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□泥棒猫と呼ばれるようになったわけ
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十九、致命傷の恋
パウナミその後5







朝、目が覚めるとすうすうと隣にいるナミの寝息が聞こえる。
パウリーはその寝顔を見て、優しく笑った。

ああ愛する人といるとこんな心地になるのかと思った。
ほかの誰にも感じたことがない。
心の内側から湧き上がって来るあたたかさが自分を強くする気がする。
素肌にまとったシーツがさらさらと心地よかった。

今日ももちろん仕事があり、また家を開けなくてはいけないが、もう二人には確かな約束がある。
あとは、自分が何とかするしかない。
まだ眠るナミに書き置きを残してパウリーは出社した。





「いやあ、パウリーさん、おめでとうございます」

部下に言われたので何事かと思った。

「セリーヌ嬢と、近々ご入籍だそうで。体調は大丈夫ですか?甲斐甲斐しくお世話なさったと聞きましたよ」
「いや、それは、」
絶対に別れてあげないわ
セリーヌの言葉が脳に反響した。

パウリーはセリーヌに連絡を取った。
するとセリーヌは前の店で会おうと言う。



「本当に申し訳ありません」
パウリーは頭を下げた。
アランとマリアが厨房からハラハラと見ている。
二人のただならぬ様子に、思わず一番奥の、人目につかない席に通した。

「もちろん慰謝料はお支払いします。ご両親にも謝罪に伺います。あなたを傷つけることになってしまい、本当にすみませんでした」
「⋯⋯やっぱり無理なんですか?」
そう言って、わーん!とセリーヌは泣いた。

「そりゃ確かに私たちはお見合いですけど、パウリーさんのことちょっといいなって思ってたもん!好きだったもん!」

「貴女は私には勿体ない方です。他にもっと良い方が」
「ガレーラの社長よりも良い方がどこにいるっていうの!?」

(アランが市長に当選したらいい線行くんじゃない?)
(うるさいよマリア!)

二人は仕事もそっちのけで野次馬をしている。

「わかりました⋯⋯」
セリーヌはスンスン鼻をすする。

「お金なんて要りません。ひとつだけ私のお願いを聞いてくれたら、婚約は破棄します」

「できることなら何でもします」
パウリーは身を乗り出した。
セリーヌがうわめ遣いにパウリーを見た。

「最後に私を抱いてください。それであなたを諦めてあげるわ」









世界的な大海賊の幹部、泥棒猫のナミが最近この街に出没しているらしい。

そんな噂はすっかりウォーターセブンの街を駆け巡り、ガレーラカンパニーの副社長から走って逃げているところも、雨に濡れて泣きながら街を歩いているところも多数目撃されており、なんだかみんな思っていた人物と違うな、と思っていた。

スーパーの袋を下げている庶民派なところも、電車にちょこんと乗る律儀なところも目撃されている。

今日はカフェでのんびりコーヒーを飲んでいるところを目撃されていた。
オープンカフェに美女が座っていると目立つ。
集客効果を発揮してどんどんお客が入ってきていた。

すごく美味しそうにコーヒーを飲んでいる。
あ、笑った。
何か考え込んでいる。
あ、照れた。

そのように、周りの人々は男女問わずナミの一挙手一投足に注目していたのだが、本人はそれを知る由もない。


(昨日は、嬉しかったな)
ナミはぼーっとパウリーとの時を思い出していた。
これからずっと一緒にいられるなんて夢のようだ。一瞬だって忘れたことなどなかったと言われたのを思い出して、ナミはにへっと笑った。
でも、これからどうすればいいんだろう。
自分の心は決まっているが、婚約者を傷つけることは避けられない。
ごめんなさい。
ナミから何を言っても婚約者の心は救われないだろう。

ナミが俯くと、自分の太ももに昨夜愛された跡がついているのを見つけた。
パウリーが内腿にキスマークをつけたのだ。
真っ赤になってナミはアタフタした。
す、座らなきゃ見えないだろうけど、びっくりした。
短いスカートをぎゅっと引っ張って、ナミはコーヒーを飲み干し、隣に座っていた男に話しかけた。

男はずっとナミをちらちらと見ており、突然話しかけられて豆鉄砲を食らった鳩のような顔をする。
「あの、5分で雨が降るので中に入った方がいいですよ」
周りで聞き耳を立てていた人々は、本当に降ってきた雨に感心したとか、畏怖の念を抱いたとか。







───最後に私を抱いて。
それは無理です、とパウリーが言うのを聞かず、セリーヌは立ち上がった。
言いたいことを一方的に言って去る。
「じゃ、準備ができたら電話して?じゃないと婚約は破棄しない」

セリーヌは今まで何度もやってきた手口を使った。
友達の彼氏を寝取るのは、ものすごいスリルと優越感を与えてくれる。
最初は渋っていた男も、一度でいいの、と関係を持てば自分に惚れて(あるいは脅して)言いなりになる。
それはとても気分が良かった。
だからセリーヌに本当の友達はいない。

嫌な女。
誰もがあの女の噂をしてる。
しかも海賊だったなんて。
自分より目立っていることが許せない。
パウリーとの婚約が決まった時、この街の話題は全部セリーヌのものだったのに。

あぁ嫌な女。
遠くからでも見つけられてしまう。
家に帰ろうと歩いていると、オレンジの髪が向こうから歩いて来るのを見つけてしまった。
だって周りが振り返っている。
妖精の粉でもまぶしたようにキラキラしていて、健康的で、泥棒猫と呼ばれていてもどこか親しみがある。

セリーヌはレースやフリルがふんだんについたスカートをなびかせて、ナミに話しかけた。

「また会いましたねぇ」
猫撫で声にナミがあっ、という顔をした。
ナミはまたもやスーパーの袋を持っており、料理でもしようというのか、ネギが袋からはみ出している。

「パウリーさんから別れようと言われましたわ」

セリーヌは悲しそうに睫毛を伏せる。
ナミを叩きのめしたい。自分より上の者に勝ってみたかった。

「愛し合う二人を割くことなんてできませんから、言ったんです」

鎌を振り下ろすつもりで言った。

「最後にもう一度抱いてくださいって。
そしたら彼はわかったと言ったわ。
今日は遅くなると思いますけど、気にしないで待っていてね」







パウリーが仕事をしていると、セリーヌの父親から連絡があった。
「本来ならこちらからお伺いするところを、申し訳ありません」
『セリーヌに全て聞いたよ。それについて話したいから、今日終わったらうちへ来てくれるか。他に女がいる男に、大切な娘はやれないのでな。君が忙しいのもわかっている。残念だ。しかし体面のこともあるので、けじめはつけてもらわんと』
「もちろんです。処遇は全てお任せしますので。ありがとうございます。申し訳ありませんでした⋯⋯」

仕事も多忙である。パウリーは迷って、アイスバーグに電話をした。

『ンマー、ナミちゃんが来てるって話題になってるな』
「アイスバーグさん、電話なんかですみません。フルニエさんと結婚はできません。皆さんの顔に泥を塗ることになり⋯⋯本当にすみません」
『いいっていいって。ここ数年のパウリーがあんまり酷かったから、嫁さんでももらえばいいかと思ったんだよ。悪かったなァ』
パウリーがモテていることは知っていたし、再三フルニエ氏に縁談を持ちかけられていたので、話を通してしまったのだ。パウリーは有望株だったので。

「もちろん、社長の就任は辞退します」
『ンマー、まあそれは株主総会で言いな』

パウリーはほっと息を吐いた。
自分のわがままでたくさんの人を傷つけてしまった。
だけどそうしなければ生きて行かれない。
そういう恋をしているのだ。










───いくら待っても、その日パウリーは帰って来なかった。
ナミはパウリーの家で、冷めていく料理を眺めていた。

ぐるぐるとセリーヌの言ったことが頭の中を回る。

今、パウリーはどこで何をしているの⋯⋯?

最後に抱いてと言った。
彼はわかったと。

婚約してたのだから、そういうことがあっても不思議ではないのだろうが、胸の奥が嫉妬でざわざわした。
ナミはキスマークのある内腿に触れた。

今同じようにそこにキスしてるの?
最後だからと言って、特別なことをしているんだろうか。

書き置きには「仕事に行って来る。愛してる」と書いてあった。
朝それを見てナミはそのメモを抱きしめた。
嬉しくて胸が弾んだ。

なのに今、パウリーのことが信じられない。
ネガティブバイアスは自分を傷つけない為に、最悪な方の情報を重視してしまう。
パウリーの愛が本物だとわかっているのに、セリーヌの言った言葉が離れない。

もし本当にそうだとしたら?
ナミの根本が揺らぐ。
最初は、パウリーはそんなことしないと思っていた。
けれど、いくら待っても帰って来ない。
連絡も取れない。
パウリーが帰って来ない状況が、よりネガティブを加速させる。

耐えられなかった。
胸が刺されるように痛い。
「うう⋯⋯」
自分の内腿にある痕が嫌になって、拳を叩きつけた。
消えてなくなれと思った。
こんなに苦しいなら、決めなければ良かった。
ずっとそばにいるなんて、1日で天から地獄を味わっているのに。

死んだ方がましだと思うほどの痛みだった。
この恋は、踏み出した時からずっと致命傷だったのだ。








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