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□泥棒猫と呼ばれるようになったわけ
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十八、身分違いの恋
パウナミその後4







傘を差し出したのはマリアだった。
ナミがずぶ濡れなのを見て、色んな男が声をかけようとしていたけれど、見つけられて良かった。
昨日様子がおかしかったから。

「さあ、私の家へ来て」

マリアの家には本当にナミの手配書が貼ってあった。
ウォーターセブンの下層の家は家賃が安いので、マリアはそこで暮らしていた。
海列車に乗って出勤する方が安上がりなほどで、街を繋ぐインフラの恩恵に預かっている。

「何があったの?」

風呂から上がったナミに温かい飲み物を持たせて、マリアが聞いた。
ナミはぼーっとしたままぽつぽつと語った。

「⋯⋯パウリーって知ってる?」
「ガレーラの副社長の?」
マリアはドライフルーツの袋を開ける。
「⋯⋯私は彼が好きで、彼も私が好きだった。でも私は海へ出て、彼はここに残った。何の約束もしてなかったけど、会いに来ちゃったの。そしたら、もう結婚する相手がいたみたい。ただそれだけ」

「え、ちょっと待って、そうだったの!?」

どこぞの噂で聞いたことはあった。
パウリーとナミは恋人だったとか。

「昨日はパウリーの家に泊まったの。婚約者には謝って結婚は断ると言ってた。⋯⋯でも、私じゃない人と結婚した方が幸せになれるんじゃないかって思う。海賊だもん。身分違いの恋だわ」

どうしたって、ナミはパウリーの立場を考えてしまう。私といて、パウリーが不利益を被ったら。
だって婚約までしていたのに。
私を選べば、不誠実な男だとパウリーが思われてしまうのに。

「今日、ガレーラでパウリーが倒れたらしいの。婚約者がお世話してた。
⋯⋯今も一緒にいるの。
あなたは何?って言われて、私は何も言えなかった。
鍵を返して来たわ」

ナミは人ごとのように言う。

「え⋯⋯?ナミはパウリーが好きなんでしょ。パウリーもナミが好きなのよね。婚約破棄したらいいじゃないそんなの」

元結婚詐欺師はドライマンゴーを齧りながら簡単に言う。

「婚約者はパウリーのことが好きなのよ?誰かを傷つけて幸せになんかなれない。
私と一緒にいる為なら、パウリーは全てを捨てられると言ったの。私はそんなことさせたくない。誇りを持って、誰かの為に仕事をするあの人が好きなのに⋯⋯」

マリアはじっと考え込んだが、きっぱりと言った。
「それはナミがわがままなんじゃない?」

ナミはキョトンとした。そして怒った。
「なっ、なんでよ!」
「え、だって。海賊だから何?全て捨てると言ってるから何?ナミにはどんな覚悟があるの?パウリーと同等のものを差し出せる?」

0か100ではない。
好きなら歩み寄る努力をすべきだと思う。
何をボンヤリとした理由で身を引こうとしているのか、マリアにはわからない。

「私たちは何かを選ぶたびに、選ばなかった何かを捨ててるのよ。ナミは今何も選ばないと言っているの。昔のまま、お互いの都合がつく時だけ恋人でいましょうって、そんなの虫が良すぎる」

「それはそうかもしれないけど」
ナミは首を竦める。
「必ず何かを捨てなくてはならないとして、それでも得たい物があるかどうかなのじゃない?パウリーはその覚悟を見せたのでしょ。あなたはどうなの?何を一番に優先するの?」

海を捨ててでも、パウリーのそばにいること⋯⋯?
ここで。
仲間は⋯⋯

ナミは自分のカバンを見た。
ナミには見せたいものがあった。船を降りた理由のひとつはそれだった。何年もかけて作った世界地図が手元にあった。
これは私の夢だ。
それをパウリーに見せたいと思ったから、ここに来たのだ。

ぐすぐすと鼻をすすりながら、ナミが地図を取り出した。

「⋯⋯これが、あの」
「うん」

私の夢は自分の目で見た世界地図を描くこと。
次はどんな夢を追いかけよう。





「私のせいで泥棒猫なんて言われるようになっちゃったの、ごめんね」
「えっ、全然気にしたことないわよ」

寝ようとして電気を消した後、マリアが床の布団の上から言った。

マリアはずっと気に病んでいた。
マリアからアランを、泥棒猫ナミが奪ったというのはここでは有名な話で、不名誉な汚名を着せてしまったと思っていた。
アランをもてあそんで捨てたとか、マリアは傷心して田舎に帰ったとか、言われたい放題だ。
真実はアランを助けようとしていたのだし、マリアは詐欺師だった。
しかし人の噂は勝手なもので、よりセンセーショナルな方へと一人歩きしてしまう。
泥棒猫は人の男を盗るのが大好きだとか、誑かしたとか、もてあそんだとか、事実は全く違うのに。

「そう呼ばれてるの、スリが上手だからかと思ってた⋯⋯」
「え⋯⋯物理?」
「違ったのね⋯⋯」
すう、とナミが寝た。睡眠不足も限界だった。







パウリーは次の日、休暇を取らされていた。
働き過ぎだと上役にも言われたからだが、それよりもナミにもう会えないかもしれない絶望でいっぱいだった。

玄関に置きっぱなしになっている袋があった。
何だろうとパウリーが中を覗くと、フルーツがたくさん入っていた。
みかん。
鮮やかなオレンジ色にどきりとした。
これは、ナミが買ったものじゃないのだろうか。
パウリーは自分の願望が多分に含まれていることを承知で、心臓を押さえた。

食材を買い、ここでセリーヌに会い、鍵を置いて出て行った。
身を引くしかなかった。相手は婚約者なんだから。

なんてことになってしまったんだろう。
傷つけるしかできなくて、何が愛だと思う。
ナミを探しに行こう。
身支度もそこそこに家を出ようとした。

扉を開けると、そこにはナミがいた。

ナミはマリアの家からここへ来た後、長い間扉の前でウロウロしていた。
中には婚約者がまだいるかもしれず、風邪が良くなっているかもわからず、二人が何をしているかもナミにはわからないから。
それでも、パウリーに会いたかった。

「あ、の」
ナミがノックをしようというポーズで固まっていた。
おどおどした表情で、それでも少しの決意を感じさせながら言う。
「あの、もしあの人がいるなら、私、帰るから」
アセアセと目を逸らす。
「パウリーが良いなら、私、話を」

「あっ⋯⋯!」

パウリーはその手首を掴んで、部屋に引き入れた。
余りに強い力だったので、ナミは転けそうになる。
唇を押しつけられて、何度もキスをした。
舌を絡めて、逃げ場のない壁に背中をぶつける。

「あ、はぁ、はぁ⋯⋯」
息ができなくて、ぐにゃりとパウリーの胸に倒れ込む。
肩が上下して、それでも必死にパウリーの体にしがみついた。

「⋯⋯戻って来てくれて、ありがとう」
ナミの体を抱きしめたパウリーが、頭の上で言った。
表情は見えない。
けれど声が震えていた。
もう会えないかと思っていた。1度目の、互いに納得した別れとは違う。

「パウリー、私、パウリーが大好きなの」
ナミの声も震える。
いけない事だとわかっているのに、会えて嬉しくて涙が止まらない。

「やっぱり諦められなかった。あなたとずっと一緒にいたい。あなたが全て捨てると言ったように、私も全部あなたにあげる」

抱きしめる腕に力が入った。

「もうどこにも行かない。パウリーのそばにいたいの。あなたを幸せにすることが、私の新しい夢なの」

抱きしめた細い肩が、言葉を発する度に震える。
その幸せに心が解ける。
もう会えないかと思っていた。
心に決めた人が、目の前にいて、好きだと声を震わせている。

「もう離さなくていいのか。一緒にいられるのか、これからずっと」

ナミは泣きながら何度も頷いた。
だってこの人を好きだという気持ちは誰にも止められない。

「体調はもう大丈夫なの?倒れたって聞いたの。あの、女の人に」

「ああ」
パウリーは昨日あったことは伏せて聞いた。

「どこにいた?すぐ探しに行けなくて悪かった」
「マリアの家に泊めてもらったわ」

「今日は⋯⋯ここに泊まれるか」
「⋯⋯うん」
「何日だっていてくれていい、から」
「うん」

ナミはこの道を選んだ。
きっと仲間達も祝福してくれると思う。

「私、今日からここに住む」
「えっ!?」
「何よ、嫌なの?」
「嫌なわけないが、海は」
「うん」
ナミは世界地図を取り出してパウリーの目の前に広げた。
「私の夢は自分の目で見た世界地図を描くこと。あんたに見せたかったの」

夢は叶えたよ、とパウリーに言う。

「パウリーが私を大切にすると誓ってくれるなら、みんなもお祝いしてくれると思うわ」

パウリーはその地図を指でなぞり、あたたかい肩を抱いた。
ああ、何て幸せだろう。夢の中にいるような気持ちで言った。

「会いに行かなきゃな」

スマネェ、お前らの航海士は嫁にもらう。
そうか。ナミはいいのかそれで。
うん。
わかった。寂しいけど、たまには二人で会いに来いよ。

麦わらの船長は、そう言うだろうという気がする。
底の知れない、器の大きさは他に類を見ない大海賊。

「諸々が片付いたら改めてプロポーズするから、待っててくれるか?」
「えぇ?いいわよ今更。あんたの気持ちはわかってますから」
「いや。オマエを世界で一番幸せな花嫁にしたい」
と言ってから、いや何を言ってるんだ自分はとパウリーは赤面した。
ナミはパウリーにもたれかかった。

「もう十分、世界で一番幸せよ」









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