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□泥棒猫と呼ばれるようになったわけ
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二十、略奪の基礎








「パウリーさん♡来てくれてありがとう。さ!お食事をご一緒しましょ」

「そうだぞ、パウリー君。婚約はなくなっても、君は要職に就いているのだし、これからも我が社をよしなに頼むよ」

フルニエ氏は大手ゼネコンの社長であり、ガレーラとは取り引き相手だ。

拍子抜けするほど和やかな雰囲気にパウリーは驚く。
殴られることくらいは覚悟していたのに。

「こんな街にも一応社交界というものがあるので、婚約はこちらからお断りする形を取らせてもらうが」
「それはもう、是非に⋯⋯」

社交界などスキャンダルばかりだ。そんなにありがたがるもんじゃないがと父親は笑った。
何故かこんな状況に“慣れている”ような違和感をパウリーは覚える。

今まで慰謝料を払うことの方が多かったのだ。
セリーヌは友人の婚約者を3人寝取っていたので。

和やかなまま食事が終わると、セリーヌが頭を押さえて熱っぽいと言い始めた。
あなたの風邪が移ったんだわ。部屋まで送ってと椅子にしなだれかかり、父親に運んでやってくれと言われては従うしかない。
それなりに広い屋敷なので全く熱っぽくない体を横抱きにして歩いた。

「パウリーさん、驚いてたわね」
ワインを何杯か飲んだセリーヌは酔っ払っており、少し舌足らずに言った。
「私がパパに頼んだのよ。パウリーさんを責めないでって。だってパウリーさんが怒られるのを見たくなかったのよ」

セリーヌは指先でつつ、とパウリーの胸をなぞった。
今22:00。
まだまだ足りないと思う。
あの女に絶望を与えるには。

部屋の前で下ろそうとすると、中に入ってと言われた。
それでも抵抗すると、意識を失う素振りをする。
お願い、ソファーに座らせて、と息も絶え絶えに言われると、パウリーはそうするしかなくなってしまう。

「⋯⋯ここでよろしいですか」
「よろしいです♡」

ソファーに下ろされたセリーヌはパウリーにキスした。
不意打ちだったので避けられなかった。

「んっ⋯⋯!?」
「あん♡」
急いで肩をぐっと突き放すと喘いだような声を出した。

「いつ手を出してくるのかって思ってたのに、全然出して来ないんだから」

「いやっ、今のはっ」

ふふふと笑う。
全くやりやすい。猫を被ることなんてなかった。
女慣れしてなくて隙だらけだ。

「じゃーん♡」
セリーヌは目にも止まらぬ速さで胸元をくつろげ、可愛い下着をパウリーに見せつけた。
婚約していた時より、誰かから男を盗ろうとしている時の方が楽しい。
だってあのむかつく女を叩きのめしたいもの。私の方が上だと思いたいもの。

「帰ります。すみません、これでもう」
許して欲しい。パウリーは一生懸命目を逸らして言った。
「そうですか、じゃあさようなら」

またそっちから会いに来る時がくる。
セリーヌはひらひらと手を振った。









パウリーが家に帰れたのは深夜の12時を回っていた。
急いだつもりだったが、二人分の食事が乗ったテーブルを見て、胸が痛んだ。
そっと寝室の扉を開けるとナミはもう寝ていた。
パウリーは起こさないように扉を閉める。明日も仕事が溜まっている。
本当に申し訳ないことをした。でも、これでやっと落ち着くことができる。
いつまでも一緒にいることができる。
そう思うと、胸の奥が幸せになった。

パウリーがベッドに入って来る気配がして、ナミは話しかけようかと思ったが、できなかった。
明日も仕事があるから、パウリーを寝かせてあげたい気持ちの方が、大きかった。
まだ体調も良くなっていないだろうに。

本当は問い詰めたい。
どうしてこんなに遅くなったの。
ずっとあの人と一緒にいたの。
何をしていたの。
本当にあの人を抱いていたの?
最後に?もう一度って?
何度も抱いたの?

ナミの目から水が静かに伝い落ちた。
確かめるのが怖い。
近くにいるのに、こんなにも心が遠い。

ごそ、とパウリーがナミの体を抱きしめた。
寝ぼけているのか安らかな寝息が聞こえてくる。

私を抱きしめたの、あの人を抱きしめたの、これはどっち?
こんなに悲しいのは初めてだ。
こんなに自信を失ったのも。









その日は、死に物狂いで仕事を終わらせた。
早くナミに会いたかったし、無事に婚約はなくなったと報告しなければならなかった。
パウリーは花屋やケーキ屋で寄り道をするのも惜しくて、急ぎ足で帰ってきた。
ドアを開けると、ナミがいた。
良かった。居てくれた。
ナミの表情が固いのを見逃すくらい、浮き足立っていた。

「おかえり⋯⋯」
「ただいま」

ナミの姿を見ていると、嬉しくて幸せで体が勝手に動いてしまう。
キスしてその体をまさぐった。
好きだという気持ちを、たくさん伝えたかった。服の上から薄い下腹にキスして、抱き上げてベッドに連れて行った。

服を半ばまで脱がせた時、やっとその異変に気付いた。
ナミが静かに泣いていたから。
何の抵抗も拒否もせず、キスに応えていたのは、パウリーを悲しませたくなかったからだ。
言いたいことが、聞きたいことがたくさんあるのを我慢して、信じようとした。
だって愛してるから。
でも心が、体が言うことを聞かない。

「ナミ、どうした」
パウリーは性急な行為を後悔した。
心から心配して、ナミの頬に触れる。

「な、んでもな⋯⋯」

ナミは首を振った。


今朝ナミが洗濯をしようとすると、昨日着ていたパウリーのシャツに、口紅が付いていた。
それを見つけた時、色んなことが裏付けされた気がして、呆然とした。

昨日着ていたスーツのポケットには、香水をまぶしたハンカチが入っていた。
そのむせ返る匂いに、ナミは悪意を感じ取った。
奪ってやったぞという意図を感じた。
振り下ろされた鎌がナミを袈裟斬りにした気がした。

ああ、じゃあやっぱりそうなんだと思ったし、帰って来るのは遅いし、ナミは朝まで眠れなかった。
気づいたらパウリーはいなかったし、略奪愛の基礎みたいなことを全部されていた。

「どうした。ごめん、俺が知らずにお前を傷つけたのか。話して欲しい」

パウリーの言葉は優しくて、やっぱり自分を傷つけることをするとは思えなかった。


「あの、セリーヌって人と何かあったの?」
「何もない。婚約はなくなった。もう何も心配することはない」
「っ、でも、昨日、すごく遅かったじゃない。なんであんなに遅かったの?何してたの?」
「それはセリーヌの家に婚約を解消しに行ってたからで」
それを聞いてナミはかっとなった。一人暮らしの家を想像したからだ。
「家?家に行ってたの⋯⋯!?」
「父親と話をする為だ。呼び出されたんだ」
「食事して、そんなに遅くなる?」
「セリーヌが体調が悪いと言って⋯⋯」
突然途切れた言葉に、ナミは全てを察した。
そんなの、女が男を落とす時の常套手段ではないか。
「そ、んなのウソに決まってるじゃない」
ナミにはわかる。
パウリーは優しい男だ。そういう男は私たちのような女から見れば付け入る隙があるのだ。
容易に自分の方を向かせることができる。
見捨てられないでしょう。申し訳ないなと思ってるでしょう。
───私がこなければ、パウリーはきっと大切に婚約者を愛しただろう。
「⋯⋯ねぇ、本当は何かしたんじゃない?キスとか、ああ、裸でも見せられた?」
「⋯⋯っ!してない!」

ナミは相手の表情や仕草で考えていることがよくわかる。
それが好きな人ならなおさら。

「じゃあどうしてシャツの襟に口紅がついてるのよ!香水がかかったハンカチがどうしてポケットに入ってるの!?教えてよ!」

ナミは手で涙を拭い拭い叫んだ。

「何で何もないって嘘つくの!?あの人と街で会って言われたの。“最後にもう一度抱いてくださいと言ったら、パウリーはわかったと言ってた”って。今夜遅くなるって言われたのよ!本当にそうなった!」

「そんなこと絶対にしてない!」
パウリーは必死で言った。

「確かにそう言われた。そうしないと婚約を破棄しないとも言われた。けど、きっぱりと断った。わかったなんて言ってない。だって好きなのはお前だけだ。できるはずない」

ナミの心はもうグチャグチャだ。頭に血が上って、不安で不安でたまらない。
誰かを責めていなければ、不安に押し潰されそうだった。
そうしなければもう立てないとよくわかっていた。

「待ってる間すっごくすっごく不安だった!わたしばっかりこんなに好きで、辛いの!
こんなことになるなら、来なければ良かった!あんたに会わなければ良かった!」

パウリーはナミを抱きしめた。

「本当にそう思うか⋯⋯?」
パウリーの声は震えていた。
「⋯⋯うっ、ひっく⋯⋯」
ナミは答えられずに、泣く事しかできない。
私が来たから、誰かを傷つけてしまったし、パウリーにこんな酷いことを言ってしまった。
出会わなければ愛することもなかったし、こんなに悲しい思いをすることもなかった。

「もしお前に会えなくて、エニエスロビーに行くこともなく、順風満帆に思いのままの人生を手に入れたとしても」

「もし選べるなら、必ずお前に会う道を選ぶ。何もかも失うとしても、お前を愛さなかった人生の方が辛い」

ナミの目から涙が溢れた。
それは嬉しかったからだ。
愛する人よりも大切なものなどないのだと、教えられた気がしたから。












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