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□Dream In A Dream
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冷たく凍りついた湖の上に咲く、一輪の黄色いばら

どこからか現れた子鹿の暖かい鼻先が触れると、

花びらの一枚一枚がはらりと落ちて、蝶に姿を変える

蝶は一羽、二羽と増え、空へ向かって翔んで行く

黄色い蝶はいつしか青空のかなたの色に染まり、

誰もいなかった湖は、すっかりと氷が溶け、あたりには緑が芽生える。

たくさんの動物が、暖かい日差しと、澄んだ水を求めて、集まり始める



それは、春の訪れ

誰もが心を踊らせる、うららかな春の訪れ…








昔々、あるところに、小さな国がありました。国の真ん中を大きな川が流れていて、海に繋がっています。港も畑も町もある、小さくても豊かな国です。

その国には王様とお妃様、それから三人の兄弟の王子様がいました。お城では、明日に備えてたくさんの仕官たちが、準備に走り回っていました。明日3月26日は、一番年上の王子様シウミンの、19才の誕生日だからです。お城では盛大にお祝いが行われる予定でした。

さて、そのシウミンには、民達の間で変わったあだ名がありました。

『氷の王子様』

まるで氷のように冷たく残酷な心の持ち主で、家族や家来、誰にも優しくしようとせず、意地悪で、頭が良く賢いけれど、クビになった仕官は数知れず。武術や剣術にも長けており、もし彼を怒らせたら世にも恐ろしい目に逢うと… 

そんな噂が真しやかに流れており、民達からはたいそう恐れられていました。実際には、王子様に実際に会ったり話をした民などほとんどいませんから、又聞きの又聞きの、単なる噂に過ぎません。ですが不思議なことに、国中の民達がその噂を信じているのでした。

人の心とは、なんて不確かなものなのでしょう。自分の目で確かめた訳でもないことを、簡単に信じ込んでしまうのですから…

このお話は、そんな一風変わった氷の王子様と、ある踊り子の出会いの物語です。



Dream In A Dream



この古びた寺院に突然の知らせが届いたのは、冬が明け、春になったばかりの頃でした。

町のはずれの、さびれた寺院。踊り子として生計を立てている少年が、そこで一人ぽっちで静かに住んでいました。少年は、名前をルハンと言いました。19才のれっきとした男の子ですが、女の子のように可憐な顔立ちをしており、華奢な身体で踊る姿は、町の人たちからも人気がありました。時々町のお祭りに出ては、細々とお金を稼いで暮らしていました。

ある朝、何の前触れもなくお城からの使い達が寺院に現れて、こう告げました。

『王様が、お祭りで偶然見たお前の踊りをいたく気に入ったそうた。王子様の誕生日のお祝いに、貢ぎ物として、踊りを披露しに来なさい。その後も、王室つきの踊り子として、お城で働くこと。これは、命令です』

ルハンは驚いて、夢のようだと思いました。まさか、通りかかっただけの王様に踊りを気に入ってもらえたばかりか、その上王子様の誕生祝いに呼んでもらえて、お城で働くことまでできるなんて… 踊り子は、貧しい仕事です。ルハンは喜んですぐに承諾の返事をしました。それに、王様からの命令を断ることなどできせん。

いよいよお祝いの日が明日に迫り、ルハンは部屋を片付け、荷物をまとめていました。財産と呼べる物もなく、持ち物など僅かです。少しばかりのお金、それから一張羅の衣装、靴、片方だけの、宝物の耳飾り。

「ルウ、明日はうまくやれるだろうか?緊張するな…」

薄い布団で寝返りをうち、ルハンは朝を待ちました。



翌朝、お城からの迎えの馬に乗り、生まれて初めてルハンはお城という場所を訪れました。

「わあ〜っ、なんて大きいんだろう!ルウ、迷子になりそう!」

見上げるほど高い石垣の城壁を見上げ感嘆の声を漏らすルハンに、仕官は早くついてくるよう注意しました。

「あ、ごめんなさい」

長い長い石の階段を登ると、ようやく本殿が見えてきました。広い敷地を端の端まで歩き、お城の一番隅っこの部屋がルハンの部屋だと告げられました。

「時間になったら迎えが来るから、準備をして待っていなさい」
「はい、わかりました」

小さな部屋でしたが、すきま風の入るおんぼろ寺院で暮らしていたルハンには十分過ぎるほど立派でした。ふかふかの寝台と、綺麗な飾りのついた鏡。それから箪笥が一つ。使ったことのないものばかりです。戸を閉めて仕官が出て行くと、ルハンは思いきって寝台にばふんと寝転んでみました。

「くんくん、カビくさくない!こんなお布団なら、毎日昼まで寝ていたくなるだろうなぁ〜!」

名残惜しく布団から体を離すと、持参した衣装に着替え、耳飾りをつけました。それから、体を柔らかくするために準備運動をしました。怪我をしないためには、大切なことです。






「ルーハンと申します、このような場に預かり光栄です」

王様の前で跪き、ルハンは深々と頭を垂れ、予め指示されていた挨拶を述べました。立ち上がり前を向くと、王様は玉座からまっすぐにこちらを見据えていました。隣には、三人の王子様も椅子にかけていました。王様のすぐ隣にかけている青く輝く髪の少年が、本日の主役、第一王子シウミンです。緊張のあまり震える体を、深呼吸して沈めます。



つま先を、そっと伸ばします。

瑞々しく透き通る、春の息吹に似た笛の音が響き渡り、ルハンは舞い始めました。『春の夢』という名前の踊りです。

王様の真ん前にたった一人で立つことも、見知らぬたくさんの王族や彼らに仕える人達に囲まれることも、これほど広々した場所で、豪華な音楽に合わせて踊ることも、何もかもが初めてです。
もし失敗したら、怒られてつまみだされるかもしれません。それだけでは済まないかもしれないでしょう。でも、このような機会は二度とない、だったら精一杯やるだけだ。そう思ってルハンは踊りました。



春の訪れを告げる妖精が、枯れた大地に舞い降りて、

目覚めを告げるために歌えば、緑が芽吹いていく

すべてが色づいて、花が綻び、生き物がみんな歓ぶ、新しい季節の始まり…



春の訪れは、誰でも等しく心が踊ります。そんな気持ちを、今日というお祝いの日に、王子様に届けたい。そう願いながら、薄く透ける緋色の着物を時に優雅に、時に情熱的に翻して、ルハンは踊りました。

その踊りは国中の誰より優しく柔らかく、軽やかでした。背中に羽が生えているかのようです。微笑みには、見るものをみんなを虜にする愛くるしさがあり、黒く長い前髪から覗く睫毛の長さには、誰からもうっとりとしたため息がこぼれました。

伸ばした小枝のような細い腕の先に、蝶々が止まり、羽根を休めるのに見立て、指を遊ばせます。

ゆったりと自らを抱き締めルハンが膝をつき瞼を閉じると、笛の音が余韻を残して止みました。




一瞬の沈黙の後、盛大な拍手が起きました。

『いやいや、誠に美しい踊りであった!良いものを見せてもらったよ』

立ち上がって拍手をしてくれた王様にルハンはもう一度深く膝を着いて頭を垂れると、広間を後にしました。息を切らし、汗が背中を伝い、気持ちが高揚しているのを感じていました。

その後は、自室でこれまた口にしたことなどない豪華な食事を与えられました。海のものも山のものも芸術的に盛り付けられて、新鮮で美味しい料理でした。お腹がペコペコになっていたルハンは、すぐにぺろりと平らげました。



しかし、心はいまいち晴れませんでした。

なぜなら、ルハンを前に、肝心の第一王子であるシウミンはニコリともせず…ずっと氷の如き眼差しで、ルハンを玉座から見下していたからです。その冷たい視線が、頭にこびりついて離れませんでした。

「シウミン様、機嫌が悪そうだったな。ルウの踊り、つまらなかったのかな…もしかして、明日には帰ってくれって言われるかも。せっかくだし、お城の中を散歩してみようかな」

シウミンの噂についてはルハンも知っていましたが、実際に会ったこともないし自分には縁の無いことだと、深く興味はありませんでした。今日はいつになく緊張していたにも関わらず、失敗は一つもせず、振り付けをこなすことが出来ました。それだけに、肝心のシウミンに気に入ってもらえなかったことが、悔やまれました。

「お城って広いなぁ、廊下を歩いているだけで夜になりそうだ…ん?」

部屋を抜け出し勝手にお城をぷらぷらとふらついていたら、大きな正門の前で、神官からご祈寿を受けるシウミンの姿が見えました。ルハンはサッと柱の影に隠れて、様子を窺います。その表情はさっきと変わらず、しかめっ面のままでした。今日はいったい誰の誕生日なのか、分からないほどに。

お日様の光に、青と銀を混ぜたような色のさらさらの髪が艶めいています。青色の着物によく似合っていました。まだ齢は幼くても、町の少年達とは違う、格や威厳をその横顔に漂わせていました。ただ、ルハンの瞳には…今日というお祝いの日に、たくさんの家族や仕官に囲まれ、きらびやかな宝飾具や、数えきれない貢ぎ物を贈られていても、シウミンは、ちっとも幸福には見えませんでした。
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