瞬間を。

式は明日、盛大に行われる。
結婚はさておき、本人が船を降りることを望んでいないなら、ルフィはそれを助けに行くだろう。
そこに合流できれば、私は帰れるはずだ。

何もかも今まで通り。
ただ、私の心に隙間ができるだけ。

「私も式に行っていい?」

「駄目に決まっているだろう。」

イチジが身仕度をしながら言うのをナミは醒めた目で眺めた。
自分はビッグマムから譲られた身だ。物やペットと同じ。
それならとナミは口を開く。

「召使いとしてでもいい。手枷や足枷をつけててもいいから連れてってよ、お願い。」

ルフィが来ることはわかっているのだから、自分はその場にたどり着きさえすればいい。



イチジはナミの顎に触れて自分の方を向かせた。

「あいつの為に?」

嫉妬。
初めて芽生えた感情だった。
やり切れない寂しさが脳に焼きつくような。
でも、不思議なことに、その痛みさえ失くしたくなかった。
これは自分に感情があることの証明だ。
初めて、母以外の誰かを愛しく思った証だから。


「サンジ君は結婚するんでしょ。
私、わかるの。プリンを見たときのサンジ君の顔⋯⋯私のことなんか、頭に浮かびもしない顔。
不思議ね。一緒にいる時は、この世に女は私しかいないんじゃないかってくらい尽くしてくれたのに。
だから、もう私が出来ることなんか何もない。
ただ、最後に一目見てさよならを言いたいだけ。」

これは詭弁だった。
どうせ一緒にビッグマムに捕まっていた連れは何としてでもパーティーに行く。

そして、ルフィと共に船へ帰る。
もしかしたら結婚を終えたサンジとも一緒に。

イチジとはお別れだ。
体を交わしたのは、いっ時の、慰めに過ぎなかった。

「ジェルマの親族は賓客だ。召使いなど連れて行かない。妃でもなければ⋯⋯」

イチジは言葉を切った。

「妻になるなら、連れて行ってやってもいい。」

「え?」

「ジェルマ第一王子の王太子妃。それなら賓客の中にも入れるだろう。」

「で、でも」

「式は今すぐここで挙げる。2人で。」

「えっ」

「牧師を呼べ。」

「ええっ」

イチジが外の者に指示を出すと、ナミは慌てて服を着た。
混乱した頭でベッドから抜け出す。
イチジがナミに白いベールを被せた。

これは母のものだ。
父と母が結婚した時に身につけたもの。
長男である自分が受け継ぎ、どこぞの王族貴族の娘と結婚する時に使うはずだったもの。


イチジは眉根を寄せて言う。
まるで申し訳ないとでも言うように。

「ビッグマムの娘のように、盛大な式がしたかったか?」


「え?そんな⋯⋯私は別に⋯⋯」

イチジがナミに口づけた。

「未来永劫、愛することを誓う。父が母を愛したように、お前を一生大切にする。」

だから、こちらを向いてくれ。

───おれを、見てくれ。

心からそう願って、イチジはナミの頬に触れた。










「ハァ!?結婚しただぁ?」

「いつ!?どこで!?誰と!?」

ニジとヨンジが驚き声を上げる。
誰と!?の部分は一際大きい声で叫ばれた。
部屋の外にいたジャッジに聞こえるほど。

「泥棒猫ナミと牧師を呼んで式を挙げた。形式としてはこれで成立している。嘘偽りなく、おれたちは夫婦だ。」

淡々と語るイチジに兄弟が詰め寄る。

「はぁ?そんなんアリか?」

「何もこんなサンジが盛大に結婚する前の日にしなくても」

ほら、一応長男なんだし。
そうヨンジが理解できないといった表情で言うと、後ろから怒りを押し込めた声が聞こえた。



「そんなものは認められん。」



目を見開く兄弟を尻目に、ジャッジも部屋に入って来た。

「父上、勝手をしたことは謝りますが、もう取り消せません。」

「王家の人間は他国の姫か貴族と結婚するものだ!国土を持たぬ国だからこそそれが重要だと言うのに⋯⋯
しかもお前は第一王子なのだぞ!それをあんな海賊の小娘などと、気でも狂ったか!」

「あの言葉を言いました。」

はっと兄弟が息を飲んだ。
小さい頃からただ一つ、不文律として伝えられて来た言葉が北の海の片隅にはある。
その誓いは破られないもの。
お伽話のように語り継がれた言葉はこの家族の中で特に大きな意味を持つ。

その言葉は生涯に一度、
愛する人に一度だけ、言うことを許される言葉。

「それは⋯⋯何という⋯⋯」

ジャッジが呆然とする。

もう止められない。
取り返しがつかなかった。

「愚か者が⋯⋯」

それを理解してジャッジは目を瞑った。









結婚式当日、ジェルマ66の一行に女が加わっていることに、マスコミ関係者たちが騒ついた。

王国の第一王子であるイチジの横に、オレンジ色の髪の女がいる。

豊かな髪を結い上げ、宝石が散りばめられたヘッドドレスに、それと揃いの首飾り。
ワンショルダーの淡い色をしたドレスは片方の袖が長い。

目を伏せてイチジの腕に手を添えエスコートされている。
ここにいるのは一親等と姻族のみ。
従ってイチジの横に立ち得るのは妻だけである。

イチジ・ヴィンスモークに奥方なんていたか?
そうマスコミ達が騒めく中、階段に差し掛かったイチジがナミの足元を気遣い、その手を取った。

周りにはシャッターを切る音が響き渡る。
それを横目にナミの手を引いたイチジが耳元で囁いた。

「夫婦である事を証明しなくては怪しまれる。皆が見ている前で口づけするから嫌がるなよ。」

「えっ!?」

「お前、社交界の経験は」

「ないです⋯⋯」

「では俺を見ていろ。足運びも視線もおれの真似をすれば良い。」

堂々と歩くイチジは社交術を端的に説明しながら歩く。
誰にはこちらから話しかけなければならないか、誰からは話しかけられるのを待たねばならないか、その時ナミはどう振る舞うべきか、それを教える。

ナミは戸惑いながら従った。

何故だろう。
イチジの話し方や、触れる手や、自分への眼差しが優しくて、困惑した。


ただの慰み者として連れて来られたと思っていた。
囁かれる言葉も、意味なんてないと。
ビッグマムから引き下げられた、所有物以上の感情なんてないと思っていたのに。




「何で、ここまでするのよ⋯⋯」

私の望みを叶える為に、結婚までして。
王族は重婚できない。
経歴に傷をつけようとしている相手に優しくしないで欲しかった。

こんな結婚はいつでも踏み倒すつもりでいるのだ。
主人の元へ帰ろうとしている。
その為のただの手段だった。
イチジを置いて逃げようとしている相手なのに。

ナミはいつもより濃い化粧でそう言って、口をへの字に曲げた。

イチジは前を向く。

「言ったはずだ。」





好きだから。愛してるから。
相手の願いを尊重することしか、道はないと知っているから。



















バージンロードをこちらに向かって歩いてくるプリンちゃんはとても綺麗だった。
長いトレーンのベールを身に纏って、おれなんかがこれから夫になるなんて信じられない。

諦めることは慣れていたはずだ。

大切な仲間を、好きな人を。

こんなんじゃ、呆れられちまうな。
こんなに綺麗な花嫁が目の前にいるのに。



目の端に光を捉えて、サンジははっと光の方を向いた。

ジェルマの席に、誰かが座っていた。
オレンジの髪に編み込まれた宝石がキラキラと陽を反射していた。

俯く君は貴族と見紛う物腰だった。
横にいるイチジが何か囁いている。

そして、君にキスをした。


頭を殴られたような衝撃だった。
こめかみが痛い。
うまく息が出来ない。

君の表情は見えなかった。

君の髪に触れて、君に唇を重ねて、にこやかにビッグマムの親族たちと話すイチジが居た。

少しでも、君の気持ちを信じられていたら、違った未来になっていたんだろうか。

好きになってもらえるはずがないと、臆病になっていたから。
失うことが怖くて、君を傷つけたままにしていたから。

ああ、でももう遅い。

花嫁がこちらに歩いて来る。



















「なんて綺麗な瞳なんだ」

ナミは遠くにそんな言葉を聞いた。
サンジの声はどこにいても私の耳に届く。
キッチンの奥、甲板から呼ぶ声、図書室にドリンクを持ってきてくれる優しい音。

その全てが色褪せて行く。
彼の心はここにはないと見せつけられた気がしたから。
ああ、でももう。
彼はプリンと結ばれるのだ。

居ても立っても居られず、席を立った。
イチジには化粧直しだと言った。

するとその時、プリンがサンジに拳銃を突き付けた。
背後のイチジ達はシャーロット家長男によって捕らえられていた。
飴を免れたのはナミが席を離れたからだ。

「俺たちもここまでか」

「ああ、まあ、仕方ない。」

そんな諦めとも悲観ともつかないニジたちの声が聞こえる。
明るい口調で、笑ってさえいる。

普通じゃない。
彼らにとって命はそんなに簡単に投げ出してしまえるものなのだ。
ナミはイチジを見た。


イチジはこちらを見ていた。
いつも、いつでもずっと私を見ていた。

目が合い、流れ込んでくる感情に名前をつけられない。
イチジは死んでしまうの?
そんな疑問が浮かぶのを脳が拒否する。




そして、爆発が起きた。
ナミは爆風に耐えられず床に倒れる。
次に顔を上げるとそこにはルフィがいた。
───大量に。

「ルフィ!」
きっとこれは作戦行動だ、そうは思うが、余りに異常な事態に起き上がろうとした足がもつれる。

「ナミ!無事か!!」

「耳をふさげ───!!」














写真が割られ、シャーロット・リンリンが暴れ出してからは、ナミは起こることに対処するので精一杯だった。

やっと船の上でサンジと再会した。
喜ぶみんなと共に、ナミは思わずサンジに抱きついてしまった。






「ナミさん⋯⋯っ」

サンジはナミを抱きしめた。

最初は、

やっと追っ手を撒けた安心感で、純粋な仲間として触れたつもりだった。

でも。

仲間が喜ぶ喧騒の中、抱きしめるサンジの手に力がこもる。

涙で潤むナミの顔を見て、どす黒く渦巻く感情が沸き起こった。

あの時、なんで君はイチジといたんだ。

どうしてキスをしてたんだ。

気安く触れさせて、何をしたんだ。


背後に悪魔がいる。
それも、自分の感情を優先して彼女を害そうとする悪魔が。

「サンジく、い、痛い⋯⋯っ」

ギリギリと締め付けられる体が悲鳴を上げる。
ナミが上を向くとサンジが見たことの無い顔で自分を見ていた。
感情のない、冷たい瞳だった。
まるで、以前のイチジような───

本当に、サンジくん⋯⋯?

ナミは離れようともがいたが、ビクともしない。

「やだっ、離して⋯⋯っ」

「嫌?何が嫌?」

サンジは薄く笑って聞いた。
イチジと何があったのか聞きたかったけれど、今は、ナミさんの苦痛に歪む顔が見ていたい。

自分が今までできなかったことが、今ならできる気がする。

おれの事が好きか確かめることも、ゾウでの涙の理由を聞くことも、嫉妬の炎が燃える今なら、できる気がする。




「おれが嫌なの?」




それは、途轍もなく嫌な質問ではないのだろうか。

そう思って、ナミは苦しさと恐怖で泣いた。
サンジくんは一体どうしたと言うのか。
こんな事を言う男ではなかった。
いつも私を雲の上の存在みたいに、大切にしてくれていたのに。

それでも、答えは一つだった。


「⋯⋯いやじゃ、ない⋯⋯」

涙をこぼしながらナミが言った。
サンジは背中がぞくぞくとするのを感じながら続ける。

「じゃあ、やだじゃないでしょ?なんでそんなこと言ったの?」


「ご、ごめんなさい⋯⋯」


ナミが泣いているので、サンジはルフィにナミの背しか見えないように体を移動させた。

泣かせたくない。
ずっとそう思ってた。

でも、おれのせいで泣いてる君を見ると、どうしようもなく幸せな気持ちになる。


「ああ!」

サンジが周りに聞こえるように声を上げた。

「ナミさん疲れたんだね!おれが部屋まで送って行くよ!」

いつもと同じような笑顔と口調。
仲間の誰も不審には思わない。

ナミは怯えた瞳をサンジに隠されながら、ゆっくりと部屋への階段を下りて行った。















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