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□泥棒猫と呼ばれるようになったわけ
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十、人形の家








表情のないナミがマリアの頬にふれた。
ガラスが飛び散った時マリアも怪我をしていたのだ。
白い陶器の肌に線が走っている。
転んだ時に肩も打っていた。

「ナミ、わたくし⋯⋯」

ナミが人形のままなのは嫌だった。
マリアは額と額をくっつけた。

「聞いて欲しいことがあるの。だからあなたはあなたに戻って。心も体も、あなたはあなたのもの。お父さまの言うことは忘れていいのよ」

ナミはごとっ、と床で寝て、すぐに起きた。
ハッと目を開けた。

「い!?痛!?血っ!?切れてる⋯⋯!?」

顔と胸に切り傷があるようだった。
ゾロと戦ったことも何も覚えていないが、触れた手に鮮血が付く。

「大丈夫?」
「マリア!?あんたもほっぺが切れてるじゃない⋯⋯」
ナミが頬に触れようとすると、部屋の惨状が目についたらしい。
「な!?なにこの部屋!?泥棒でも入ったの?あれ?何も覚えてない⋯⋯」
「⋯⋯ごめんなさい」
慌てるナミを見てマリアは俯いた。

「あなたの記憶を奪ったのも、あなたの尊厳を奪ったのも、この私。最初は美しいから好きだった。けれど、一緒にいると楽しかった⋯⋯」

どこか悲しい声が聞こえるひとだった。
それなのに、そんな素振りは一切見せなかった。
辛く苦しいことを、覆い隠せるだけの強さがあった。
それはどんなことやもの、人よりも美しいことだと思った。

「マリア⋯⋯?」

マリアの顔にピシ、と亀裂が入った。
その、まるで陶器のようだと思った肌が裂けている。

「見て」

マリアがブラウスを脱いだ。
真白な肌には傷ひとつなかった。滑らかで、美しかった。
人前で胸を露わにしたことに、ナミは疑問視ひとつ浮かべない。
どうしたの?何を伝えたいの?と心配そうに耳と心を傾けている。

マリアが胸を押さえると、パリン!と皮膚が割れた。
ガラスを取り除くように皮膚が剥がれた中から、マリアの本当の肌が出てきた。
そこには白い肌があるのに、焼印のような痕があった。美しい肌に、ケロイドが盛り上がっている。
その傷は凄惨で、残酷だった。
消えることはないから、マリアは人形になったのだ。
美しい少女で覆われた人形だ。
父が不憫に思ったから。
こんな傷物になった娘を愛してくれる人などいない。幸せなどやって来ないと。

「あなたの心と人生を覗いてごめんなさい。それどころか、同じ人形だから、心の声まで共鳴して聴こえていた。今も聞こえるでしょう?お父さまが人形にした海兵や、軍人や、海賊たちの嘆きの声が。ずっと聞こえていないふりをしていたの」

「人、形⋯⋯?」

ナミは人形だった時の記憶がない。
マリアに命令されなければ元の自分に戻れない。
人形と言われてもピンと来なかった。
しかし目の前の声は聞こえて来た。

───ごめんなさいと、助けてが。

「⋯⋯何があったの?」
その傷は。




『お父さま、わたくし、大丈夫よ』
マリアが焼印を押し付けられたことが知られた日、マリアは笑っていた。

『こんな火傷、なんでもないわ』
『お母さま、悲しまないで』
『ほら、見て。少し傷は残ってしまったけど、わたくしは何とも思ってないわ』

マリアは一生懸命に言った。
最初の夫とその家族が虐待することを隠していた。
家と家の繋がりなのだし、貴族と言っても、その格は雲泥の差であった。

父は自分を責め、母は余りのことに倒れた。
2人ともマリアを愛していたから、マリアも必死に答えようとした。

父はその能力で全てを思う通りにした。
そして今。


「私、ナミが私と似てると思ったの。記憶を聞いたわ。勝手に。ごめんなさい」

ポロポロと泣くマリアを見て、ナミはなんでその時この子の側にいてあげられなかったんだろうと思った。

「ずっと気にしてないふりをしてたの?」

ナミが傷痕に触れる。
傷を気にすれば、父が自分を責めるから。

「そう。なんてことないって顔をして、結婚詐欺を持ちかけたのも私。傷や、結婚を乗り越えたと思って欲しかった。どうすれば父が自分を責めないで済むのか、ずっと考えていたの」

父は私を美しい人形で覆って、傷もなかったことにして、いつまでも歳を取らない外見を纏わせた。
目を瞑って、見えないようにすることが正解だと信じていた。
私たちは前進せず、ずっと同じ場所にいて、悲しい事件はなかったかのように、見ないふりをして生活して来た。

「⋯⋯雨が降ると、痛む?」
マリアはこくこくと頷いた。
頷くたびに涙が溢れた。
ナミは同じ痛みを知っていた。
誰かを心配させないように、笑顔を作ること。心は泣いているのに。
痛みを隠すこと。大切な人を失うこと。
自分を犠牲にしてでも、生きて欲しい人がいること。

「わかるわ」

ナミが腕を広げた。
飛び込んでいいのだとわかった。
この胸で泣いていいのだと。

マリアは初めて自分の為に泣いた。





「アラン様の心をのぞいた時思ったの」
「もうやめなさいよ?それ」

ナミがマリアを抱きしめながら言った。

「彼も周囲の期待に応えようとする人なの。自分の為には何も選んだことがなかった。ねえ、どうしたら心のままに生きられるの?ナミみたいに」

「心のままにねぇ」

幼い子供のような質問に困ったナミは頬をかいた。

「私はルフィに海賊にならないかって言われて、ふふ。断ったんだけど、故郷を助けてくれたの。
それでね、夢を追いかけられるようになった。自分の目で見た世界地図を描く夢。
それと、やっぱり楽しかったんだよね、あいつらといると」

「あんたには時間が必要だったのよ。そうしたいなら今ここから進めばいいし、きっと楽しいことがたくさんあるわ」

「マリアの夢は何なの?あとさ、もしマリアがいいなら、傷痕を消して何か入れるのはどう?私みたいに!」

ナミが自分の刺青を見せた。
みかんと風車だと説明しながら。









広間での戦闘は佳境であった。
「ハァ、ハァ、ハァ⋯⋯」
互いに最高の火力を見せ合った。
木偶は今まで戦った中で1番強いものばかりだった。
何度も何度も起き上がり、ルフィはその度に倒すが、アルベルトも木偶を操るのも限界で、どちらが最後に立っていられるのかはもう誰にもわからない状態だった。

「お父さま」
「ルフィ!」

マリアとナミは全てが解決したと言う顔で広間にやって来た。その顔色は明るく、足取りも軽い。

「ナミ!その傷どうした!!!」
「え?ああ、これね⋯⋯」
ルフィが怒っている。確かに派手に傷ついているように見えるからだ。

「⋯⋯何をしている。マリアを守れと言ったろう」

ビリビリと命令の音がしてナミは頭を押さえた。
痛い!
もう、マリアは自分の足で歩けるのに───


「お父さま。もういいの」
マリアが真っ直ぐ父を見つめた。
「今まで私は、お父さまを苦しめてきたわ。どうしようもないことで、お母さまも亡くなってしまった。今日まで、自分の本当の気持ちを言わなくてごめんなさい」

「マリア、肌が⋯⋯」

ピシピシと、マリアの仮面が剥がれて行く。

「私はもう大丈夫なのよ。私には素晴らしい未来があるってわかったの。過去に蓋をして見ないようにすることは、何かを乗り越えたことにはならないのよ」

本当のマリアの姿が現れた。
年の頃はもう20代の半ばだ。
美しい黒髪の人で、雰囲気は聡明で理知的だ。
アルベルトにもどこか似ている。

「マリア⋯⋯君はメアリーにそっくりだ」
母の名を呼んだアルベルトはポロポロと泣いた。
あの時、マリアはこんな風に顔を上げることも、目に力が宿ることもなかった。
取り返しのつかないことをした。
憎い者を殺しても人形にしても気が晴れなかった。
マリアはずっと傷を抱えて生きる。
そんなことには耐えられなかった。
けれど今。

全てを乗り越えた娘がそこにいた。



「───ナミ!」
強い命令を受けたのに頭が痛くなったのは、マリアに聞かなくていいと言われたからだろうか。
ナミは無表情な人形になったが混乱していた。

ルフィを見て困惑していた。
ナミは相手の望みを叶える人形だったので、相手のことが手に取るようにわかるのだ。
なのに。

ルフィの顔をまた見た。

この男は、私に何も望んでいない。

いや、違う。

私が私であることを望んでいる。
真っ直ぐに、一途に、それだけを望んでいる。

その願いを叶えて、ナミは正気に戻った。
悪魔の実の呪いを外したのだ。そのルールに則って。

「え?」
私は今まで何を。

「あのオッサンをぶっ飛ばせばナミが元に戻るって聞いたぞ。ちょっと待ってろ」

「え、ちょ」

ゴムゴムのォ───

そう言って、ルフィはアルベルトを気絶させた。









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