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□ice ice dance5
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二人が高校の制服に袖を通して、早くも三度目の春が訪れた。

ガラス張りの窓から、麗らかな春の日差しがさしこんでくる。モスバーガーの二階のテーブルで、ルハンはミンソクの部活が終わるのを待っていた。一緒にお昼を食べて、勉強する予定だからだ。

一年生の頃に比べて、ルハンは少し変わった。相変わらずのショートヘアだけど、今日はミンソクにクリスマスプレゼントもらったお星さまのイヤリングをつけている。実は春休みに一度だけスホにメイクも習ったけれど、不器用なルハンには自分で再現するのはまだ無理そうだ。もらった苺のシロップみたいなリップグロスは、かばんの底にしまいっぱなしである。漫画を読んだりゲームするのもまだまだ大好きだけれど、だいぶ女の子らしくなったと言えるだろう。彼氏のミンソクとの仲もいたって順調なルハンであったが、近頃ある悩みを抱えていた。

「どうしよう…」

ため息をついて俯いたルハンがじっと見つめているのは、進路調査表のプリントだった。もう三年生だ、志望校を決めて受験勉強をしなければならない。しかし、ルハンの志望校や希望する職業などを書く欄は、真っ白だった。

去年まで、ルハンは通訳さんの仕事がしたいと考えていた。中国語と韓国語を話す自分の特技を生かせると思ったからだ。それで、外国語大学に行くつもりだったが、ここにきて『本当にそれでいいのか?』と迷いが出始めていた。

進路に悩んでいると話すと、大抵の人が、好きなこと、楽しいと思うことは?興味があることや、得意なことは?と尋ねてくる。誰とでも、どんなことも楽しんでやれるけれど、自分にとってこれが一番、というものは、ルハンはまだ見つけられずにいた。

ちなみにミンソクは、もう将来の夢が決まっている。先生になって、体育を教えることだ。運動が得意で、子供が好きなミンソクにぴったりだ。教員免許取得を目指し、教育大を受験する予定である。スホは女優になることを夢見ているので、演技を学ぶ学校に行くと決めているし、アンバーは台湾の音楽大学を受験するらしい。中国で暮らす親友のイーシンは、看護士になるために看護学校へ通うつもりだと手紙に書いてあった。つまりルハンだけが、置いてきぼりをくっている状態だった。焦るのも無理は無い。

はぁ、と二度目のため息をついた時、ちょん、と誰かがルハンの頭を軽くつっついた。

「よっ」
「シウちゃん!」

振り向くと、ハンバーガーの載ったトレーを持ってミンソクが立っていた。

「お待たせ、何見てんの?」
「お疲れさま!進路の、希望書くやつ…」

ジャージの上着を脱いで椅子にかけ、ミンソクが向かいの席に座る。

「焦らなくても平気だって、まだ春だし」
「そうだけど…」

しょんぼり眉毛を下げているルハンに、ミンソクは出来るだけ明るい声を出した。

「悩んで、眠れなくなったりする?」
「たまに…」
「電話とか、メールしていいよ、そういう時は」
「ありがとう」

ミンソクはルハンをしばしばからかうけれど、真面目に悩んでいる時は、絶対に焦らせたり脅かしたりしない。気が小さいところがあるのを、よくわかっているからだ。いつのまにか二人も、だいぶ恋人同士っぽくなってきた。ミンソクは優しくするのが上手になったし、ルハンもそれを自然に受け取れるようになった。

「いただきまーす」
「えっ、シウちゃんハンバーガー3つも食べるの?」
「腹減ったんだもん」
「じゃあルウのオニオンリングもあげるよ」
「ありがと」

大きな口を開けてチーズバーガーにかぶりつくミンソクを眺めながら、豪快ですごく良いなとルハンは改めて思った。


食べ終えて、勉強しようとミンソクが出したシャープペンシルに、ルハンは声をあげた。

「あ、そのシャープペンシル使ってるんだ!」
「うん、かわいいから」
「ルウも使おう!」

去年修学旅行で訪れた上海で買った、パンダのシャープペンシルだ。指でノックするところがパンダの形になっていて、赤と水色をお揃いで買ったのだ。

「修学旅行、楽しかったよね」
「うん、初めて中国行ったけど、面白かった」

友達と夜通しはしゃぐのも楽しかったけれど、ルハンが生まれた国を訪れることが出来たのは、ミンソクにとって意味深いことだった。

「そうだ、上海の水族館でね、シウちゃんに似てる人がいたよ」
「おれ?」
「うん、ルウが三階で迷子になりかけて、シウちゃんを探してたら、知らない人にぶつかっちゃったの。シウちゃんが大人になった感じ!」

話そうと思ってつい忘れていたけれど、その男の人の顔をルハンは今でもはっきりと思い出すことが出来た。韓国語で謝られたので、おそらく韓国人だったのだろう。

「ふーん、何歳くらいの人?」
「30さい位かなぁ?ヒョクチェ先生くらいだと思う」
「へぇ、俺も見たかったな」
「その人もね、キョロキョロしてた。誰か探してたのかな?」
「俺と同じで、ルハナみたく方向音痴の人と来てたんじゃないか?」
「違うよ、ルウは地図が読めないだけだよ!プゥ」

おしゃべりに夢中でちっとも勉強がはかどらないけれど、受験生にとってはこれも貴重なデートの時間であった。




3時間くらいねばって、二人はモスバーガーを出た。並んだ桜の木を見上げながら、マンションまでの道を手を繋いで歩く。

「あ、シウちゃん待って!ルウコンビニ寄りたい!」
「ぐえっ」

突然ミンソクはカエルの鳴き声に似た声をあげた。いきなり立ち止まったルハンにジャージの首の後ろをつかまれたからだ。ルハンは親しい人に少々手荒なところがある。

「首を引っ張るなよ、首を…」

危うく窒息しかけたが、ミンソクは誰にも聞こえないくらい小さな声でそう呟いただけだった。どこまでもルハンに甘い。


ルハンが家で食べるチョコレートを選び終えると、ミンソクは飲み物の冷蔵庫の前にいた。

「シウちゃんも何か買うの?」
「コーラ飲みたいなと思って」

飲料水の棚の冷蔵ドアを開ける。胸の高さに並ぶコカ・コーラのラベルには、女の子の写真がプリントされていた。最近人気のガールズグループ、twiceだ。あまりアイドルには詳しくないルハンでも知っているくらい、お茶の間に浸透している存在だ。

ダヒョン、モモ、ジヒョ、ミナ… 微笑みを向ける彼女たちを前に、ミンソクは一本を手に取った。どれにするか一瞬だけ迷ったのを、ルハンは見逃さなかった。

(!シウちゃん、ツウィを選んだ…)

長い手足とお人形さんのような顔立ち、それから長い髪がトレードマークの、台湾出身の女の子。それがツウィだ。ミンソクが特定のアイドルを好きだと言っているのは一度も聞いたことがないけれど、今は明らかに9人の中から意図的にツウィを選んだ。見間違いではない。

ミンソクの後ろに続いてレジに並びながら、ルハンは無意識に自分の短い髪をつんつん指で引っ張っていた。知らなかった。ミンソクは、ツウィのような女の子がタイプなのだろうか。ツウィくらいのロングヘアにするには、何年くらいかかるだろうか?今から伸ばして、大学を卒業するくらいまでかかるだろうか?足の長さを伸ばす科学的な方法はあるのだろうか?

「ルハナ、」

スホにツウィの顔になれるメイクを習うべきだろうか?そもそもメイクであの顔になるのだろうか?ルハンはアイドルに憧れたことがなくて、何もかも分からなかった。誰かのために可愛くなりたいだとか、気に入られたいと思うこと自体が、生まれて初めてなのだから、仕方がない。

「ルウ、ルハナ、おい」
「?えっ、なに?!」

振り向いたミンソクが、ルハンに呼び掛けていた。

「お菓子、一緒に払うから、ちょうだい」
「ありがとう!」


帰り道も、ミンソクはずっと昨日の面白かったドラマの話をしていたけれど(ミンソクは寡黙に見えて、ルハンの前では饒舌なところもあった)、ルハンは半分上の空だった。

(おうちに帰ったら、とりあえず髪の毛と足の伸ばし方をググろう…)

「そうだ、俺来週は練習試合あるから遊べないや、ごめんな」
「へっ、あ、うん、平気だよ、試合頑張ってね」

今度はGoogleの世界に入り込んでいたルハンだが、ミンソクの謝罪の一言で戻ってきた。

「今年はすごい一年生が入ったからな、負けてられないよ」
「すごい一年生?」
「ユウタっていうんだけど、サッカーの特待生で入って来て、日本にいるときにユース選抜に選ばれたこともあるんだってさ。イケメンだし、入学前から噂になってたよ」

何故かムッとした表情に変わると、ルハンは言い返した。

「でも、でも、シウちゃんだってすっごくかわいいし、面白いし、サッカーも上手だよ!ルウはシウちゃんを応援する!多分シウちゃんの方がハンバーガーもいっぱい食べられるしさ、副部長だし、とにかく、シウちゃんの勝ちだよ!!」
「それ、勝ってるって言えるかぁ?」
「言えるよ!」

会ったこともないユウタに張り合うかのように、ムキになってルハンはミンソクを褒め称えた。若干ピントがずれているが、その気持ちが嬉しくて、ミンソクはいつものように笑うのだった。
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