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□夜的尽头
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インスタントコーヒーの、安っぽいにおい。銀のスプーンでカチャカチャと溶いて、リビングに持っていく。小さな背中を丸めて、ルハンは猫と遊んでいる。









夜的尽头





目に痛いほど眩しい、夜のコンビニ。

インスタントコーヒー。カップラーメン。チョコレート。コーラ。ビール。スナック菓子。あと諸々。

「買いすぎたな」

膨れたビニール袋を助手席において、車を出す。何せ、久しぶりの我が家は冷蔵庫が空っぽなのだ。

時計をチラチラと気にしながら、大して汚れてもいない部屋を掃除をする。手持ち無沙汰で。ああ、まるで普通の恋人同士のようだな、と思う。自分の部屋で、好きな人の来訪を待つ、ソワソワとして落ち着かず、幸福な時間。

時計の針は、10をとうに過ぎている。俺の休暇を尋ねて、会いに行くと言ったルハン。最終便で、空港からまっすぐ来ると言っていたけれど、一向に連絡もない。どこにいるのやら、と一人ぼやこうとした時だった。


『ピンポーン』

「よ、」
「久しぶり」

ドアを開けると、目深に被ったキャップの下から、ルハンは控えめに笑顔を見せた。

「どこまで来た、とか連絡しろよな」
「ごめんごめん」

しかし、つばを上げて俺の顔から頭へするすると視線を移すと、ぶふっと大袈裟に吹き出した。失礼な。

「髪!!みじかい!!アハハ!」
「うるせーな!仕方ないだろ!」

指までさして笑っている。相変わらず正直なやつだ。

「おじゃましまーす、おー、リビング広っ!」

メンバーや知り合いとさほど変わらないリアクションをしながら、ルハンは初めて訪れた俺の部屋を眺め回った。一通り探検すると満足したのか、今は小さな背中を丸め、ソファで静かに猫と遊んでいる。会わせてやったら喜ぶと思って、預けていた妹から引き取ってきたのだ。

「なんか飲む?コーヒー?コーラ?酒?」
「コーヒーがいい!」

ぴりぴりと封を切ると、インスタントコーヒーの安っぽいにおいが漂う。銀のスプーンでカチャカチャと溶きながら、前に会ったのはいつだったろうかと思い返す。確かダウンを着て行って、ホテルに着いて早々に肌に触れようとした俺の手に、ルハンが冷たいと言ったことはなんとなく覚えている。

「ここに置いとくぞ」
「ありがとう。おとなしい子だね」

ルハンの腕の中で、タンは身体を預けている。猫を抱き抱えて、微笑みながら繰り返し優しくその背を撫でるルハンは、髪が長くてまるで絵画の聖母を思わせた、見た目だけは。と胸の中だけで呟く。

「いただきまーす」
「インスタントだよ」
「いいよ」

カップに口をつけたまま、ルハンが上目遣いで再び吹き出した。。

「髪短い、ぷぷ」
「しつこいぞ。決まりなんだよ。これでも伸びてきた方だし」
「別に変じゃないよ、ちょっとだけ触らせて」
「変だと思ってるから笑ってんじゃないか」
「アハハ!ショリショリする」
「あーもう、しっしっ、見せもんじゃないぞ」

目をきらきらさせてルハンが頭を撫でてきたので、追い払う。

「けち。俺も早く髪切りたいな〜」

ドラマの役作りのために髪を切れないルハンは、俺とは真逆で、うなじが隠れるほど髪が長い。昔にも長髪が流行った気がする。デビューする前も、ルハンは髪を伸ばしてパーマまでかけていた。携帯電話からスマートフォンになり、そんな昔の写真はもう、手元には残っていない。

「そういやお前、勝手にいいねしただろ、インスタ、勝手にフォローもして」
「ごめん、怒った?」
「別にいいけどさ」
「えへへ」




さて。
概ね想定内のやりとりが済んだと踏んだ俺は、本題を切り出した。

「で?どうした?」
「何が?」

不思議そうにルハンが長い首を折って傾げる。

「何がって、急に会いたいって言ったの、お前だろ」
「別に何もないよ、ミンソクが軍隊生活頑張ってるかな〜って見に来ただけだよ。応援しに、励ましに来たんだよ!」

嘘つけ、と喉まで出掛けて、飲み込む。言ったところで、ルハンが簡単に本当のことを言わないのは分かってる。突然ルハンが俺に会いたがるのは、大抵何かあった時だ。良いのか悪いのか、調子が良い時は、さほど連絡して来ない。それを自分自身で分かっているのかも知らない。

「休みも取れたし、最近どうしてるかなって思っただけだよ」
「ふーん…そりゃどうも…」

まあ、どんな理由でもいい。わざわざ頼ってやって来たんだから。
いつだって受け止めるだけだ、俺は。

「あ、そうだ、ミンソク腹減ってる?」
「さっき家族と食べてきちゃった。お腹すいてんの?」
「ん〜ちょっとだけ。でも別に食べなくてもいいや、太るし」
「たいして太ってねーだろ今だって」

腰を上げてキッチンに行く。鍋に湯を沸かして、さっきのコンビニの袋を漁った。悪いけど、俺にはギョンスみたいな料理の才能は無いから。

「ラーメン?茹でてくれんの?やった!」

後を着いてきたルハンが、手元の袋を見て喜ぶ。ただ待っているのが申し訳ないという意識はあるのか、麺をほぐす俺の後ろで、ルハンはキッチンをチョロチョロし始めた。

「わー、酒いっぱいある」
「皿適当に出して」
「はあい。でかい台所だねー」
「前にさ、ギョンスがさ、ここで料理してくれたんだよ。フライパンにワイン、バーってかけて、火がブワってなってさ、あれはカッコ良かったな〜」
「すげー、シェフみたい!」

俺は、シェフじゃないし、料理上手じゃないけど。なんの変哲もないラーメンを、ルハンはふうふう冷ましながら食べている。

「うまい」
「そうかあ?」
「人が作ってくれたものって、おいしいじゃん」
「まあな」



きれいに食べきると、ルハンが律儀にごちそうさま、と呟いた。

「ミンソク、酒飲みたいんじゃない?付き合うよ」
「じゃあ少しだけ飲もうかな」

水割りを二つ作って、つまみの代わりにお菓子の袋も開けた。

「毎日大変?きつい?」
「んー?まあ、きついことは、きついけど…決まった時間に寝たり飯食ったりできるし、今の方が健康的な気もする」
「そっか、だよね」

これは同業者なら大体口にすることだった。芸能界は厳しい。戻れる椅子があるのかと不安が無いと言えば嘘になるけれど、休むことなく走り続けてきた数年間でようやく初めて、自分の心と向き合う時間が持てたとも思える。


ラーメンを食べて眠くなってきているであろうルハンは、ソファに背中を預けて、ぼーっとしている。
昔はホテルについたら早く抱き合いたくって仕方なくて、ろくに話もせずにシャワーを浴びてベッドに直行してたけど、今日はあまりそんな感じでもなくて、でも早くルハンに凭れかかってきて欲しいような、抱き寄せたいような、まだ、おしゃべりしていたいような、どっちつかずな感覚。
ただし、きっかけさえあれば、俺はきっと。


「つまんない?」
「え?なんで?」
「いや、俺ゲームとかやんないし。お前がやってるパソコンのやつとか」
「つまんなくないよ。今日のミンソク質問ばっかり。普通に、友達の家で飲んでるみたいで楽しいよ」
「普通にって」
「だって、俺たち宿舎とか、ホテルとか、そんなんばっかりだったじゃん」

どうやら同じことを考えていたようだ。俺たちはいつだって誰かの視線から逃げていて、あらゆる意味で二人きりになれることはなく、自分たちの所有する、自分たちだけのプライベートなテリトリーに居られたことは無かった。

「ミンソクと、普通の人みたく過ごせるのが、嬉しい」
「…そうだな」

丸くなるほんのり色付いた頬に、つられて自分も口許が緩んだ。

遠い未来だと思っていた入隊生活が、気がつけばあっという間に訪れてしまったけれど、手が届かないほど遠くへ行ってしまったはずのルハンが、こうやって今はまた隣にいる。

時が駆け足で過ぎていくことを恐れたこともあるけれど、案外、大人になるのも、悪いことばかりじゃないのかもしれない。
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