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□泥棒猫と呼ばれるようになったわけ
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十六、背徳の恋
パウナミその後2







また来るわね、そうオーナーたちに言い残して、ナミは店から出て行った。

「今出ていかれた方、どこかで見た事があるような⋯⋯?」
すれ違うとき、オレンジの香りがした。爽やかな人だと思って、セリーヌの印象に残った。
「⋯⋯いえ、気のせいでしょう」

パウリーのエスコートは完璧だった。
照れることも、恥いることもない。
あの時のように真っ赤になったりはしないし、自分の心臓の音で会話が聞こえないということもない。

手が触れただけで真っ赤になることも、手を繋ぐのを死ぬほど迷うことも、別れの日が近づくのに怯えることもない。

もう決めたと思っていたのに。
あの恋は終わったのだと、他の人と結婚しようと思っていたのに。

それなのに、あの顔を見て、平静でいられない。
手を開いて、今にも自分に飛び込んで来そうだった。
満面の笑みだった、あの美しく成長したひとを。

セリーヌを見て、他人に徹したあの顔を。





ナミはウォーターセブンを当てもなく歩いていた。
「待ってて、くれないわよね。何の約束もしてないし」

そりゃそうだと思った。
地位も名誉もある人が、結婚しないはずない。
海賊とは違うのだ。
地に足をつけ生活している。
誰もがパウリーをほうっておかない。
それはよくわかる。
私は、私たちは違う道を選んだ。

「うっ⋯⋯ふっ⋯⋯」

涙を手の甲で拭った。
どんないい男に誘われても、どんな強い男に口説かれても、パウリーと一緒にいた時のような気持ちになったことはなかった。

ずっとずっとあの恋は特別だった。
パウリーもきっとそう感じていると、心のどこかで思っていた。
だから会いに来てしまった。会いに来たのは間違いだったのに。

「二人に会えたのは、嬉しかったわ⋯⋯」
マリアとアランに会えたのは良かった。偶然に偶然が重なって、挨拶もそこそこに出てきてしまったが。

───宿を引き払って、帰ろう。

人は人でしか癒せない。
いつかこれが過去になるまで、海の上に帰ろう。
ナミはそう思った。





「セリーヌ、すみません、この後も仕事が」
「あ⋯⋯そうですね。お忙しいのにすみません」
パウリーは食事もそこそこに、店を出た。
セリーヌに失礼のないようにしたつもりだった。
時間は経っているが、ナミを追いかけた。
この衝動を説明なんてできない。
ただ愛が勝手に足を動かす。
会いたいという気持ちが体を動かす。
きっと泣いているナミを一人にしないと心が叫んで止まらなかった。
胸を突き破りそうな衝撃と熱がこみ上げてくる。
ただ会いたい。
その気持ちに蓋などできなかった。


「泥棒猫が歩いてただろう、どっちへ行った!?」

街ゆく人に聞けばみなその姿を目にしていた。
海列車に乗ったところを見たよ。
ウォーターセブンで降りていたよ。
ホテルの近くで見たけどなぁ。

パウリーは心の示すままに動いて、一ブロック向こうにナミを見つけた。
ナミはホテル街で部屋を引き払ったところだった。

「ナミ!」
ナミが水路の向こうで振り返る。
涙が溢れていた。
「パウリー」
呟いて、ナミはほろりと笑った。
「会えてよかった。さようなら」
「待て!お前、そこにいろ!」
ナミは背を向けた。
迂回しては間に合わない。
パウリーは水路に飛び込んだ。
その音に驚いてナミが振り向く。
パウリーは泳いでこちらに渡ってこようとしていた。
ナミはどうしたらいいかわからなくなって、走って逃げた。

どうしようどうしよう。

この人の幸せを、奪えない。

そんなことしたくない。


「ナミ、待て!」 
ずぶ濡れになったパウリーが追いかけて来た。
捕まって、抱きしめられた。
びしょびしょで、グショグショで、温かい腕に。

「頼むから、話を聞いてくれ」
パウリーは言った。ナミを抱きしめながら。
「また会えて、心の底から嬉しい」







パウリーの家に来た。より職場に近い家に引っ越したらしい。
前よりも少し広くなっていて、それでも家具は変わらないので雰囲気は同じだった。

「こんなとこ、誰かに見られたら⋯⋯」
ナミが長い髪を触りながら言った。
犯罪者になってしまうような恐怖を感じていた。ナミの価値観は相手がいる男と二人きりになることを許さない。

「誰に見られてもいい」
パウリーが目の前で着替え出したので目を背けた。
「きたな⋯⋯シャワー浴びてきたら」
水路は綺麗とは言いがたい。その水は少し変な匂いもする。
「浴びてる間に逃げるだろ」
よくわかっている。
ナミはこの場から逃げることしか頭にない。

「どうして今頃って思ってる?思ってるわよね。ただ用事があって来ただけよ。別に困らせるつもりとかないし」

「思ってない。お前を忘れられたことなんて、一日もない」

ナミと同じだった。
切実な声に、頭とは裏腹に自分の半分が話を聞こうとする。

「頼む。話を聞いてくれ」
───嫌だ。
聞きたくない。
ナミはがたがたと貧乏ゆすりをした。

「アイスバーグさんに結婚を勧められて、断り切れず、婚約した」
「やだやだやだ⋯⋯」
ナミは子供のように耳を塞いだ。
その手を掴む。耳を開放してしっかり言った。

「愛してるのはお前だけだ。何年もかけて忘れようとした。けどできなかった。どうしようもないんだよ。好きになったら、その気持ちを変えることなんてできない。お前が嫌ならもうやめる。きっぱりと忘れられるよう努力する。でも⋯⋯もしお前も同じ気持ちなら」

ナミは随分と長くなった髪を片方にまとめて、泣きそうな顔でパウリーを見た。
悲しみに顔を歪めていても、その美しさが翳ることはない。
もう18歳の女とは違う。

本当に、何をやっているんだろうかと思う。
好きなのに、もっと早く会いに行けば良かった。
もう会えないと思っていた。
結婚したら忘れられるんじゃないかとさえ思っていた。
でもナミの笑顔を見ると、自分の中の時は鮮やかなあの頃に引き戻されて、押さえ込んでいた愛しさが溢れ出して来た。

本当は手放したくなかったよ。
ずっとそばにいたかった。
夢も立場も放り投げて一緒にいる道を選べたら良かった。
でもそれはお互いが好きになった人間じゃない。
愛よりも、自分の足で立つことを選べるから好きになったのだ。

ナミが胸に飛び込んできた。
パウリーはしっかりその細い体を抱きとめる。

ああ、こんな幸福はもう一生、得られることはないと思っていた。
存在を確かめるように体を抱きしめる。

「パウリー愛してる、本当はいけないことなのに」
「こんなに幸せなのに、駄目なわけがない」

パウリーは至るところにキスしながら、風呂場にナミを運んだ。
服を脱がすのもそこそこにシャワーを頭からかぶってナミを抱いた。
飛び込んだ水路は清潔とは言いがたいのでせめてもの配慮だった。

何度抱いても激情が収まらない。
髪を濡らしたまま、ベッドで横になって、愛を確かめあった。
これ以上ないと思うところまで相手に何かを捧げたい。
ずっと会いたかった気持ちをぶつけて、どれほど愛してるか伝えて、唇を重ねる。

体の内側が満たされて行く。
愛する人と結ばれなければ、満たされないところまで溢れ出て止まらない。

朝日が差して来たのに気づいて、重なり合うように寝ていた二人は目を覚ました。

葉巻を吸うのはもったいない。この唇はナミを愛する為にあると思った。

「どうしよう⋯⋯私、大変なことしちゃった」
「先方の娘さんには⋯⋯謝る。慰謝料もお渡しする。アイスバーグさんにも謝る。それでお前といられるなら安いもんだ」

ナミはシーツで前を隠しながら、泣きそうな顔をした。

「ねぇ、私⋯⋯あんたの幸せを奪えない」

「今がこれ以上ないほど幸せだ。頭がおかしくなりそうなほど、愛してる」

キスしようとしたが、ナミがふいと顔を背けた。

「誰かを傷つけて、幸せになんかなれないわ。パウリーにはここで輝かしい未来が開いてるのに⋯⋯社長になるんでしょ?チムニーに聞いたわ。私がそばにいても、認めてもらえないかもしれない。婚約までしたのに、あの、セリーヌって子、綺麗だったじゃない。あんたのこと好きなんだなって思ったもん」

「愛してないのに結婚なんてすべきじゃない」
パウリーはきっぱりと言った。
「よく考えて」
ナミは悲しそうに言った。

「私は海賊なのよ」
「俺はお前を追いかけなかった。もうそんな間違いは犯さない」

「お前の為に全て捨てられる。全てと引き換えにしてでもお前と一緒にいたい」
ナミは今度こそ泣きそうになった。
真剣に仕事をするパウリーの目を好きになった。
仕事に誇りを持ち、築いて来たものがパウリーであり、だからこそ好きになったのだ。
それを私の為に捨てさせる。
嫌!そんなこと、絶対にしたくない。

「人の人生がかかってるのよ!?」
「人生をかけて愛したいやつがいて、何が悪い!!」

びく、とナミが揺れた。

パウリーを愛している。
それだけのことが、こんなにも難しい。









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