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□願いは優しい腕の中で
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中
ナミは目尻を拭った。
体の関係なんてものは恋愛のゴールではないのだと知った。
何となく、ナミには思い描いていた恋愛というものがあって、それは付き合ってデートをして、そして結ばれるというようなごく普通の女の子が夢みるものだった。突然朝を迎えるのではなくて。
もし、「それだけ」の関係だと思われているとしたら。
考えただけで、ナミは背筋が寒くなった。
相手の気持ちを確かめるのが怖いと思った。
ゾロは人を傷つけるような男ではないと思うが、何せ初めてなので男女の機敏がよくわからない。
そもそも昨日の記憶がすっぽり抜けているのだ。
そしてナミには経験がない。恋愛をしたことがない。ルフィ達と出会うまでの十八年間、物心がついてからはほとんど被支配下にあった。だから何も判断できない。
どうしよう。
立ち尽くす以外何も方法がない。
そして数日が経った。
ゾロはいつナミを誘うかタイミングを測って浮ついていた。
付き合うことになったのだから、もっと一緒にいてもいいはずだと思っていた。
(あいつめちゃくちゃ挙動不審だったな)
一緒にいた朝、ナミは隠れるようにうずくまっていた。
あんなにまじまじと女を見たのは初めてだったし、世話をするのが嬉しいと感じたのも初めてだった。
夜、眠ったナミの顔を見ていると心が安らいだ。
泣き跡が頬についていて、どんなものからも守ってやりたいと思った。
◇
「やめて」
酒場を出て、我慢ができずにゾロはナミにキスをした。
ずっと足が触れていたから、体の中心から高揚していたし、ナミが受け入れていることもわかっていた。
好きだから、もっと先に進みたかった。
「私、初めてだから好きな人としかしたくないの」
俯いたナミから強い声がした。
これだけは譲らないというような、絶対に傷つく気のない言葉。それはとても誠意のある言葉だとゾロには思われた。
「あんたが遊びたいだけなら、他を当たって欲しい」
険しい顔で言うナミに、自然と言葉が出ていた。おれたちは考えが合うとそう思った。
「遊びなんかじゃない」
ずっと好きだった。
その言葉に、ナミは驚いて、そして嬉しそうに笑った。
唇を奪った。
ナミは応えて首に腕を回した。
「私も好き」
そう言って、ナミは部屋の番号を教えた。
◇
ナミは測量室で頭を抱えていた。
もう一週間ずっとこうだ。
こんなことは誰にも相談できないので、堂々巡りで同じ事を考えては落ち込んでいた。
ゾロの気持ちを確かめるのが怖いから、ずっと避けている。
二人にならないように気をつけていたし、夜は部屋に戻ってすぐに寝た。
これでは本当に、一夜だけの関係が事実になってしまっている。
それでも、その事実をゾロの口から聞くよりはマシだと思った。
都合の良い関係なんて絶対に嫌。
ましてそれが好きな男となんて、ナミはそれを受け入れられるような女ではない。
経験や知識はなくても、プライドというものがある。
いっそあの夜全部を消せたらいいのに。
中途半端に記憶がないから、体だけの関係を受け入れた自分が信じられない。
ゾロが私を好きなら⋯⋯
そんな幼い子供のような幻想が、脳裏をよぎりはしたけれど。
でも。
ナミは走らせていたペンを止めた。
ナミはゾロに忘れられないひとがいるのを知っていた。
そしてその人にそっくりな人物が海軍にいることも。
酔ったゾロは意外とよく話すから、ナミはそれを知っていた。大切な人なのだろうなと思った。
そうだ、その時思ったのだ。私はそれを応援しようと。
自分の気持ちなんかどうでもいい。
ゾロのことを応援すると決めた。
だから、ゾロへの気持ちはなかったことになった。好きになってはいけないと固く決めていた。
───そんなことを、ナミは思い出した。
遂にナミを捕まえることができた。
ゾロは青筋をたててナミを壁際へ追い詰めていた。
「オイ、何故かおれを避けてたよな?ここんとこずっと」
「のいてよ」
ナミは迷惑そうに俯く。
「訳を聞かせてもらうまでのけねぇな」
どうしてこうも避けられるのか。自分たちは同じ気持ちではなかったのか。ゾロの中は疑問でいっぱいだ。あの夜心が通じ合ったはずだった。
「避けてない。でも」
ナミが悲しそうに言った。
「⋯⋯もう関わらないで欲しい」
ゾロはその言葉に驚くほど傷ついた。頭が殴られたようだった。
反射的に脳に血が上って、壁を殴り壊してしまった。ナミの顔の横に風穴が開く。
何よりも守りたいと思っているのに、何故かそれを本人が嫌がる。
「は?おれが何かしたか?」
「言わないで」
自分では止められないとでもいうように、ナミはゾロを見上げたままはらはらと涙を流した。
それでゾロは固まってしまった。
「はっきりさせるのが怖いの。だからもうやめて」
そう言ってナミは逃げてしまった。
◇
「本当に、初めてなのか」
「ん⋯⋯疑ってるの?」
ベッドに押し付けられてキスしながら、ナミが目を開けた。
「いや⋯⋯そうなら嬉しい」
なんとも度し難い幸福感があった。
この女の最初で最後の男になれると思うと、驚くほど嬉しかった。
「わからないから、教えてね」
流し目で言われて、脳に響く言葉に眩暈を覚えながら、ゾロはぐっと目を瞑る。
ナミが喜ぶことは何でもしようと思ったし、どこが気持ちいいのか、何が好きなのか知りたいと思った。
ゆっくり服を脱がせ、その中身を見た。これに触れることを許されたと思うと息が速くなる。
長い時間をかけてやろうとして、白い首筋を舐めた。ナミはごくりと唾を飲んだ。喉が大きく動いたのを感じてゾロはナミを見上げた。
「あれ⋯⋯?」
天井を見つめたナミの目から涙が溢れて、次から次へとこぼれ落ちていた。
「あらら⋯⋯あはは、おかしいな」
ゾロはピタリと手を止めた。
「ごめ⋯⋯ほんとに、ごめん⋯⋯大丈夫だから」
「大丈夫なわけねぇだろ」
ゾロはナミをシーツでくるんで膝の上に横抱きにした。
「ごめ⋯⋯なんか、怖くて⋯⋯」
涙を止めようと目を擦る姿に、ゾロは今まで感じたことがないほどに胸が痛んだ。
ぶるぶると震える手と、ナミの真っ青な顔を見れば、何か恐ろしいことがナミの身に起きたのだろうということは誰にでも想像がついた。
「謝らなくていい。怖がらせてごめんな」
ゾロはぽんぽんと背を叩いて身を揺らした。
ナミは申し訳なくて、情けなくて、口元を押さえながら伝えた。
「嬉しいはず、なのに、怖いの。私、あの八年に怖い目にたくさんあったけど、一番怖かったのは───」
魚人が海賊を殺しに来る。
ナミが危ない目に遭う度に、監視していた鮫の魚人が海賊を殺した。
ナミに死なれては困るのだ。
女らしく成長してからはそれは頻度を増した。
目の前で繰り返される殺戮。
断末魔、むせ返る血の匂い。
───私を組み敷いた者の辿る道はひとつ。
アーロンはもういない。
私の貞潔を守った魚人はもう。
ゾロはナミを撫でながら言う。
「大丈夫だ、ナミ、大丈夫だよ」
謝らなくていい。
怖がらせたくない。
おれのことなんて気にしなくていい。
ゾロは初めてそんなことを思った。好きだから、大切だから、いつも笑っていて欲しいと思うから。
───ひとつ願いが叶うなら、そのおぞましい記憶を、全部忘れさせてやりたい。
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