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□梦中梦 (中編)
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梦中梦 




中編








王様の部屋から出て来たルハンの側に、待っていたセフンがすかさず駆け寄りました。

「何の話だったの?顔色が良くないよ」

様子がおかしいルハンをセフンが心配そうに見つめます。
声を詰まらせて、ルハンが答えました。

「東の方にある国の王子様が、るうと結婚したいんだって」
「えっ…」
「正式に決まった話ではないけれど、きっと、そうなると思う」
「そんな、いやだ、急すぎるよ」
「…これがるうの務めだから」
「だけど…だけど…」
「もう、セフンがそんな顔するな」

心配をかけまいと無理して笑うルハンの顔は、どう見ても動揺しています。

「今日は少し休むよ、ギョンスには後でるうから話すから、適当に言っておいて」
「シャオル…」

ルハンが寝室に入ってしまっても、セフンは扉の前に立ち尽くしていました。ビビが散歩に行きたいと着物の裾を引っ張っても、そのまま動きませんでした。



ルハンは部屋に入ると、寝台にうつ伏せてしまいました。
いつかはこんな日が訪れると分かっていたことではありますが、心は全くついていきません。受け入れるには、あまりにつらい現実であり、お姫様は幼すぎました。

「っ…ふ、…」

とうとうルハンはしくしくと泣き始めてしまいました。




「ルハン様?」

扉の開く音と聞き慣れた声に、シウミンが部屋に入るのが分かって、ルハンは慌てて頭まで布団を被りました。

「具合が悪いのですか?お薬はお飲みになりましたか?」

何も知らないシウミンの心配する声が聞こえます。
無視しようかと思いましたが、どうせ遅かれ早かれ知られることです。
涙を拭くと、のそのそとルハンが体を起こしました。

「またお腹を出して寝て、…!」

赤く潤んだルハンの目を見て、口には出さずともシウミンが驚くのが分かりました。



「ルハン様、どう」

「…るう、結婚することになった」

「それは…」



「それは、誠におめでたいことでございます。心よりお喜び申し上げます」


他の言葉を期待していたわけではありません。
けれどその瞬間、ルハンの胸はばらばらに壊れそうになりました。
自分にとってこれほど苦しい出来事に対して、好きな人にお祝いの言葉を言われなければならないなんて。

「きっと素晴らしい国に違いありません、ルハン様はどこへ嫁がれてもどなたにも愛されて、必ずお幸せになれます」

優しく落ち着いた声色で、言い聞かせるようにシウミンが言いました。
大好きなそれが、今はルハンの心をズタズタに裂くようでした。

「王様がお許しになった方なら何も心配いりません。今は少し驚かれているかもしれませんが、どうか安心なさって下さい」

シウミンは何も悪くありませんが、もう聞いていたくなくてルハンは顔を背けました。

「もう、いいから。出ていって、はやく…」

失礼しますと、シウミンはすぐに下がりました。
その晩、ルハンは一睡もすることが出来ず、涙が枯れるほど泣きました。







翌朝から、ルハンはシウミンと口を聞かなくなりました。
もちろん少しは話をしますが、必要なことだけを言うだけで、一緒にいてもおしゃべりはせず、蹴鞠をして遊ぶこともお散歩することもありませんでした。
こんなことは初めてでしたので、ギョンスやセフンだけでなく、宮廷で働く誰もが驚きました。


「ルハン様、セフン様、楽器のお稽古の時間ですよ」

お部屋で本を読んでいた二人にギョンスが声をかけると、シウミンもいつものように立ち上がりました。

「シウミンは来なくていい」
「!、はい…」

ルハンがそう言うと、セフンが不思議そうに訊ねました。

「シャオルー、なんでシウミン置いてくの?」
「楽器を弾くときにシウミンは必要ないだろ」
「変なシャオルー。いつもシウミンに、いい音色?上手くなった?て聞くのに」

ルハンはそれに答えず、シウミンも着いてくることはありませんでした。


ずっと側でルハンを見てきたギョンスには分かっていました。
結婚してこの国を出ていくことになれば、もちろんシウミンとは離れなければなりません。
親しくしていればいる程別れの日が辛くなります。だから今からわざと冷たく当たり、心の距離を取ろうとしているのでしょう。
いつも朗らかで子供のようだったルハンのそのような痛々しい振る舞いに、ギョンスも表向きにはお祝いの言葉を述べていても、深く同情し、悲しんでいるのでした。







そんな日が幾日か続きました。
その晩、門番の係であったシウミンは、見張りをしながら暗い夜空を見上げていました。
ちかちかと瞬く星をなぞって繋ぐように、指先を空に滑らせます。

小鳥の羽の様に長い睫毛、つんとした鼻先…

描いたそれはまるで、誰かの横顔のようでありました。
いくつか繋いだところで腕を下ろし、ため息をつきました。

「あの方の笑顔を守りたいのに。きっと、傷付けてしまった… 私は、どうしたらいいんだろう…」

誰もいない夜の門の前で、シウミンは恋しい人を想って、ひとり心を曇らせていました。







明くる朝、シウミンはある場所へ向かいました。
お城の敷地の端にぽつんと建つ、薬房です。

「ごめんください、ギョンス様の代わりに、薬を取りに参りました」

シウミンが戸を開くと、中からえくぼを見せて若い青年が顔を出しました。

「やあシウミン様、お久しぶりです。セフン様のお薬ですね、今お包みします」

彼の名前はイーシンと言いました。春の国の薬房で働く青年で、彼は王室から命ぜられ、ここで『ある特別な薬』を煎じる仕事をしていました。

「ギョンス様は、今ルハン様のご結婚の御支度でとてもお忙しいのです」
「そうでしたね、とても喜ばしい出来事です…ま、建前はね」

なんとも含みのある言い回しにシウミンはぎょっとしましたが、いつものことなので笑って流しました。イーシンは少し独特のセンスがありますが、シウミンはそれが嫌いではありませんでした。
それに、二人とも春の国の生まれではありませんでしたので、気軽な仲なのです。
薬を受けとると、イーシンはシウミンにお茶を出してくれました。
どこか懐かしい薫りの、野菜の皮で煮出した土色のお茶でした。

「アリババ王国だっけ?胡散臭いよ、あの国は。戦こそしないものの、もともとあの辺りにあった小さな国を、王様がみーんなお金で買って自分のものにしてしまったんだ、強欲過ぎる」
「実は誕生日の式典の時に、私も王子様をお見かけしたのですが、とても私たちの国に敬愛を持って下さっているようには見受けられなかった…」

あの日シウミンが見た、印象の良くなかった王子こそ、アリババ王国の王子だったのです。

「何かいやなことにはならないと良いけどね… まあそうならないように、君がお姫様を守らなくちゃ」
「やめてください、この国から離れてしまっては、私にはもうどうすることも出来ない」

困ったように笑って、シウミンは手のひらの茶碗を揺らしました。

「関係ないよ。誰かを想う気持ちに、物理的な距離なんて」
「…」



お礼を言ってシウミンが帰ると、イーシンはまた仕事に取りかかりました。
大きな鉢で、あるものをすりこぎで丁寧に細かく擂ります。

彼が煎じているのは、春の国に隠された秘密の薬、『生命の樹』の薬でした。
薬房の裏手にある大木がまさにその樹です。
樹齢は何千年と言われ、春の国が建国されるよりもっと昔からありました。
そして、生命の樹に一年のうちごく僅な時期にだけなる実を乾かし、煎じて作った薬は、古代よりあらゆる病や怪我に効くとされていました。

しかし、良い薬というのは一方で強い毒にもなります。
また、実を採り過ぎてしまえば樹が枯れてしまうかもしれません。
そこで悪用されることがないように、王室の管理下でのみ薬は作られ、必要な分だけを国民や他の国々に大切に分け与えていたのです。
セフンも生まれつき体が弱くよく体調を崩していましたが、この薬のおかげで段々と健やかになってきました。
また、この薬で家族が命を救われたことがあるイーシンは、春の国へ訪れ医学を学び、先代の医者に弟子入りをしたのです。


「先生、ただいま戻りました〜」
「おかえり、お使いありがとうジョンデ」

ジョンデというのは、イーシンのお手伝いをしている小間使いの男の子です。薬作りに必要なものを城下町まで買いに行ってきたのです。

「途中でシウミン様とすれ違いましたよ、何やら難しい顔をして歩いてらして、僕が挨拶してもすぐ気がつかない程でした」
「あらら、もしかして… やっぱり!」

まさかと思って見に行くと、シウミンは本当に上の空だったのか、取りに来たはずのセフンのお薬を、座っていた椅子の上に忘れていました。

「悪いけどジョンデ、走って追いかけて、これ渡して来てくれる」
「はい、分かりました!」
「あの真面目なシウミン様が、なんとまぁ珍しい…こりゃ、そうとう参ってるな…」






宮廷では徐々に結婚の準備が始められていきました。アリババ王国へ結納として納める品々、花嫁であるお姫様が身に纏う物、持参するの生活用具の準備…
まるでお人形のような顔でそれらを準備するルハンを、セフンもギョンスも毎日悲しい気持ちで見守っていました。


ルハンが王様とお妃様のところへ行って部屋を空けている間、ギョンスはお掃除をしたり、窓辺に生けたお花の水を変えたりしました。
それから椅子にちょこんと座って、ルハンの着物を繕い始めました。
少し前にシウミンと弓矢をして遊んで(あれは、まだ求婚の話が出る前でした)、脇の下が破けていたのです。
きっとルハンはこのお気に入りの空色の着物を着てアリババ王国へ行くと、ギョンスにはなんとなく分かるのです。

ちくちくと、丁寧に、細かく、針を行ったり来たりさせます。

ちく、ちく…

お姫様らしくない男の子で、いつも手を焼いてばかりでしたが、ギョンスもルハンのことが大好きでした。本当は強くて、周りを思いやる人だと分かっていましたし、そんなところにどこか憧れていました。
いつかルハンの花嫁道具を準備するときは、心からお祝いして送り出してあげることを願っていたのに、それは予想より早く、苦しい形になってしまいました。

ちく、ちく…

ギョンスは一度手を止めて、すん、と小さく鼻をすすると、また糸をくぐらせ始めました。



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