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□致愛
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秋も進んだ、10月のある週末。

Hiphopの流れる最近よく行くセレクトショップで。俺たちは思い思いにラックにかかった洋服を眺めていた。急に冷えてきた気温に、着るものがない!と騒ぐと(もちろんそんなことはない、俺のクローゼットは常にはち切れそうだ)、ミンソクが買い物行くか、と言ってくれたのだ。

「あ、これ良いな」

胸のプリントがいい感じの赤いパーカを見つけて鏡の前で当てていたら、女性の店員さんがそばに来た。

「今朝入ってきたばかりの新作なんです、でもさっきも一枚売れて、もうそれが最後の一着なんですよ〜」

上海の人は新しいものが大好きだ、流行りのファッションとか、周りに威張れるような話題のアイテムとか。店員さんが他のお客さんの接客に行った隙に俺はミンソクを呼んだ。一応許可を取っておかなくては。

「ミンソ」
「ん?」
「これ買いたい」

ミンソクはハンガーを持って俺に当てて眺めてう〜ん、と唸った後、ラックにかかった色違いを取った。

「白の方が似合う、あと着まわしもきく」
「そうかな?赤の方が良くない?」
「まぁ、お前が着るんだから好きな方買えば」

ちょっと悩んで、結局似合うと言われた方を買うことにした。いつもは自分が好きな方を買うことが多いけど、今日はなんとなく。買い物は俺の方が好きだけど、ミンソクの方が着まわしとかは上手だと思う。

会計に行こうとして、ミンソクの頭の上らへんにある棚にある帽子が目に留まった。

「ねぇ、ミンソ、あれミンソクぽい」
「あれも買うの?」
「違う、被ってみて」

正面にブランドロゴの入った、黒いバケットハットだ。ミンソクが被ると、思った通りよく似合った。

「あ、似合うよ!」
「まじ?」
「マジマジ!買いなよ!」
「えー、でも帽子たくさんあるし…こないだデニムも買ったしなー」
「じゃあ、おれが買ってあげる!」
「は、いいよ」
「すいません、これとこれ、お願いします」

さっきの店員のお姉さんに、俺はさっさとパーカと帽子を渡してしまう。会計をして服を紙袋に入れると、店員さんはカタログを二冊出した。

「秋冬のカタログも一緒に入れておきますね、お友達さんの分も入れておきますので、ぜひご覧になって下さい」
「あ、はい、ありがとうございます…」

友達。

まあ、俺たちは友達でも、あるのだけど。ミンソクは黙ってペコッとしただけで、顔色を変える様子は無かった。


「後で金払うよ」
「いーよ、別に。そんな高くないし、俺も借りて被りたいし」
「…ありがと」

お金を使わせたことをミンソクは気にしているようだ。帽子はミンソクのスタイルによく合っていたし、俺が似合うと感じたものを気に入ってくれたのも嬉しかったから、全然気にしてない。ミンソクが言うようにちゃっかり兼用するつもりだし。


その後映画でも見ようかと立ち寄ったショッピングモールで、俺たちは珍しい場所に足を止めていた。

「わあ、かわいいな〜」

目の前の透明なケースの中で動き回るのは、黒いつぶらな瞳のキャラメル色した子犬だ。ボールを噛んだり追いかけたり、元気いっぱいの姿がとっても愛らしくて、つい立ち止まってしまった。ペットショップなんて普段はなかなか通り掛からない。俺が子犬夢中になっている間に、ミンソクは店の奥の方まで入っていた。

「ルハナ、見てみ、めっちゃかわいい」

追いかけた先でミンソクが見ていたのは、毛足の長い、随分きれいな猫だった。見たこともなければ聞いたこともない名前の品種だ。

「俺は飼うならこの猫がいいな」
「ふうん…」

ずっと一緒にいるうちに気がついたけど、ミンソクは結構かわいいものが好きだ。キャラクターやぬいぐるみとかフィギュアとか。俺はカッコイイものの方が好きだから、その辺は正反対だ。
俺も自分のお気に入りの猫を見つけようと、あちこちのケースを覗いた。そのうちのある一匹に、俺はすぐに惹かれた。

「じゃあ、俺はこのねこ!」

グレーのムクムクした猫が、毛布にうつ伏せになって
大人しくじっとしている。俺が指差した先を見て、ミンソクは眉を寄せて怪訝な顔をした。

「え〜、なんかこの猫ふてぶてしいよ、目付きとかさぁ。俺が選んだ猫の方がかわいいって」
「でもこのねこ、なんとなくミンソクに似てる」

そう。それがこの猫を選んだ理由だ。

「ええ、どこがだよ」
「眠くて、きげん悪いとき!あと顔がまるいとこ!アハハ!」
「お前な〜!しつれいなやつめ…」

どのみち今の社宅はペットは禁止だし、忙しい俺たちには世話する時間がない。年甲斐もなくばいばい、と小さく彼らに手を振って、俺たちは店を後にした。





オープンテラスのカフェから見える街路樹の葉が、赤や黄色へ徐々に染まり始めている。日差しも夏までの強いそれとは確実に違っていて、アイスコーヒーをすするミンソクの前髪を柔らかく透かしていた。

「さっきのねこ、可愛かったな」
「うん」
「ペットとかあんま興味なかったけど、あの猫なら飼っても良いかも」

さっきの猫のことがミンソクは相当気に入ったみたいだ。確かに愛らしかったけど、そんなに引っ張る程の話題だろうか。俺はなんとなく面白くなくなってきて、そのへんにあった紙ナプキンをくるくる丸めたりくしゃくしゃにしたりした。

「ソウル帰ったら、猫飼おうか?」

俺を覗き込んで、わざとらしく聞く。近頃ミンソクは時々こうやって俺をからかった。一緒にソウルに帰って暮らそうよ、と言われてもいないのに。

「か、考えとく…」
「うん、考えといて」

うつむいたあと、ちら、とミンソクの方を見ると、小さく笑ったまま、機嫌良さそうに頬杖をついて通りを眺めていた。


誕生日から、約半年。
ミンソクからは、まだ何にも言われてない。
その、いわゆる、二人の将来について。

俺のことを、ミンソクは心から思ってくれている。二人は今、同じ気持ちだって、確かめ合った。本当に大切にしたいものは、誰かに見せびらかしたいわけでも他人に誓うものでもない。約束なんていらない。ただこの毎日を一日も長く続けたいと、君も願ってるって言ってくれたら、それだけで良かった。

「腹減ったな。飯何食う?」
「鍋がいい!火鍋!」

もしも俺たちの関係を知らない誰かが見て、例え俺が君にふさわしい恋人の姿形をしていなくても。側にいられたらそれでいい。今だってきっと、街を行く人達には、俺たちはただの同年代の友達同士にしか見えないだろう。それでもいいんだよ。

「いいね。どこで食う?あ、こないだヒチョル先輩が旨いって言ってた店あったな」
「どこどこ?」

店を探すためにスマホをいじるミンソクの手元を、頭を寄せて覗き込む。

「近い」
「あ、ごめん」

慌てて頭を上げると、画面を見たままミンソクは笑ってた。

「いいよ」

その声がすごく、優しくて。ずるいなと思った。こういう時、何年も一緒にいるのについどきどきさせられる。この人に愛されてるのは世界で自分だけなんだって思うと、胸と、耳の辺りが何度だってそわそわする。ずるいよ、それを知らないんだからさ、ミンソクは。







週明けの月曜日。
少し長引いた打ち合わせをようやく終えて、取引先の人をエレベーターまで見送るところだった。

「では、次回またよろしくお願いします、ありがとうございました」
「こちらこそ…」

韓国語でそう挨拶する。相手が韓国人だからだ。will株式会社という韓国の企業とは、今日が一度目の商談だった。還暦に近い年齢の部長さんは、女性の部下を一人連れていた。彼女は1990年生まれで、俺と同い年だった。

ポーン、と小さく音が鳴り、エレベーターの扉が開く。降りてきたのは偶然にもミンソクだった。黙って軽く会釈をして傍らを通りすぎようとする。すると、女性の方が声をかけた。ミンソクの背中に向かって。



「ミンソクくん!」



「…へ?ドジョン…?」



いきなり名前を呼ばれたミンソクすぐに振り向いて、一瞬驚いたもののすぐに彼女の名前を呼び返した。ほとんど、思い出さずこともなくごく自然に。

緩く巻かれた髪を翻して、彼女は俺達に振り向くとこう詫びた。

「…あ、いきなりすみません!つい…、私、彼の大学の同級生なんです」







帰宅の挨拶をすると、先に帰っていたミンソクが台所から俺におかえり、と返事を返した。

「今日びっくりした、いきなりドジョンさんがミンソクに話しかけるから」
「ああ、俺もびっくりした、まさか上海で知り合いに会うとは思わなかったよ」

スーツのまま洗面所で手を洗っていたら、料理をしていたはずのミンソクが台所を離れて側へ寄ってきた。エプロンのポケットに手を突っ込んで、なんだか変な顔をしている。変な味のものを口に入れた時みたいな。

「なに?」
「いや、あのさ、黙っとくのも変だから言うけど…」

あ、分かった。

前ふりだけで、俺はミンソクがこれから何を言うか、大体予想がついた。不思議なものである。嫌な予感とは、悲しいかないつだって大抵当たるものだ。

「いや…あの、ドジョンさ、昔付き合ってた子なんだよね、大学の時」

はい、当たり。声のかけ方で、もしかしたらそうじゃないかと気付いていたのだ。俺を気遣ってか言いにくそうにミンソクは打ち明けた。悪いことをしたことを、白状するみたいに。

「マジ?すげー偶然じゃん!」
「うん、びびったつーか、焦ったっつーか…」
「優秀な人なんだね、あんな大企業に勤めててさ」
「まぁ…」
「中国語もすごい上手だし、通訳さんみたいだよ」
「専攻してたんだ、大学の時から」

苦々しく答えるミンソクに申し訳なくなってきて、俺は出来る限り何でもないように明るく答えてみせる。でも、ミンソクの表情はやっぱり変な味のものを食べた時のまんまだ。

「着替えてくるね」
「ルハナ」
「ん?」
「その、気にすんなよ。別れてから何年も会ってないし、連絡だって取ったことないし、そんな長く付き合った子って訳でもないさ、今さら何も」

珍しく随分長い言い訳だ。

「あはは、もー、やだな、分かってるってば!俺らもう28だよ?それこそ学生でもないのに、気にしたりなんかしないよ」
「いや、そうだけどさ…」


寝室に引っ込んで、スーツを脱いでハンガーにかける。ミンソクにはああ言ったものの、ワイシャツを脱ぎながら、俺は無意識にドジョンさんの姿を思い返していた。

赤いカーディガンのよく似合う、白い頬と黒くて長い髪。薄いピンクの貝殻みたいな爪先。背が低くて、彼女だったら小柄なミンソクの隣に並んでもバランスが良いだろう。見たことなんて無い学生時代の二人が仲良さげに腕を組んで歩くところまで妄想して、ようやく俺は自分で自分を勝手に傷付けていることに気が付いた。

寝室の鏡に写るのは、まぎれもない28歳男子だ。(しかも、残業でちょっとくたびれている…)

全く気にならないと言えば嘘になる。けれど、終わった関係の相手にやきもきしたってきりがない。ドジョンさんの会社との商談は大して長引く予定ではないし、顔を合わせるのもあと数回の辛抱だろう。

今までの俺なら、このまま底無し沼みたいに凹んでいたかもしれない。でも今は違う。ミンソクのこと信じるって、決めたから。

「ルハナ?飯出来たけど。キムチチャーハン」
「ありがと、食べる食べる!」

心配そうな顔をして寝室まで迎えに来てくれたミンソクに、俺は笑顔で答えた。
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