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□泥棒猫と呼ばれるようになったわけ
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四、マリア・メラニー・ルグラン







わたくしには婚約者がいました。
彼の家は先代が街を興した功で爵位を賜った貴族でしたが、わたくしの家はもっと歴史が古い家でした。

それでも、わたくしは親の決めた方と結婚するのだと思っておりましたし、初めて彼にお会いした時には、結婚装束を着て彼の横に立つ自分を想像して胸が躍りもしました。
ウエディングドレスはどこのブランドがいいかしらと想像もしました。

彼は経営が上手く、敏腕で仕事が忙しいとあまりお会いすることが叶わないまま結婚の話が進められました。
アランさまはどう思われているのか、わからないまま⋯⋯






「婚約者に狙われてるって、どういうことだよ」
ウソップが聞くと、アランは話した。

「一年前、ルグラン家から打診がありました。娘のマリアとの結婚を。僕は19でマリアは17ですから、ちょうどよいと思ったのでしょう。若い貴族は少ないですから。
釣書を交わし婚約しましたが、それがおかしいとなった。ルグランはゴア王国の古い貴族で、なぜ領地を捨ててプッチに来たのか疑問だったのです。父は釣書が偽物なのではと疑い、政府に勤める友人に聞きました。すると、ルグラン家に娘がいる記録がないことがわかったんです」

「そうするとマリアは誰なのかとなる。それだけでなく、ルグラン家の資産が膨れあがっていることがわかった。この3年ほどで何億の金を買い入れた記録があったのです」

「ではその資金はどこから来たのか。調べるとこの近辺の5つの貴族が絶家していた。ゴア王国から直線で結ぶ距離に、転々と」

「父は婚約を破棄しようとルグランの邸へ行った。すると、帰って来て言いました。『婚約は破棄しない』と。それどころか、政府の友人もマリア・ルグランの記録はあると手のひらを返したんです」

「変な気持ち悪さがありました。父はその話になるとぼんやりするんです。それで、もっと良く調べようと思いダンに頼んで探ってもらっていたら、彼は水路に落とされました。
相手の目的はおそらく、うちの資産。結婚すれば殺されるけれども、それを止める手段がないんです」










海列車の駅のひとつであるプッチには、山頂に屋敷が構えられている。
美食の街たる由縁であるたくさんのレストランは山を上がるにつれ格も上がる。
その多くはドレスコードやマナーが必要であり、高品質なサービスを受ける為に貴族の別荘地も多い。

ナミが座っているのはそんな場所だ。
目の前には美しい女が座っている。

「あなたが、アランさまの⋯⋯」
「そうです!私こそがアランの恋人!アランと愛し合った女!あなたが婚約者だそうですけれど、彼のことは諦めなさい!」

あいつ、下手か!
アランがそれを聞いてハラハラと心の中で叫んだ。




「アランの話、わかった人〜?」
「半分⋯⋯か⋯⋯」
ウソップが点呼を取り、ナミががくりと肩を落とす。サンジとロビンしか手を挙げていなかったからだ。
アランの話を聞いてちゃんとわかったのか、誤解は解けたのか。
正直もっとすごい情報をブッ込まれ過ぎてついて来られないのもわかるが。
もうルフィは飽きてフランキーと遊び始めてしまっている。
「それ、然るべきところに相談はしたの?」
「ルグラン家の異常を訴えても、その次の日にはなかったことになってしまうんです。警官や役人も靄がかかったようにぼんやりして、父と同じようになってしまう」
明らかにおかしいが、下手に動けばダニエルのように排除されてしまう。
真綿で首を絞められているようだった。
緩やかに敵は背後に迫っていた。

「⋯⋯僕は」

「もういいかなって思ってたんです。なるようになるかなって。仕事も結婚も自分で決められるとは思ってなかったし、変なことに巻き込まれて最悪だと思っていたけど」

「ナミさんが流れて来て、ダンを巻き込んでしまって、初めてムカついたんです。なんで俺は自分で何も選べないんだって。結婚なんかしたくないし、しかも変な相手だし、やられっぱなしで、諦めることなんかないって今は思ってるんです」

「助けてやれよ、ナミ」

遊んでいたと思っていたルフィが、ナミに言った。

アランはきっと助けは求めないだろう。
きっとこれはナミを連れ去った誤解を解くために話しているだけで、何かしてもらおうとも、何かもらおうとも思っていない。

ただ、ナミに出会って、初めて自由でないことが嫌だと思った。
気づいたのだ。自分が色んなしがらみで色んなことを諦めていたのを。

ナミが流れて来た時、必死だった。
ナミの体を引き揚げた時、心臓がドクリと大きく鳴った。
ダニエルを救ってくれた代わりに、この人はこんなにも青い顔をしている。
ダニエルには意識があり、一人で主治医の所へ行くと言って聞かない。助けてくれたこの人を、見ていてあげてくださいと言う。
ゲホゲホと水を吐いて男の子を探せと言うナミから目が離せなかった。
海賊だと知った時は驚いたけど、ナミのことが知りたくて仕方なかった。
何をしていてもナミのことを考えてしまう。
命を狙われているとわかって尚どこか他人事だった自分が、初めて『自分で選びたい』と思った。
生きることも死ぬことも、恋をすることも。

申し訳ないと思った。
自分がこんな事件に巻き込まれていなければ、ダンが落とされることもなかっただろうし、ナミが助ける為に飛び込むこともなかったろうに。

───助けてやれよ

「当たり前よ!私、ダンを突き落とした奴を許せないの!それにやっぱり、アランは恩人だと思う。水路に落ちた理由が何であっても、きっと私は同じことをしたから」

「婚約者をぶっ飛ばせばいいんだよな?」
「そうか?そんな単純な話か?これ」
「作戦会議ー!」
アランは呆然としている。
「いいのか、きみたちが危険な目に合うかもしれないのに」
「いいわよ。船ができるまでの暇つぶしに」
ロビンが言った。
「暇つぶしにもなるかどうか」
サンジが腕をまくる。
ロビンもサンジも、明らかにナミに惚れているアランをよくは思っていないが、頷いた。

かくして、ナミは敵陣に乗り込むことになった。
恋人のふりをして結婚を諦めてもらおうとベタな作戦に出たのだ。





「そんな⋯⋯でも⋯⋯」

マリアは人形のように美しい少女だった。肌は透けるように白く、髪は錦糸のように艶やかで真っ直ぐ流れている。
話し方は消え入りそうな声で、吹けば折れてしまいそうな頼りなさだった。
目はビー玉のようにナミを写していた。
吸い込まれそうな瞳。
何を考えているのかわからない、空っぽの。

「そうですか⋯⋯綺麗な方⋯⋯わたくしなんかより、ずっと自信があって、明るくて⋯⋯」

「あなたも悪くなくってよ!ほーっほっほっほっほっ!」

ここはロブ・シュバリエ。この街で最高の店だ。ディナーのドレスコードは昼よりも厳粛な為、二人ともドレスを着ている。
ナミはどんなキャラでいこうとしているのか、悪役令嬢さながらに高らかに笑った。

「そ、そういう訳だから、悪いけれど、あなたは身を引いて、他のどなたかと結婚されるとよろしいですわ。大丈夫!あなたならきっと引く手数多よ!アランよりいい男がきっとわんさか寄って───」

「素敵♡」

マリアは恍惚とした表情で言った。
祈るように手を合わせ、口元がだらしなく緩んでいる。
それでも美しい顔立ちに変わりはないが、少し興奮した表情で生き生きとしているのが、先ほどまでの彼女と違いすぎてナミは驚いた。

「わたくし、美しいものが好きなんです。醜いものは嫌い。アランさまはお美しい。だから手に入れたくて、父にお願いしてしまいました」

マリアは小さな子供のように頬を膨らませた。
純粋に残酷に、醜いものは嫌いだと言う。
ここは人目があるから危険は少ないという作戦だったはずだが、ナミの手には汗が滲んでいた。
この子からは狂気の匂いがするから。

テーブルを挟んで、マリアがナミの手を取った。
驚くほど冷たいその手に、ナミは震えた。
細くて滑らかな手。
見た目だけなら、貴族がこぞって結婚を申し込むだろう美しい顔が、今は怖い。

「あなたも、手に入れたい。お人形さん遊びをするんです。その為には、資金がたくさん必要なのですって。アランさまと結婚すれば、欲しいものが一度に手に入るの」

仲間は何かあればすぐ駆けつけられるよう、外に待機している。
ナミは汗が止まらない。

「ねぇ、海賊って、身寄りがないのでしょう?そういうひとは、お人形にしやすいんですよ。訴えてくる家族や親類がいないから」

「お人形になったら、わたくしの好きなように動かして、たくさん一緒に遊ぶんです。お人形はわたくしに遊ばれると幸せな気持ちになるの。わたくしに触られると幸福に包まれる。だからわたくしは、よいことをしているのです。あなた方を幸せにしてあげたいの」

むせるような不快感に、ナミが精一杯低く腹の底から声を出した。

「⋯⋯なんでダンを突き落としたの」
「⋯⋯何のことをおっしゃっているのかわかりませんが⋯⋯」
ナミはくっと歯を食いしばった。
「アランを殺すと言った男が、口封じに小さな男の子を水路に落としたのよ。知らないとは言わせない」

ナミ達の様子がおかしいことに、アランは気づいた。
ナミの合図があるまではと思っていたが、二人のテーブルに近づく。

「あら、アランさま」
「すみません、マリア。僕はあなたと結婚することはできない」
「いいんですよ。財産をいただくのは書類ひとつで済みますから」

マリアはにっこりと笑う。
ぞくりとした。自白している。

「⋯⋯っ、父に何をしたんですか⋯⋯!」
「あなたは今までのどんな殿方よりも頭が良い。わたくし、賢い方も好きなんです。田舎の貴族が政府に融通が効くなんて、普通思いませんから。骨が折れました」

マリアは金細工の箱を取り出した。

「これに触れると、あなたたちは今聞いたことを全て忘れてしまう。わたくしに触れられると、幸せな気持ちになってしまう。ねえ、オレンジ色の髪の子、わたくしのお人形になってくれる?」

「ナミ、もう帰ろう」
マリアの狂気が怖かった。事態は何も好転していない。婚約の破棄など小事だ。この女には闇がある。
「あら!あなたはナミっていうの。わたくしがつけようと思っていたお名前に似てるわ。頭文字はNかMが良いと思った」
「⋯⋯お人形に⋯⋯」
ナミはぽつりと呟いてハッとした。

冷たい手を振り払って席を立つ。
話が通じない居心地の悪さは、頭を鈍くさせる。
アランはナミの手を引いた。ナミは笑っているマリアを振り返る。

マリアを置いてアランとナミが去るのを、他の客の多くが訝しがりながら見ていた。

それはまるで痴話喧嘩で、かわいそうな婚約者を置いて泥棒猫が出ていくように見えたから。












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