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□Like a gentle memory.
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長かった冬も終わり

風のにおいが次の季節の始まりを教えて

柔らかな色の花が芽吹く頃

俺の好きな人の、生まれた季節






「ん〜、ミンソクの誕生日プレゼント、今年は何にしよっかなぁ…毎年あげるとそろそろネタ切れ…」

ミンソクが出掛けている隙に、俺は部屋をあちこち点検しながら必要なものがないか探した。まずはクローゼットだ。

「この間買ったブルゾンに合うスニーカーとか?」

玄関の靴箱を開ければ、色とりどりのスニーカーが溢れている。

「…ある。二人でスニーカーは20足以上ある。これ以上増やしたらむしろ怒られる」

寝室に戻って、またウロウロする。チェストの上に、ミンソクはよく使う時計とかアクセサリーを並べている。

「あ、香水そろそろ無くなりそう!…でも同じのあげるんじゃつまんないし、香りは好みがあるしなぁ」

手首に香水を吹きつけて、首にもそのまま馴染ませる。
うん、いいにおい。ミンソクのにおいだ。
ミンソクはかなり長いことこの香水を繰り返し買っている。

「あ…」

あるものに気がついて、俺はしゃがみこんでそれを手に取った。

「結構痛んでる、はじっことか…これ買い換えてあげよう!」




「ただいまー」
「!やべっ」

どうやらミンソクが帰ってきたようだ。俺はそれを元の場所へ戻すと、寝室のドアを開けた。

「おかえり」
「はい、おみやげ、雑誌」
「ありがとう!」

上海での暮らしにもかなり慣れてきたミンソクは、今では時々一人で散歩に行くこともある。今日のお土産はNumberのW杯特集だった。ソファに座ってさっそく眺めていたら、ミンソクがくんくんと俺の首に鼻を近付けた。

「俺の香水つけた?」
「あ、ごめん、借りた」
「いや、いいけど」

自分もソファに腰を下ろすと、ミンソクは抱き枕みたいに俺を抱えてずるずると背中を後ろに倒した。雑誌が折れちゃいそうになって、手を伸ばしてテーブルに置く。

「このにおいするとさ、あれ、ミンソク?!って思う、外でも」
「危ないな、そのまま着いていくんじゃないだろうな」
「行かないよ!思うだけ」
「ならいいけど」
「このにおい好き、俺も。残り少なかったよ、また買う?」
「んー…そろそろ変えよっかなぁ」

ミンソクが俺の耳に鼻をすり寄せる。

「ルハナがつけるとちょっと違うにおいみたいだな」
「そう?へん?」
「ううん、変じゃないよ」

くすぐったくて、やめてよって言っても、ミンソクはしばらく俺の首を嗅いだり髪を撫でたりしてた。

「やっぱりまたこれ買おっかな」
「うん、そうしなよ」

ミンソクの春物のコットンのセーターに頭を擦り付けると、暖かい腕がぎゅっと背中を包んだ。そうしているうちに、二人とも眠くなってきてしまう。気が付けば日がどんどん長くなって、薄目で覗いた窓の向こうは、夕方なのにまだ空が柔らかな、夢みたいな水色をしている。

もう春だ。





いつか、もしもひとり街中でこの香りに気が付いたなら

俺はすぐに足を止めて振り返るだろう



誰かにすごく愛された記憶

誰かをめいっぱい大切にした記憶

声をあげて一緒に笑ったり、

こっそり隠れて涙を流した日のこと


全てが昨日のことみたいに甦って

今すぐあの部屋に帰りたい

あの頃に戻りたい

そんな叶わない願いを抱いては

優しい記憶に足元を絡めとられたまま動けずに

ただ、立ち尽くしてしまうんだろう









Baozi and hisdeer 9

Like a gentle memory







入社式で、初めて知り合ったのが二年前。
北京からソウルに転勤になって、一緒に仕事をするようになったのが一年前。
同僚から友達になって、気付いたら好きになってたのが半年前。
ミンソクの部屋に俺が住み始めてから、一ヶ月。




「いーか、絶対無くすなよ、落とすなよ」
「うん!」
「無くしたら鍵ごと交換なんだからな、高いんだぞ」
「はい、分かりました!」

ミンソクが駅の鍵屋さんで作ってきてくれた、ぴかぴかの合鍵。一度俺に渡した後、やっぱり貸してと言って、ミンソクは自分のリュックを漁った。自分の鍵や実家の鍵に、キーホルダーが何個かぶら下がっている。そのうちからひとつ外すと、俺の鍵につけてくれた。色がちょっと剥げた、チョッパーのキーホルダーが、初めてのミンソクからのお下がりになった。

「はい、これでなくさないだろ」
「ありがとう、大事にする!」



そうして二人の暮らしが始まった。





ルールはひとつだけだった。
とにかく散らかさないこと。
家事や料理はできる方がやるか、自分の分は自分でやればいいと言われた。

その言葉通り、ミンソクは暇さえあれば床にはクイックルワイパー、家具にはハンディモップをかけていたし、洗濯物が床に脱ぎ散らかされていることは一度たりとて無かった。幸い、俺も男のわりにはきれい好きだったので、ストレスにはならなかったけれど。

「ごちそうさま」
「ご、ごちそうさまでした」

食事のあと、ミンソクは手を合わせて必ずこう言うので俺も真似して言う。もちろん今までこんな習慣は無い。

「あ、今日サッカーあるよ、9時から」
「マジ?見る!」
「先に風呂入るよ」
「うん」

台所で皿を洗う俺に一声かけて、ミンソクはバスルームに行った。ミンソクは食後すぐに使った食器を洗うので、俺も真似して洗う。

「…へへ」

皿洗いなんか好きでもないのに、俺は思わずひとりでにやにやと笑った。でも、堪えきれないのだ。






一ヶ月前

「同じ家に住んだら、好きなように飲めるよ、俺もお前も。どうする?」

いつものように仕事帰りに一緒に飲みに行って、いつものように酔い潰れてミンソクの部屋に泊めてもらって目覚めた朝。ミンソクの口から飛び出した、予想もしなかった言葉。

初めは意味が解らなくて、喉を詰まらせてミンソクを見つめ返すことしか出来なかった。
少しでも長く一緒にいたいから、少しでも沢山話したいから、飲みに行くたび俺は毎回飲み過ぎて。潰れちゃっても、ばかかよって言いながらも部屋に泊めてくれるのが嬉しくて。そんなことを何度も繰り返していた。

だって、ミンソクは、俺の片思いの人だから。


「はっきり言わないと、分かんない?」

寝起きのミンソクが、呆れたように、少しだけ照れ笑いをこらえたように言う。

「わ、分かんな、」

言い終わるより先に、伸ばされた腕で胸の中に引き寄せられる。

「俺のこと、好きなんだろ?」
「えっ?!、あ、う、えっと」

頭の後ろに手が添えられて、ミンソクの肩がこんなにも目の前にあって、今自分は抱き締められているのだとようやくわかる。

「ばればれだって」
「うそだ、」

初めて知る、ミンソクの体温。

「…俺もだよ」






この一ヶ月だって何度も何度もあの日のことを思い出しては、つい笑みがこぼれてしまう。

「てへへ…」
「おい、おーい、なにニヤニヤしてんの?」
「わっ」
「変なやつ。風呂出たよ」

あぶないあぶない、また回想の世界の住人になってた。
お風呂上がりのホカホカしたミンソクが、俺を呼びに来てた。ワックスのついてない洗いざらしの髪の毛や、少しくたっとした部屋着の襟元、裸足のかかと。今は少しは見慣れたけれど、そんな姿にすらいちいちどきどきしてしまう。一緒に暮らしてなきゃ、こういう姿は見られない。



お風呂から上がると二人でサッカーの中継を見て盛り上がった。一人で見るより何倍も楽しい。でも、ハーフタイムになる頃には眠くなってきてしまった。

「ルハナ、ベットで寝ろ」
「ううん、まだ見る…」

ソファに寄りかかってうとうとする俺の頬を、ミンソクが指の背で優しく叩く。

「もう半分寝てるだろ、俺も眠いから寝るよ」
「んん…」

ひとつのベットにもぞもぞと潜り込み、ミンソクも大きくあくびをすると明かりを消した。瞼を閉じようとしたら、暗がりにミンソクがシーツに手をつく気配がして。俺に覆い被さると、唇にちゅ、と触れるだけのキスをする。

「おやすみ」
「ん、おやすみ…」

一瞬ではないけれど、表面を合わせるだけの僅か数秒のそれに、甘さと少しの物足りなさを感じながらも、俺はすぐに眠りに落ちた。





朝は必ずミンソクの方が俺より先に目覚めてる。大体コーヒーを落としながら、パンをかじっている頃に、俺が起きてくる。

「おはよ…ふわぁ…」
「おはよう」

シャワーを浴びて、ありがたくコーヒーとパンをいただく。一人暮らしの頃は朝は起きるだけで精一杯だったけど、ミンソクに朝ごはんを食べないのは良くないと言われて、毎朝俺の分も用意してくれるのだ。

俺がマグカップに牛乳を継ぎ足そうとすると、それいい豆だからブラックでもおいしいのに、とミンソクがネクタイを締めながら俺に言うので、手を止めた。

「ルハナはまだまだお子さまだなー」
「ちげーし!ブラックでも飲めるけど、カフェオレが好きなの!」

ミンソクに見えるようにわざとらしく俺はカップに口をつける。口のなかいっぱいに、芳ばしい香りと、慣れない苦味が広がる。
おいしいっちゃおいしい、ような気もするけど、やっぱり苦い。

ミンソクが洗面所に行ってしまうと、俺はこっそり牛乳を継ぎ足しした。カップの中は白色を注がれて、内側からふわりと柔らかな薄茶色になる。ミンソクの心の中にも、こうやって俺が混じって広がればいいのに。





「おはようございます」
「おはよ」

デスクでネクタイをしめているけしからん若者は、俺が教育中の後輩のセフンだ。

「ルハン先輩、最近寝坊減りましたね」
「そっかな」
「あと二日酔いも減りました」
「なんだよ、人を飲み歩いてばっかりみたいに」

パソコンの電源を入れて、メールをチェックする。

「いつも機嫌良いし、きれいになりましたよね」
「ハア?!なんなんだよお前、朝から!」

ミンソクとのことを見透かされたようで、恥ずかしくなって振り向く。朝寝坊が減ったのも、翌日に残るような無茶な飲み方するのを止めたのも、全部ミンソクと付き合い始めてからだからだ。セフンの指摘は鋭い。

「え?総務課のスヨン先輩の話ですよ?もともと美人ですけど、ますますきれいになりましたよね〜最近。あれは絶対彼氏出来ましたね」
「あ…」
「自分のことかと思ったんですか?ププ」

からかわれた仕返しに、俺は肩をバスンと思いっきり殴ってやったけれど、セフンは赤ちゃんみたいな顔して両手を上げて笑っていた。全く、けしからん後輩だ。

「だって、毎日見てますもん、先輩のこと」

タイピングの音に混じってこぼれたセフンの呟き。誰の話か分かったもんじゃないので、俺は今度こそ聞こえないふりをする。その後トイレの鏡で、お肌の状態を確認したのは誰にも内緒だ。






今日は一日出先で商談ばっかりで、すっごく疲れた。夕方会社に戻ってからも書類作りに追われて、片付く頃には会社にほとんど人がいなかった。

地下鉄の駅を出てからマンションまでは、10分位歩く。公園の脇を通って、コンビニの角を曲がると、ちょうどマンションのミンソクの部屋が見える。
窓にあかりが灯っていると、疲れて帰る日も、それだけでちょっとほっとする。空なんか見上げることなんて無かった自分が、月の満ち欠けだとか、夕焼けが色は毎日違うとか、そんなことに気が付くようになった。
韓国での暮らしを、肩身が狭いと思ったことはない。外国人の同僚や先輩もたくさんいる。それでも居場所ができたみたいで、やっぱり嬉しかった。




「ただいまー」

いいにおいがして俺はまっすぐ台所へ行く。

「おかえり」
「わあ、今日鍋?」
「うん、適当だけど」

ミンソクは台所で白菜を切っていた。ミンソクは台所に立つ時、ちゃんと青いエプロンをする。実家のお母さんが一人暮らしを始めた時に持たせてくれたものらしい。

「鶏?豚?いっぱい入ってる?」
「豚だよ」

二人とも料理はそんなに出来ないけど、ミンソクは俺よりは自炊をするようで、俺はこの一ヶ月で、カレーとやきそばと、チャーハンの作り方を教わった。袋ラーメンと目玉焼きしかレパートリーがなかったのだから、ものすごい進歩だ。えっへん。


「いただきまーす」
「肉たくさん入れたから、すくって食えよ」
「うん!」

二人でハフハフしながら鍋を食べる。俺はミンソクの豪快な食べっぷりがすごく好きだ。口をおっきく開けて、好き嫌いしないで何でもよく食べる。食レポの番組に出れそうな位だ。料理が出来ればもっと喜ばせることが出来たのかなと、こっそり今までの自分を悔やんだ。

「うまいか?」
「うん、うまい」

俺がそう答えると、ミンソクは満足そうに口元を緩ませた。
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